51 ブルーバード狂騒曲

 あやめが、メイコから言われていたパーキングスペースへ走ると、そこに確かにクセのある代車はいた。


 71年式 ダットサンブルーバード 510型。


 全身が角ばったブルーの4ドアセダン。左ハンドルの北米仕様だ。

 オールドスタイルながら、流れるフォルムに宿る粗っぽさは健在。

 ドアを開けて、キーを回す。

 力強いエンジン音と、付けっぱなしのオーディオから流れるミュージックが、二重奏を唄う。


 「狩りをするには、悪くない車ね」


 あやめは、ブルーバードのアクセルを踏み急発進。

 ドリフトしながら、ストリートへ。

 抗議のクラクションとブレーキも、大音量で流れるテレンス・トレンド・ダーヴィーの前では、蚊の羽音。


 She Kiss Me

 ダークなロックンロールが、ハンドルを握る彼女の気分を落ち着かせる。


 前を走る一般車両を次々と追い越し、交差点を曲がりながら、逃げた相手を必死に探す。

 日も暮れてきた。

 ヘッドライトの灯が、アスファルトに反射し始めるころだ。


 パラダイス・ロードを直進。

 次の交差点を右へ。

 いた。

 

 ワイヤレスフォンのスイッチを入れる。


 「こちら、アヤ。対象車両を補足。

  フロントの破損した、赤のAMG-GT。

  今、核実験博物館前を通過。イースト・フラミンゴ・ロードを東進中!」

 ――了解。

   どうやら、その車も訳アリみたいよ。


 あやめは聞き返す。


 「どういうこと?」

 ――駐車係が言ってるのよ。

   自分の知ってる車だったって。

   ドライバーも。

 「つまり…同業?」

 ――御明察。

   フェニックスグループホテル総支配人、ジェンキンス。

   あの下品なグリルをしていた奴さ。

 「奴が…っ!」


 あやめの表情が、一気に硬くなった。


 片側四車線の巨大道路。

 あやめの乗るブルーバードは、間に数台の乗用車を挟みながら、しっかりとジェンキンスのAMGを捉えて離さない。 


 しかし、彼女には嫌な予感がした。

 ある意味では捕虜であった仲間を、こうして救出し逃走している。

 セーフスポットに逃げ込むのが、セオリーだ。

 

 彼らの安全地帯は無論、ゲイリーが経営する3つのホテルで、ともにストリップ沿いにある。


 それなのに、2人の乗った車は、どんどんストリップから離れていく。

 ラスベガス空港に向かうかと思ったが、そうでもない。

 

 2台は、郊外を南北に走る、サウス・サンドヒル・ロードとの交差点に差し掛かる。

 この辺りに来ると、ホテルやカジノは消え、周囲は整然とした住宅街。

 街道沿いにはスーパーマーケットや、ドライブスルーの調剤薬局が並ぶ。


 左折したAMG-GT。

 入れ替わるように右側、セブンイレブンの陰から黒のキャデラックが2台、あやめの走る車線を逆走しながら現れた。

 助手席に、箱乗りした上に、自動小銃 DSA SA58を構えた黒服男を乗せて。


 「チッ!」

 ――どうした、アヤ!

 「ハメられたわ…見事にね」


 無線をいったん切り、あやめは片手を助手席の後ろに回しながら、背後を走る車両を目視で確認する。

 狭い空間に迫りくる、光の群像。


 「普通車9台に、スクールバスが1台…か」

 

 あやめの走る道路。

 先の交差点の信号は、青。

 逆走してくるキャデラックは、クラクションを鳴らされてもお構いなしに、一般車を弾き飛ばしながら、迫ってくる。


 「バックスラロームなんて久しぶりだけど」


 再度、眼前の2台を睨む。

 覚悟を決めたように、肩で深呼吸。


 「やるしかない!」


 ギアをRに。

 アクセルを思いきり踏み込んだ!


 彼女のダットサン ブルーバードが後ろ向きに逆走を開始した。


 すかさず、キャデラックも急加速。

 男たちが自動小銃をトリガーを引き、弾丸が間髪入れず、あやめへ向けて打ち込まれていく。

 

 だが、一発も当たらない。


 それどころか、彼女は華麗なハンドルさばきと、芸術もののスラローム走行を披露していく。


 銃乱射に慌てる後続車。

 ブレーキを踏み、ハンドルを切り返す車に接触することなく、否、まるでそこに、車など走ってきていない、停車していたとでも言わんばかりに避けていく。

 無論、後ろ向きで、である。


 4台…5台…6台…。


 ルームミラーを目でのぞき込むだけ。

 あやめは、神経をとがらせていた。


 7台…8台…9台…。


 そして最後、車体を揺らしながら、車線中央を走ってくるボンネットタイプのスクールバス。

 あやめに恐怖も迷いもない!

 伸びた鼻の、左端をかすめると、バスはそのままスリップ!

