58 PSYCHIC FIREを口ずさんで…START
オールドロマン・ホテルの正面玄関にいた誰しもが振り返った。
世界に15台しかない希少車、キーティング・ボルトの進撃でもなく。
マクラーレン 675LTのハンドルを握る、新進気鋭のハリウッド俳優でもなく。
はたまた、マイバッハから降りてきたグラマラスな美女のくびれでもない。
カブリオレのBMWから降りてきた、たった一人の少女に。
駐車係が開けたドアから伸びる、艶やかな脚と、真っ赤な唇と微かなディオールの香水。真っ黒な髪からあふれ出る、アジアン・エキゾチックが夜風になびく。
姉ヶ崎あやめ。堂々と正面玄関から、敵の本拠地に上品な殴り込み。
回転扉をくぐると、真っ赤な絨毯とロウソク型のシャンデリア、旧式フォードのモックアップが出迎えるフロントロビー。
「お待ちを」
数人の黒服警備員から声をかけ、止められる。
片耳のイヤホンを押さえていることからして、恐らく警備室から指示が出ているのだろう。
これも推測だが、指示はイングラム男から。
「アヤメ・アネガサキだな」
彼女の前に立ちはだかった、中肉中背の白人男性。
あやめは、おしとやかに、そして冗談まじりにはぐらかす。
「VIP席を予約した覚えはないけど?」
「何の用で来た」
「カジノで遊びたいから来たに決まってるでしょ?」
すると、斜め後ろにいた男が言う。
「お前に、カジノで遊ぶ権利はない。お引き取り願おうか」
「それは、ネバダ州のブラックリストに基づく退去命令かしら?
私、カジノで遊ぶのは、今夜が初めてなんだけど?」
男は続ける。
「何故、このホテルを選んだ」
「そんなことまで聞くの? このカジノは…随分なサービスだこと。
ガードマンに女衒まがいのマーケティングをさせるなんてねぇ。
くだらない質問するんだったら、いっそのこと、入り口で紙と鉛筆でも配って、セレブ達にご意見ご感想でも書いてもらったら?」
少しそばを歩く人にも聞こえるくらいの声で、おどけてみせた彼女。
数人が振り返る中、あやめは言った。
「理由なんてないわ。しいて言うなら、ベガスに夜が来たから…かしら」
■
一方、外であやめがホテルに入るのを確認したリオは、すぐに、彼女が乗ってきたダットサン ブルーバードのトランクを開けた。
中には、何か特別でスゴイ、魔力装置か何かが入っているはず。
言うなれば、昼間にケサランパサランを見つけ出した、あのソフトのように。
だが――。
「なんじゃこりゃ」
そこに入っていたのは、箱に入ったおもちゃ。
塩化ビニール製のカエル人形が詰まった、大きなスクールバスのミニカー。
リオは失笑した。
「おいおい、いつからマテルはブードゥー人形なんか作るようになったんだ?
アヤのやつ、駄菓子妖術なんていうから、たいそうなモンこしらえてくると思ったら、こんな――」
メイコは、リオの言葉を遮った。
「今は御託を並べてる時じゃないですよ、リオ。早くそれを置きましょう」
「だけど……」
「あやめちゃんも、何か考えあってのことだと思います。
現に、そのバスに乗ってる人形は日本の薬局で配ってる、製薬会社のキャラクター人形です。恐らく、それが妖術の本体のはずです」
彼女の力説に負け― というより、昼間の紙風船を見ていれば、そんな淡い期待を抱いてもおかしくはないのだが― リオはスクールバスのミニカーを箱から出して、アスファルトの地面に置いた。
直後!
