1 シントラの夜… 少女は獣道に立つ
3月某日
現地時間 深夜2時過ぎ。
ポルトガル シントラ――。
首都リスボンから少し離れた、ユーラシア大陸最西端。
緑と自然が豊か、閑静という言い回しが一番似合う場所だ。
かつては貴族たちの避暑地としてにぎわい、カラフルな見た目と豪華な内装が目を引く古城、世界遺産ペナ宮があるのも、ここである。
シントラは、世界中から人が集まる観光スポットであることには変わりはないが、一方で心霊スポットという側面も持っている。
俗にいう「シントラのヒッチハイカー」である。
まあ、中身について簡素に説明すると、死んだ幽霊が、車をヒッチハイクしたり、道に飛び出して事故を誘発するといった、世界中でよく耳にする、至極平凡な噂話。
それが一躍有名になったのが、2006年。
動画投稿サイトに、女性のヒッチハイカーを車に乗せ、彼女が死んだという場所で襲われた…という内容の映像が投稿され、各方面で物議を醸し、「シントラのヒッチハイカー」は世界的にも有名なオカルト話となった。
しかし、今回はそれでは済まなかったようだ。
2か月前、リスボン郊外で起きた少女ひき逃げ事件を皮切りに、シントラ周辺でひき逃げ事件や、車の運転手を狙った殺人事件が5件も発生。
証拠物件は出るものの、一向に捕まえることができずにいた。
無理はない。
逮捕のチャンスはあったものの、犯人が警察官の眼前で姿を消したり、あるいは銃をもつ刑事4人を、1秒もかからず八つ裂きにしたりと、確実に警察の手に負える状況ではなくなっていたのだから。
つい先日には、不審車を追っていたパトカーが横転。
乗っていた警官は、ハンドルごと腕が引きちぎられ、殺された。
その上、「シントラのヒッチハイカー」が人を殺して回っているとの噂が、SNSやテレビを通じて広まり始めたのだ。
事態を重く見たポルトガル警察本部は、重い腰を上げる。
最後の頼み、ある探偵に事件の早期解決を依頼した――。
◆
満天の星空が、空間の支配者となった深夜。
森の中を走る街道に、フェラーリ550 マラネロの車体が闇に同化している。
広告に使いたいぐらい、雰囲気のいい情景だが、そうは問屋が卸してくれなさそうだ。
シルバーのクーペは迷惑にも、二車線の狭い道路をふさぐように停車し、エンジンまで切っているではないか。
不埒にも、持ち主は車のすぐ横にいた。
ボディにもたれかかる人影は、“少女”と呼ぶには大人びており、“女性”と呼ぶには未成熟なラインを、星の光の中に浮かび上がらせている。
腰まである長い茶髪、白いシャツに紺のフレアスカート。
シガレットを焦がすマッチの灯。あどけなさの残る小顔が浮かび上がった。
ゆっくりと吐き出される煙には、ほのかにシナモンの香り。
甘い余韻が、木の葉のささやく音色に溶け込む――。
不意に、屋根に載せていたセルフォンが振動する。
シガレットを加えたまま、無言で通話ボタンを押すと、相手はただ興奮しながら
「エリス。そっちに向かってる! 準備して!」
と。
それだけを聞くと、彼女はフェラーリの助手席を開け、革のシートに無造作に置かれた、拳銃と弾丸を手に。
MP412 REX。今では珍しい、中折れ式の
シリンダーに手をかけ、シュリンプでも裂くように軽く、中央を折り開くと、そこに一発ずつ銃弾を装填。
再び、セッティング。完了。
木の葉の揺れ方が変わった。
来る!
彼女はシガレットを足元に捨て、その手で、首から提げるネックレスの十字架を触り、シナモン香る唇に引き寄せる。
温もりを受けて、気のせいだろうか、十字架の赤みが増したように見える。
「神よ…今宵も、私の罪を御赦し下さい」
グオンっ!
視界が明るくなった!
唸りくる咆哮!
カーブを超え、やってきたのは、バン・タイプのフォルクスワーゲン T2。
丸いライトは妖しく光り、紫色の煙を纏いながら突進してくる。有名なヘッドマークも逆さま。笑っているようにも見える。
だが、白い体に血をべったりと刻み込んでいるそれは、明らかに普通の自動車ではない。
「来なさい」
彼女は、ゆっくりと右手に構えた銃をバンに向ける。
撃鉄を下げ、指を引き金に添える。
鋭い眼光が、ヘッドライトすら貫く。
挑戦を受ける。
そう言わんばかりに、車のスピードが増した!
路面に刻まれる轍は、惨劇を歓喜しているよう。
互いの線は交わった!
一直線。
どっちが負けるか、チキンレース!
近づく…近づく……近く!
ダアンっ!
先に吠えたのは、リボルバー。
続けざまに、2発!
途端、向かってきたバンがよろめき始めた。
それでも止まらずに、突っ込んでくる。
が、彼女は微動だにせず、更なる一発を打ち込もうと、銃を構え続ける。
否、知っていたのだ。奴がこちらに来ないことを。
暴れまわる鉄の塊は、彼女の髪をかき上げながら、その真横をかすめていく。
直後、バンは、道をふさいでいたフェラーリのボンネットに乗り上げると、そのまま横転。道路を横滑りしながら、ようやく止まった。
振り返り、歩みながら停止を確認して、手にした銃をスカートに挟み込んだ時、来たのは、彼女の背後を輝かせる2台のマシン。
「ようやく、止まってくれたみたいね」
白の日本車、ニスモ 34型フェアレディZから降りてきたのは、短い黒髪が美しいアジア系の少女。
「あーあ、ウチで一番高い公用車、オシャカにしやがって…修理は実費でしてくれよ」
もう一台、赤のアバルト 124 スパイダーから出てきたのはプラチナブロンドに豊満な胸囲が目立つ、大人びた“淑女”。
だが、当の彼女は2人に目もくれず、言い放つ。
「呑気ね。まだ、なにも終わってないわよ」
すると、2台のヘッドライトに照らされた先、横転したバンから人影が出てきた。
それは目のある部分が漆黒の空洞、手は肘から2つに分かれ、4本の手がこちらに向かって伸びている。
スニーカーが地面を踏むたび、グシャ、ペチャと、川から這いあがってきたかのような音を響かせて。
最早、それは“人間”とは呼べない代物。
「あれが…シントラの幽霊?」とアジア系の少女が聞くが
「いや。幽霊と言うより、思念体と言った方がいいかもしれない。恐らく、この一帯に漂っていた霊体が集まり、この車と持ち主に寄生したのよ。
車のナンバーからして、最近、リスボンを騒がせていた、少女ひき逃げ事件の車両で間違いないからね」
「つまり、人間だった時に殺したのは、最初に死んだ女の子だけ…ってことか」
茶髪の彼女は、頷いた。
「どういう事情かは分からないけど、何らかの理由で複数の霊体が、犯人に憑りついてしまったに違いないわね」
「この街道沿いに墓地はないから、十中八九、地縛霊ね」
「そして人間という実態を得てしまった事、世間が名前のないソレと、単なる噂でしかなかった、ヒッチハイカーの哀れな死を関連付けたために、思念の大きさがよりでかくなってしまい、次々と人を殺し始めた…そんなところかな」
すると、プラチナブロンドの女性。
「大雑把に言えば、幽霊の塊が、人間に憑りついてでっかくなっちゃった。
そういうことか」
「…そ、そうとも言うわね」
苦笑い。
だが、問題は、そんな相手をどう、倒すか。
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