66 姫と王の対峙

 

 ゲイリーの口は、次に吐き出す一言を、喉の中に探し求めていた。

 だが、声帯というウォーキートーキーは、その異常事態を正確に脳へと求められずにいる。

 

 当然だ。


 釈迦よろしく、毒入りの夕餉を飲み干し、その苦悶の表情を眺めながら、地獄に突き落としたはずの少女が、自分の向かい側で仁王立ちしているのだから。


 エリス・コルネッタ


 男の築いた、幸運生産工場を探り出そうと寄ってきたスパイ。

 百戦錬磨の女探偵。


 死んだはずの女が、否、生存確率皆無の毒を全て食らったはずのバケモノが、今、そこにいた。


 「何故だ…何故生きている!」


 ようやく弾き出した模範解答に、エリスは余裕をもって答える。



 「最初の乾杯で言ったはずよ。チップをはずませるだけの幸運は、運とは呼べないって」 


 その姿は、美麗と瀟洒を忘れない、彼女を具現化した戦闘服。

 ショートフリルの白いブラウスに、あかね色にふんわりと舞う、ハイウェストのサーキュラースカート。

 天真爛漫なアン王女ヘプバーンを思い起こさせる。


 そう。王と姫。

 突き出したバルコニーの対峙は、正にダーク・ファンタジー。

 互いの全てが、心理的に、論理的に、肉体的に、ぶつかり合っている。


 「エリスっ!」

 「お待たせ。アヤ」

 「遅いわよ」


 目にうっすらと涙を浮かながら、笑みを投げるあやめに、エリスはウィンクで無事を見せつける。


 「ごめんごめん。お友達が集合時間に遅れてね」

 「よく言うわよ。水飲んで死にかけてたくせに」

 「それは言わない、お約束でしょ、マイ・ハニー?」


 そんな冗談を失笑で受け止め、エリスの後ろから、アンナとナナカが現れた。


 「バチカンだと…バカなっ!

  お前たちの用意した解毒剤の中に、我々が開発した薬を、中和するものがあったとでもいうのか!

  アレはまだ、表に出回っていないんだぞ! 不可能だ!」


 2人の姿を見て狼狽したゲイリーに、アンナは言うのだった。


 「バチカンを甘く見てもらっては困る。

  我々は世界最小にして最強の象徴だ。お前のちっぽけな会社と同等に考えるな」

 「だが… お前たちスパイが、どうして…」

 「いいことを教えてあげる。

  バチカンのスパイには、あらゆる薬や毒、ウィルスに精通する医療部隊が存在するのさ。日々、病原体や麻薬の研究を行い、解毒剤を生み出し続けるセクション。

  第11部隊、ルカ。

  医者の称号を持つ彼らの前に、解毒できない病なんてない」


 ここからは、エリスが変わる。


 「コロニープラネットで、貴方が飲み物を買いに行っている間に、私はナナカを通して、ルカが作った新作の解毒剤を受け取ったのよ。

  そいつを歯の奥に仕込んで、モノレールから落とされた後に、隙を見計らって飲んだって訳。

  殺すなら、人がおらず、周囲が暗くなる夜。それも毒を盛りやすいディナーの前後って踏んでたけから、まあ、動きやすかったわぁ」

 「この野郎…っ!」

 

 悔しがるゲイリーをよそに、あやめはシレーナに向けて叫んだ。

 

 「エリスちゃん、これっ……!」


 シレーナめがけて投げたのは、死んだ兵士のドッグタグ。

 涼しい顔で、それを見た彼女は


 「2003年のイラク……なるほどね…」


 と、独り言を飛ばして、再度、ゲイリーを見た。


 「ゲイリー・アープ!」

 「!!」

 「媚を売るのは終わりよ。

  ここからは、徹底的につぶす気だから、覚悟してね」


 胸を張った宣言を、男は高らかに笑い飛ばす。


 「残念だが、それは無理な注文だ。ここは我々のテリトリーだぞ?

  お前たちが何のために我々に接触したのかは、もう分かってる。

  どれだけ無数の槍を飛ばそうと、私の身体は一本たりとも貫けない!」

 「それは、ケサランパサランを持っている。故に、自分たちの幸運は続く……ということかしら?」


 エリスの言葉に、ゲイリーは頷いた。

 

 「その通りだ。

  そのために、来る日のために、私はあらゆる人間から運を奪い続けてきたんだ。

  命に固執してためてきた、膨大な貯金に他ならない。

  お前たちの貧弱な口座が、私の大金に勝てるわけがない」


 嫌みな笑みに、少女は失笑交じりに首を振る。


 「盗人猛猛しいわねぇ」


 エリスは鋭く彼を睨みつけて、高らかに言い放った!