 車線を完全にふさいでしまった。

 

 慌てて急停車するキャデラック。

 だが、一台が止まり切れず、スクールバスの側面に思いっきり激突。

 互いの車体が、一瞬道路から浮かび、箱乗りしていた男が、勢い余ってバスの窓を貫通する。


 涼しい顔のまま、黄色い壁の向こうで、あやめのブルーバードはスピンターン。

 間髪入れずにギアを入れ替え、一目散に逃げ始めた。

 分離帯を飛び越え、右車線に戻って。


 追いかけてくる、もう一台のキャデラックを、あやめはバックミラー越しに確認して、更にアクセルを踏み込むのだった。


 「ふふ…」


 楽しそうに口元を緩ませる。

 あやめは、ハンドルを切って、入り組んだ住宅街の中に逃げ込んだ。


 サイドミラーにキャデラックの影が見えるも、すぐにカーブの向こうへと消えていく。

 人工的に整備された道。

 住宅ごとに割り振られたブロックに沿ってできたコースは、サーキット場のようにテクニックを要する。

 

 あやめはギアとクラッチを上手く入り組ませ、相手を奔走していく。

 小路を曲がり、通りを横切って別の住宅街。

 カーブを曲がり、また交差点を通り過ぎる。


 スキール音と、ヘッドライトの微かな光で、キャデラックが辛うじて追いついているのは分かった。

 両端を同じような白壁ガレージ付きの住宅が、等間隔で過ぎ去る風景に、あやめは「もう、飽きてきたなぁ」と愚痴をこぼし、ハンドルを強く握った。



 「そろそろ、終わりにしようかな」



 彼女は、ダットサンのアクセルを踏み込み、キャデラックとの距離を取る。

 車は住宅街を出て、ようやく大通りに。


 キャデラックの運転手は、ブルーバードの四角いテールライトが、左に曲がるのを確認。

 左折した。

 すかさず後を追って、ハンドルを左に――。



 今度は、彼らがハメられた。



 片側三車線道路。

 路肩に停車したブルーバードを降り、あやめが両手で銃を構えていた。

 ベレッタ85Fの銃口。

 あやめの凍った視線とソレが重なる先に、今さっき通りへとおびき出されたキャデラックのヘッドライトが。


 迫りくる黒い巨体。


 助手席の男が、自動小銃を手にしたと同時に、あやめはすかさずトリガーを引く。


 バン! バン! バン!


 連続した三発の銃声。

 その全てがフロントガラスと共に、助手席の男の胸と喉を貫き、反射的か、男は車内で自動小銃の引き金を引いた。


 連続した銃声と、一気に血で染まるフロントガラス。


 あやめの横を、速度を落とさずに通り過ぎたキャデラックは、そのまま反対車線に飛び出し、走ってきたトレーラーと正面衝突!

 ボンネットから運転席までが押しつぶされ、引きずられる車体。

 トレーラーが速度を落としたときには、車体から散る火花がガソリンに引火し、キャデラックは大爆発を起こすのだった。


 真っ赤な炎に包まれ、最早、後部タイヤだけが、それを車だと証明してくれるだけ。



 通りすがりの群衆、商店から飛び出した人たち見ることなく、あやめは銃の安全装置をかけながら、車へと戻った。

 エンジンをかけ、火の玉と化したキャデラックをやり過ごしながら、車をラスベガス中心部へと走らせていく。


 「リオ?」


 ワイヤレスフォンからの通信に、リオは驚きの声を上げた。


 ――アヤ! 無事なのか?

 「ええ。イングラム男の手下を軽くひねってあげたわ」

 ――で、奴の車は?

 「完全に見失ったわ。でも、こうやって妨害してきたってことは、そのすきに、あの3つのホテルのどれかに逃げたってことになるわ」


 そう、これからが盛り上がる時間の、ラスベガス。

 ストリートを、破損している高級車で駆け抜ければ、最悪、警察に捕まる可能性だってあるのだ。

 

 そうなれば、イングラム男とジェンキンスがどこに行くかは、容易に見当がつく。

 フェニックス・インペリアルグループのホテル。

 正確に言うなれば、ラスベガスにある、3つのホテルのどれか。


 仲間が妨害していた隙に、そこへと逃げ込んだに違いない。

 しかし、どのホテルなのか……。


 すると、無線の声が、リオからメイコへと変わった。


 ――あやめちゃん?

 「メイコ。怪我、痛まない?」

 ――全然平気。それより、ボン・ヴォリーニの乗ったリムジンが、ストリップに向かったって連絡が、ついさっき。

 「とうとう動き出したか…っ!」

 ――私たちも、ホテルを出るわ。

   少し離れた、ストラスフィアの足元で、落ち合いましょ?

 「オーケイ」


 あやめは焦る思いを現すかのように、アクセルを踏み込んだ。

 荒々しく、前の車を避けていく背後で、うっすらと満月が浮かぼうとしていた。


 この街が、再び夜に包まれる。


 彼女たちを、正念場たるワルプルギスへ、いざないながら――。 


 

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