65 あやめの叫び…そして、復活!
火花の散るスロットマシン。
折れたオブジェのガス灯。
そして、壁や天井、カーペットに刻まれた弾丸のブチ模様を彩るかのように、死体が転がり血を垂れ流す。
その中で、姉ヶ崎あやめは優雅に立っていた。
袖に付いた返り血を、不機嫌そうにハンカチで拭いながら。
「はぁ……シミになっちゃう。これ、ミラノで買ったばかりなのに」
その時、足元に転がる死体に目が行った。
首からぶら下がる、銀色の首飾り。
それを纏った死体がいくつも、否、ほとんどの兵士が、その首飾りをスーツの下からつけていたのだから。
「これって…ドッグタグ!?」
あやめは、その一つを取り上げた。
長円形の金属版、そこには名前や血液型、認識番号や所属軍が刻み込まれていた。
ドッグタグ― 正式には認識票と呼ばれるもので、兵士が身元確認のために携帯している金属製のタグである。
「まさか、この人たちって、軍人!?」
「ああ、そうさ!
連中は、クエートやアフガンから帰ってきた、元アメリカ兵だ。
社長が、直々にリクルートした人材なんだよ」
背後で声がして、彼女はゆっくりと振り返った。
「あなたも、その1人って訳だ。ミスター・イングラム」
イングラム男は、愛銃を持つ手が震えていた。
目の前にいる、まだ幼き少女に恐怖して。
「チクショウ、何なんだテメエは…アニー・オークレイのつもりかよ。ええ?」
溜息を1つ、あやめは大きく手を振りながら反論する。
「私が、すき好んで人殺ししてるとでも? 冗談。
アンタたちが多勢で、こっちに銃を向けてきたから、反撃しただけよ。
私たちは単に、ケサランパサランがどこにあるか、あのボン・ヴォリーニがどこに行ったのかが知りたいだけ。
それさえ教えてくれれば、床にブラッディ・マリーをぶちまけずに済んだものを……」
怒りに男は、顔を赤くする。
「ふ、ふざけやがって」
「ふざけてるのは、そっちでしょ?
見てみなさいよ。
“時雨星”撃っても、どんどん兵隊来るから、この有様。
まるでキル・ビルじゃん。ルーシー・リューも真っ青よ」
「ならばテメーも、ゴーゴーと同じめにあわせてやろうか? ああ!!」
その威勢も、最早負け犬の遠吠え。
あやめは、愛銃 ベレッタを突き付けて言うのだった。
「そういうのいいから。
もう、吐いてラクになりなさいな。ボーイ。
今日だけで、カスター将軍並みに、大勢の兵士を失ってる。どのみちアンタは、無能の烙印を押されて始末される運命。
ならば、もう何かを守ろうだなんて、無駄な事じゃない?」
銃を握るあやめの瞳は、ヘドロのように黒く、光すら閉ざす程に濁っていた。
「さあ、吐きなよ。
ボン・ヴォリーニは、どこにいった?