 用意された舞台。

 姫の意志は固い!


 「この際だから、はっきり言わせてもらうわよ、ゲイリー・アープ。

  自分が生き続けるために、人から命を奪う権利なんて、どこにもないのよ。

  お前がやっていることは、人間の道理を外れた、ただの殺人。

  膨大な貯金? 違うね。

  お前の口座は最初っから空っぽだったのさ。

  貯めていると思っていた宝は、全て幻。

  人間なんてね、いつかは死ぬのよ。

  NO ONE LIVES FOREVER …オインゴ・ボインゴが唱えた通り、妖怪を使おうが、財産を築こうが、人は自らのタイムリミットを変えることはできないし、許されることではない。

  お前は幻のため、命を貰えるという妄言の前に、何人もの命を奪ったんだ。

  これを悲劇コメディーと呼ばずに、なんていうのかしら?」


 「そういう綺麗事が、人の価値をゆがませるんだ!」


 ゲイリーは、突然に叫んだ。

 顔をゆがませた姿に、エリスは彼を悪魔と認識した。


 「だから、君は私の言うことが理解できなかったんだ。

  死と隣り合わせの場所にいながら、私が見つけた本質を理解できない。

  こんな愚かな女が、バチカン最強の司教聖士とはね。カトリックも落ちぶれるものだ…」

 

 エリスは言う。


 「いいや、違うわね」

 「なんだと?」

 「確かに、お前は死ぬことが怖い。

  それは嘘じゃないはず。

  ホテルでのひきつけ、さっきの交通事故が、それを証明しているからね。

  でもそれ以上に、否定されるのが怖いのよね?

  高説垂れた、その理論が」


 「違う!」と喚くゲイリー。

 

 「お前の周りにいる人間を調べさせてもらったよ。

  興味を引いたのは、経歴だ。

  ケサランパサランに関わっている人間は全員、戦争経験者だ。ソマリアやイラクから戻り、心を病んだ帰還兵。

  彼らもケサランパサランを持ってるんでしょ?

  おそらく、目的は命のお守り」

 「黙れ!」

 「自分の真理を受け入れる人間を雇い、ケサランパサランを配って、自分の周りに駒として置いてある。

  でもそれは、自分のしていることが正しいと、完全に言い聞かせることができなかったから。

  イエスマンだらけの軍隊、自分の考えに固執する生活……若き起業家が聞いて呆れるわね」


 ゲイリーの中で、理性が感情に負けた。

 「黙れ、黙れ、黙れ!」


 単純で愚かな手段。シャットダウンすらできない。



 「その様子で、これまで事業を拡大できたのも、完全にケサランパサランの御利益ってところかな?

  要は子供なのよ。

  1人じゃなにもできずに、シーツに体をくるんで体を震わせる、ただの幼いガキ」


 チャキっ…!


 シレーナの右手が、愛銃を向かいの人物に向けられる。

 MP412 REX。

 中折れ式リボルバーの銃口が、ゲイリーの脳天に絞られた。


 「さあ、坊や。

  そろそろ、夢から覚める時間よ。

  怯えなくていいわ。死なんて…どうせ……いえ、貴方の前では、戯言以外の何物でもないんでしょうけど」

 「俺は死なない。死にたくない」

 「そう。だったら、今わの際に教えて頂戴な。

  ボン・ヴォリーニをどこに連れて行った?

  ケサランパサランを作ってる本拠地は、どこ?」


 沈黙が、つかの間、戦場を漂う。

 互いの心臓の鼓動が、表に聞こえそうなくらいに脈を打つ。

 震えるエリスの手。

 引き金を押さえようと、指の筋肉がはりさけそう――!


 その時だ!


 「!?」


 ダーンと、激しい爆発音で閉ざされていたカジノのドアが、壁もろども吹き飛んだのだ。

 何かが衝突した。

 それは明らかなのだが――。


 「エリスちゃんっ!!」

 「アレは!」


 壁を破り、転がってきた物体。

 土煙が収まると、現れたのは、原形をとどめないほどに大破したカシャだった。

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