53 語られるゲイリーの過去


 「こんなことを話すのは、君が初めてだ」


 ゲイリーは、カクテルグラスを持ち、エクソシストのライトブルーを見ながら語り始めた。


 「私は古臭い田舎の、農家の出だった。

  こう見えてかなり貧しい家の出でね、父は家にこもって飲んだくれ。母は蒸発。

  毎日酒瓶で殴られ、パンを買う金すら、一時の酔いを与えるラムに代わる。

  毎日、いつ死ぬのか。父と死神と…いや、その2つは同体だったのかもしれない。とにかく毎日を怯えながら過ごした」


 エリスはただ、彼の方に首をむけるだけ。

 静かに聞いていた。


 「そして、いつの日か思うようになった。

  父のようになりたくない。死神から逃れたい。

  そのためにはお金だ。お金があればモノが食べられる。いい服を着れる。いい家に住める。

  何より、死なずに済むんだ。ちゃんと飯が食えるわけだからね。

  私は一生懸命勉強した。父を捨て都会に出て、大学まで行った」

 「……」

 「大学を出てすぐ、私は会社を興した。

  自動車や家電の精密機器を扱う工場だ。

  衛星携帯電話の構想もあったおかげで、5年で3つの工場と6の支店を開いた。

  私は念願のお金を手に入れた。死なないためのお金を」


 「でも、その会社は――」


 エリスの言葉に、ゲイリーは首を横に振った。


 「倒産したよ。正式には吸収された、が正しい言い方だろうがね。

  当時、アメリカになだれ込んできた日本企業と、ジャパニーズマネーに押されてね。あっけなかったさ」

 「……」


 ゲイリーは続けた。


 「私は文字通りの一文無し。ホームレスになって惨めな生活を送ることになった。

  カートを押してストリートを歩き、つい昨日まで自分がいた側の男たちに、ニッケルをせがむ生活。

  ショーウィンドウに映ったのは、あの糞親父と同じ姿ときたら…我ながら笑いが起きたよ。

  全部がどうでもよくなった。

  そんなときさ、あの人と出会ったのは」


 「人生の師匠…という人ですか?」

 

 ゲイリーは頷いた。


 「うつむく私に手を差し伸べてくれたのは、日系人だった。

  皮肉なもんさ。日本人の血が全てをツナミのように掻っ攫い、その更地に日本人の血がタネをまいたんだからね」

 「俗にいう、ジャパン・アズ・ナンバーワン、ですか」

 「そうだ」


 エリスは再び、マンハッタンを一口。

 彼女には、それがケサランパサランを強奪した陰陽師の末裔、ジェイク・三沢の事であると察したが、それを表面に出してはいけない。

 重要な証拠を手に入れても、彼女はただの観光客を演じる。


 「とは言うが、日本人とアメリカ人のハーフで、長いことハワイに住んでいた奴でね。大っぴらに日本人と言っていいかは微妙なところだね。

  とにかく、私は彼からいろいろなことを教わった。

  お金と仕事だけがすべてだった私に、人生のコツってものを授けてくれたんだ」


 「人生のコツ…その師匠は、牧師か何かだったんですか?」


 瞬間、ゲイリーはぎろりと、エリスの方を見たが彼女は動じず。


 「まあ、そんなもんさ。

  あの頃は、日々が勉強だった。何もかもが新しかった。

  いい日々だった…。

  忌々しい暴動が起きるまでは」


 瞬間、ゲイリーは何を思ったのか、グラスを一気に傾けてカクテルを飲み干した。


 「深夜零時前。コリアタウンと黒人居留区の境界線さ。

  私と師匠は、燃え盛る街を逃げ惑う中で路地に迷い、そこで暴徒に襲われた。

  白人の私も、殺されることを覚悟したが、真っ先に襲われたのは師匠だった。

  なんせ、アジア人街区の近くだったからな。

  師匠は、5人の男たちに取り囲まれてリンチされた。

  私は棍棒やブロックで殴り掛かる暴徒から、必死に逃げるので精いっぱいだった。

  燃え盛るパームツリーを目印に、どうにか大通りを目指したよ。

  ここでまごまごしてたら死ぬって、子供でも分かってたからね。

  すぐに師匠の声は聞こえなくなった。

  その代わりに、銃声が6発。立て続けに聞こえた。

  薬莢が落ちる音と、吐き出されるスラングが嫌に怖かった。

  私は大通りに出ると、すぐに助けを求めようと車道に飛び出した。

  向こう側から消防車が5月

  手を振ったが、サイレンを鳴らしながら、私なんて見えてないように通り過ぎていったよ。

  当然さ。その消防車、何発も弾丸が撃ち込まれ、血を流した隊員が死に物狂いでアクセルを踏んでたんだから。

  ……私は、師匠を助けられなかった。死体がある場所にすら戻れなかった」


 怒涛の勢いで話し終えたゲイリーに、エリスは手を差し伸べようとしたが


 「だから、私は彼の教えてくれたもの、授かった力に報いろうと思った。

  焼け跡にホテルを建てて、ロスの再建に力を貸そうってね。

  そうして、今に至るって訳だ。

  でも、師匠を失った今でも、その傷はいえない。

  だから、師匠を助けられなかった象徴である、燃えたパームツリーは、私の中では不吉なアイテムなのさ」


 まるで、終わりが見えないカントリーミュージックのように、昔話が飛び出す。

 だが――


 「報いる…あなたが授かった力って、何?」


 その時だ。

 ゲイリーのiPhoneが鳴った。

 失礼と一言。今度は、その場で電話に。


 「私だ。今から戻る…ああ、例の場所に」


 電話を切ると、ゲイリーは紙幣を3枚、カウンターに置いて立ち上がった。

 

 「送っていこう」


 エリスもまた、飲みかけのマンハッタンを置いて、席を立った。


 「ありがとう」


 その時だ。

 見覚えのある男が、入れ替わり、バーへと入ってきた。

 嬉しそうに、頬を緩めながら。 


 (あいつ…確か、コモ湖の前でトラブってた酔っ払い)


 そう、あやめ達と合流する直前に見かけた泥酔者。

 カジノで大敗したやけ酒におぼれていた彼だが、どうやら今夜は違うらしい。


 意気揚々とバーボン・ソーダを、それも、この店で一番高価なバーボンで、と注文する男に、バーテンダーは「何か、いいとでも?」と聞いてみた。


 「もちろんさ。今朝からカジノで勝ちっぱなしなんだ」

 「それはそれは」

 「俺にもツキが回ってきたんだろうな。

  だって、ベガスに4日いてずうっと負けっぱなしだったのに、最後の日の今日になって、スロットもルーレットもポーカーも勝ちっぱなしなんだ。

  どのホテル、どのカジノにいても。

  こりゃあ、ベガスの奇跡に祝杯をあげないといけねえ。

  明日、バルセロナに帰らなきゃいけないのが惜しいくらいだ」


 その言葉に、エリスはまたしても違和感を覚えた。


 (似てる…まるで、ケサランパサランを得た被害者たちのよう。

  器以上の幸運を短時間で得た人間……。

  どういうこと? 彼は単なる観光客にしか見えないし、ケサランパサランの気配すらない)


 彼女は後ろ髪を引かれるような感覚のまま、バーを後にゲイリーと歩みを共にするのだった。


 (いいわ。彼がジェイクと接点があった事は見えた。

  後は、ケサランパサラン如何……か)

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