ホテルでは愛撫で終わったけど…今回は、一発、かますからね?」
銃のセーフティーをカチリと下ろす。
引き金に力が入る。
その威圧に、イングラム男は負けた。
「…ボン・ヴォリーニは地下に行った」
「それは、このカジノとホテルの間にある、秘密の部屋?」
「ああ。アンタがディーラーから奪った社員証で入れる。
壁から出ている防火サイレンが、ID認証装置になってるんだ」
あやめは続ける。
「つまり、このホテルの地下に、ケサランパサランを?」
「いや、違う」
「違う?」
「この地下にあるのは…駅だ」
やはり。
彼女は、エリスの仮説に頷きを隠せない。
「ここから、フェニックス・インペリアルまで直通の地下鉄がある。
元は、カジノの売り上げを、強盗から守るために作られた極秘の鉄道だ。
ケサランパサランを渡される、初めての人間は、ここから地下鉄に乗って、フェニックス・インペリアルにある培養工場に入るんだ。
人の目をごまかせるし、カモフラージュもできる」
「なるほどね…じゃあ、フェニックス・インペリアル側から、そこに入るのは――」
イングラム男は口元をゆがませた。
「無理だろうぜ。
ミニミでも撃破できない、7枚の鋼鉄扉、しかも上級幹部のIDしか受け付けないソレに、守られているんだからな。
いや……このタイミングなら、ここからでも無理だな」
その言葉に、あやめは眉を動かす。
「どういうこと?」
「あの地下鉄には自爆装置がセットされているんだ。地上で緊急事態があると、非常無線がフェニックス・インペリアルに飛び、無人の電車がトンネル内で爆発するようになっているのさ!」
「爆発…!」
「つまり、ここから培養工場に入ろうったって、無理な話なのさ。
もうじき、ベガスの地下で爆発が起こる。
ガス管が数本オシャカニなるだろうが…まあ、それで済めばいい」
すると、イングラム男は、手にしているM10の撃鉄をおろす。
「俺がこんなに歌ったのはな、もう、ケサランパサランの心配をする必要がなくなったからさ」
そう言って、彼が懐から出したもの――
「そ、それは!」
小さな瓶の中に浮かぶ、小さなケサランパサラン。
ふわふわと浮く綿毛が、そこにいた。
「俺には幸運の女神がいる。死ぬことなんて、絶対にない。
進路は何処にもない。
そして、俺の一番の仕事は、アネガサキ。お前を殺すことだ。
綺麗な体に、飽きるほど穴をあけて、飽きるほどなぶり、そして、飽きるほど犯しつくしてやる!」
あやめは、その瓶を見て感じた。
底に、僅かだが結界を張っている。
「目くらましの護符…明らかに、アジア圏の魔術!」
「そうさ。陰陽師の力を継いだ、我が社長の自信作だ。
最も、これを持てるのは俺やジェンキンスのような上級職。
ここにいる兵士たちは、未完成な奇形体しか持っていないし、それが命を守る究極の砦だ」
瞬間、あやめは察した。
「ジェンキンスは、兵士たちにもケサランパサランを!?」
「そうだ。
ここにいる兵士たちは、帰国後にPTSDを患い、日常生活も満足に送れなかったやつらばかりだ。
ランボーのように、駐車係もさせてもらえない、酒と麻薬に溺れるだけの英雄。
ゲイリー社長は、そういう奴にケサランパサランを渡し、幸運と命の安泰を呼ぶお守りを授ける条件に、このホテルの警備をさせているのさ。
殺しにやってくる敵の幻影から逃げるために」
あやめは聞く。
「ジェンキンスもまた、その1人」
「この際だ、ゲロしてやるよ。
あの男は、ブラックホークダウンの生き残りさ。帰国後、毎日ゲリラに襲われる夢を見て、精神を病んでいた。
だが、あの男もケサランパサランを得てから、毎日、誰かに殺される妄想から解放された。
今や、3つのホテルの総支配人だぜ」
あやめは続けた。
「アンタも、確かイラクにいたって、言ってたわね」
「任務中に自動車爆弾で仲間が死んだ。それでPTSDさ。
ベッドの中でも襲ってくる、タリバンの悪夢から解放されたんだ。あのケサランパサランとかいう生き物のマジックでな。
どういう訳か知らないが、奴を持っていれば、幸運は一生続く。
もし、アレと知りあって無ければ、俺は今でも酒におぼれ、マクベイのように妄想に憑りつかれて人を殺したかもしれない。
ケサランパサランのおかげで、自分を殺さずに済んだ。
だから俺は、その恩に報いるために、この綿毛を守る犬になったんだ」
しかし、彼女はゆっくりと首を横に振るだけ。
「生きるために?
…いいえ。アンタはただ逃げたかっただけ。それを、義理とか人情っていう無価値の包み紙で隠しているだけ」
「んだとぉ!」
「逃げるな、戦え。
心の傷に、そんな安っぽい手前味噌を塗りこむ愚行、私はしたくない。
でも、あえて言わせてもらうわ。
アンタは治ったんじゃない! ただ、逃げたんだ!