「あ、あれ……」
バスがひとりでに走り出し、そのままオールドロマン・ホテルの方へと向かっていく。
慌てる2人。
「何か、スイッチ押したんですか?」
「いや、押してないよ。
それに、このミニカー、リモコンどころか電池も要らないタイプの手転がしだぜ。勝手に走るなんて――っ!!」
瞬間、リオは察した。
そう、あのミニカーに妖術が仕込まれていたのだと。
「なるほど…頼んだよ。アヤ!」
2人に見守られながら、ミニカーはホテルに入っていく車の下をくぐりながら、ぐんぐんと走っていくのだった。
■
ロビーには、まだあやめが。
「何も用事がないのでしたら、もう行かせてもらうわ。
そのイヤホンで何を吹き込まれてるか知らないけど、私はただ、カジノを嗜みに来ただけよ」
足を数歩。あやめは、行く手の前に立っていた男の耳元にささやいた。
「それとも、大勢の前で淑女を力づくで犯すのが、このホテルのモラルなのかしら?」
「貴様っ…!」
後ろで聞いていた男が肩を掴んだ時だ。
「止めろ」
囁かれた男が、首を左右に振って制止し、あやめの前から退いた。
「いいだろう。カジノへの進入を許可する。
だが、手に持っているポーチの中身は調べさせてもらう。テロ対策だ」
「As you like …(ご自由に)」
男は、あやめが差し出したポーチをふんだくると、ジップを開いて中身を簡単に漁った。
化粧品とハンカチ。生理ナプキンの入った巾着。携帯電話に音楽プレーヤー。
機器には細工なし。小型拳銃等もなし。
身体検査…と行きたかったが、周囲の目線が強くなりだした。
今のところ、悪者は彼女ではなく、男たちだ。
彼は、ポーチをあやめに返した。
「もういい…」
「ありがとう。ついでに交換所の場所を教えてくださるかしら?」
「カジノを入って、すぐ右だ。観光客の上限は――」
「向こうで聞くから結構」
右手で軽く、男の手を払いのけたあやめ。
ハイヒールを響かせて、カジノの入り口をくぐった。
片手に収まる程度のチップを手に、スロットマシーンの迷路に消える。
カジノに無関心の客を、強制的に魔力へ引きずり込むトラップ。
あやめは、鼻歌を口ずさみながら、両脇で回り続けるリールの呪文を跳ねのけて、その先に足を急がせる。
“
自分を異物と言わんばかりに。
本命は、この先だ。
カジノ台を抜けたところに、バーカウンターと小さな噴水と池がある。
「グレース・ケリーの泉」…らしいが、女神が壺から水を注いでいる、ギリシャ風の彫刻があるだけ。
これが、なぜシンデレラを指すのか、理解不明だ。
だが、あやめには噴水より、その周囲の視線が気になる。
片耳に手を当てた男たちが、こちらを見てくる。
バーテンや、ゲーム中のディーラーでさえ。
しかし、彼女は動揺することはない。
「……第一段階、完了」
黒髪を耳にかけながら、あやめはつぶやくのみ。
更に奥、ブラックジャックの台は、カジノの真ん中にある。
そこは、スロットや他のカード台。そして装飾の街頭やシャンデリアで、完全に周囲の出入り口が見えない、正に逃げ場のない戦場。
あやめは、その中の一つに腰をおろした。
「よろしいかしら?」
席は、彼女が座って満席になった。
他の台には、余裕の空きがあったのに。
選んだのには訳があった。
そのディーラーの眼光が、嫌に鋭かったから。それだけ。
若いディーラーは、一瞬台の下に視線をおろすと、再度あやめの目を見て言った。
「当ホテルのブラックジャックに、
「ええ。今夜は運が味方してくれそうな気がするから」
そう言いながら、横目で周囲を見回した。
やはり、数人の男たちが片耳を押さえながら、こちらを見ている。
監視カメラのいくつかも、こちらに視点を変えるのが分かった。
天井の赤ランプが、嫌に輝いて見えたからだ。
「何か、ドリンクをお持ちしましょうか?」
不意にホールスタッフが、あやめの背後から声をかけた。
手元を見ているのが、容易に分かる。
「バラライカを」
ホールスタッフは即答したあやめに、眉をひそめ
「生憎、今夜はウォッカを切らしてましてね」
「なら、ブランデーをシェークして、サイドカーに。できるでしょ?」
あやめは両手を上げて、彼を見た。
考えていることはお見通し。何もタネは仕込んでない―― と。
「……少々お待ちを」
憎らしく、しかし声は接客の猫なで声そのままに立ち去る。
引っ張った襟の後ろに、口を近づけながら。
きょとんとした他の客を見回して、あやめはウィンクを飛ばすのだった。
「待たせて御免なさいね。さあ、ゲームを始めましょう」
カードを分けるディーラーの睨む目、それを睨み返して。
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