治るために、自分をもう一度見るのが苦痛で仕方なかったから!
目先にある快感のために、魂を売ったのよ!
自分と向き合う努力を、たやすく投げ捨ててね!
恩に報いるために犬になった?
ふざけないで!
アンタのしていることは、麻薬を守る反政府軍と同じ。そう、アンタが国のために戦った相手と、全く同じところにまで落ちてしまっているのよ!
それを逃げって言わないで、なんて言うのか教えて!」
ダダダダダ!
イングラムが火を噴き、あやめの怒涛の演説をシャットダウン。
彼の顔は、真っ赤に染めあがっていた。
「これ以上喋るな…次は、胸にぶち込んでやる!」
彼には、何を言っても無駄だ。
あやめは、その唇を固く閉ざした。
「ああ、確かに、この綿毛は麻薬かもしれねぇ。
だが、コイツは自分の意志で、幸運を与えてくれる。命を何度も守ってくれる。
分かるか。麻薬と違って、コイツを持った人間は殺せねえし、幸運がある限り死なねぇんだ」
ならば、と。
あやめのベレッタが、イングラム男の心臓に照準を定めた。
「分からねえのかよ、ヤンキー・ガール!
殺そうとしても無駄なんだよ!
俺も、ゲイリーも、この
しかし、あやめは動揺せず、銃を持つ腕を伸ばしたまま、言い放った。
「無駄?
無駄かどうかは、私たちが決める。
私たちは、ノクターンは、この世に怪奇がある限り、その全てを万遍なく、破邪顕正のもとに解決する!
私たち探偵に、不可能の文字はない!」
その時だ!
「私たち? お前だけだろう」
ダアーン!
背後から、あやめの肩を貫いた銃弾。
何が起きたか、理解するまもなく、彼女は前かがみに倒れ、傷口を押さえた。
「うぐっ…」
ジワリとにじみ出る血。
顔をゆがめて起き上がった先。
2階ステージに立つ、ゲイリー・アープの姿があった。
「お…まえっ…」
右手に持つ機関拳銃 スチェッキンの銃口から、まだ煙が昇っている。
「残念だったな。ミス・アネガサキ。
君の大親友、エリス・コルネッタは死んだよ」
そう言って、左手に掲げたワルサーPPKに、あやめの瞳は揺らいだ。
今朝、別れるときに見た。
エリスがホルスターに仕舞いこんでいた銃に間違いない。
「う…そ…」
「みっともない最期だったよ。
筋弛緩薬を打たれて、なにも抵抗できずに池ポチャさ。
マゾの気でもあるのか、腹を蹴られる度に、涎を垂らしてねぇ」
ステージから、あやめの足元へと放り投げられた拳銃。
ガチャンという音が、むなしく響く。
「まったく、揃いもそろって、下品な泥棒ネコだ。
お前たちが、ケサランパサラン狙いのスパイだって分かってたら、もう少し早く殺していたんだが……流石、噂に聞くバチカンのスパイだ。はずかしい話が、全く気が付かなかったよ」
「……っ!」
涙を見せることなく、あやめは頭上にいる男を睨むだけ。
しかし、銃口は彼女の脳天を捉えたまま
動けば―― 撃たれる!
「安心しなよ。
悲しまなくても、今からお前を、あの女のもとに送ってやるからよぉ」
その時だ。
「私の仲間を、誰のもとに送るって?」
その声に、少女は頬を赤らめ、男は顔を青くした。
ゲイリーがいる側と、対になっているステージ。
その扉が開かれ、現れたのは――
「そ、そ、そそそそ…そんな…そ――」
「嬉しがらなくてもいいのよ。
それとも、マゾの気でもあるのかしら? ミスター・ゲイリー」
腰まである長い茶髪、燃えるような瞳、首には赤い十字架のペンダント。
「そ、そんなバカなぁあっ!」
彼が叫ぶのも無理はない。
向かい側に立つのは、見覚えのある少女。
ついさっき殺したはずの相手。
彼女が、そこにいたからだ。
「何故生きている! エリス・コルネッタぁあああっ!」
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