90 ゲイリーが死んだ、毛玉が殺した

 エリスは、眼前にいる一つの毛玉に、事実を見た!

 

 漂っているケサランパサランたちのほとんどが、目や口のない奇形種なのだ。

 今まで逃げ回るのに夢中で気づかなかった。

 綿毛のほとんどは、再生能力がない。

 傷口を治すだけなら十二分な量は、この空間にいるのだろう。

 だが、欠損した腕を元通りにするだけの個体が、ここにはいない。


 「いいえ……それこそ、突破天か?」

 「どうしたのよ、エリス?」

 

 隣で弾丸を装填するあやめに、エリスは言った。


 「アヤ、あの巨大なケサランパサラン」

 「そういえば、なんのアクションも起こしていないわね」

 「そう。

  ゲイリーの失われた腕を治癒するだけの能力があるのは、あの親玉だけよ。

  なのに、この状況でも動いていないし、私たちに危害を加えようともせず、その場にじっとしている……あなたなら、どう見る?」


 確かに。

 巨大なケサランパサランは、その場に鎮座し、触手を天井に伸ばしてふわふわと動かしているだけ。

 思えば、ネオ・メイスンと行動しているときも、何もしなかった。


 「推測に過ぎないけど。

  ゲイリーの姿を青年にした時点で、大量の霊気を使い果たしたんじゃないかしら?

  だから、動くことも、攻撃することもできない。 

  でも、死ぬレベルの消耗じゃない」

 「つまり、あの親玉は疲弊しているってこと?」

 「30年近く、ゲイリーはケサランパサランを利用して、その若さや年齢さえコントロールし、保っていた。

  今考えれば、そんなこと、普通の小さな毛玉をかき集めてできる所業じゃない。

  奴は定期的に、いいえ、毎日、あの巨大なケサランパサランから、運を吸収して、全ての幸運を保っていた。

  吸収される霊気の量や、ケサランパサランにかかるストレスも、かなりのものだと想定できる。

  そこに来て、今度は若返り、肉体のパワーの増強を、欲張りなゲイリーに与えた」


 エリスは、その推理を理解した。


 「つまり、命の巻き戻し」


 あやめは頷く。


 「あの巨大な体を制御できるほどの霊気やパワーが、残っていなくても不思議ではないわ!」


 その上で、エリスは次の質問をあやめに投げかける。


 「だったら、アヤ。

  あの親玉に傷を負わせたら、一体どうなる?」

 「えっ!?」

 「ゲイリーは必ず、ケサランパサランを使って傷を治しにかかる。

  いや、奴の身体はもう、ケサランパサランを取り込みやすい肉体になっているみたいなの。

  でも、奴が破壊したポッドの中身は、ほとんど奇形種しかいなかった。

  だったら、もう、この工場にいる、ゲイリーの供給源となるケサランパサランは、あの巨大な親玉しかいないってことになるわ」

 

 あやめは、苦い顔をして言った。

 

 「確かに、理論的にはそうなるけど……」

 「なんなの?」 

 「あれだけの巨大な妖怪が、絶命寸前まで追い込まれたら、一体どうなるか」

 

 喉奥に何かが詰まったように、答えに抵抗を持つあやめ。

 だが、エリスは逆に、チャンスと思っているようだ。


 「ということは、やってみる価値はあるってことね」

 「簡単に言うわねぇ。

  何が起きても、命の保証はできないってことよ」

 「五体満足と天寿にすがるような奴に、この商売ができると思って?」

 「そりゃそうだ…」


 溜息を1つ。

 あやめは、ベレッタの銃身をスライドさせた!


 「どう調理するかは、エリスに任せるわ。

  援護は私に任せて」

 「オーケイ」

 

 エリスもまた、銃に弾を込める。

 頭上では、ゲイリーがまた、培養ポッドをクレーンで吊り上げ始めていた。

 今度は、運転台の傍まで、めいっぱい吊り上げて。


 「ゲイリー・アープ!

  無駄な抵抗は止めて、出てきなさい!」

 「誰がするもんか!

  このポッドを見ろ!

  こいつの中には、大量生産で生まれた奇形種を処分するために、高濃度の塩酸が入っているんだ。

  んなもんが、この高さから落ちたら、死にはしなくても、その柔肌に一生モンの傷ができるわなぁ?」


 脅しだろうが、女性の身体を質に使うやり方に、エリスだけでなく、4人全員が興ざめだ。


 「本当にサイテーな男ね。

  今まで、誰からも殺されなかったことが、不思議で仕方ない」

 「何とでも言え、エリス・コルネッタ。

  さあ、銃を捨てて跪きな!

  その武勇に免じて、苦しまずに殺してやる」

 「そう、なら……死んでも文句言うなよ!」


 その時だ。


 ガシャン!


 培養ポッドを吊り上げていたクレーンに、背後から別のクレーンが激突!

 ポッドが大きく振り動く!


 「クレーン!? 一体、誰が?」

 「間に合ったようね、アンナ」

 「えっ!?」

 

 あやめもゲイリーも、その時に初めて気づいた。

 ケサランパサランの背後にあった、もう一つのガントリークレーン。

 その運転台に、アンナが座っていた。

 

 あの会話の最中、既にアンナは空中通路を走り抜け、クレーンに向っていたのだ。

 後から設置されたからだろうか、もう一台のクレーンは天井近くに、運転台がエレベーターと共に固定されているタイプ。

 短時間で用意が可能だったのだ。


 「流石は、元相棒」


 優しい笑みも、すぐに消え、エリスの愛銃が大きく振れるポッドに照準を合わせた。

 丁度、大玉のケサランパサランの真上で踊る、塩酸入りの瓶に。


 「さあ、賛美歌でも歌って頂戴!」

 

 ダアンっ!


 一発の銃弾が、クレーンの接続部を破壊!

 真っ逆さまに落ちていくポッド。

 その真下には、毛玉が!


 グオアアアアアアアア!


 触手にぶつかったポッド。

 硬質ガラス製のそれが割れ、中に詰まった高濃度の塩酸が、真っ白な毛玉を焼き尽くす。

 煙と、肉の焼けた臭いを漂わせ、断末魔を上げる!


 「トリックショット!」

 「き、貴様ぁ!」

 

 顔を蒼白にし怒り狂うゲイリーに、ケサランパサランの触手が一斉に巻き付いた!

 運転台をひっぺがしたと思いきや、まるでスナック菓子を探すように、鉄の箱をまさぐり、ゲイリーの身体を巻き取る。


 「何をする気だ!」


 用済みの運転台は、放り捨てられ、必死にもがくゲイリーを、赤くただれる二つの眼が睨んだ!

 瞬間!


 「や、やめてくれえええええええ!」


 青年のゲイリーが、一瞬で元の三十代の姿に。

 いや、止まらない。

 アクセルをめいっぱい踏むように、体内時計が異次元の加速を開始した。

 手が、足が、身体が、顔が。

 みるみるうちに水分を失い、骨を細くしながら老化していく。 


 その光景に、誰しもが目を見開き、口を開けて、驚愕の中で傍観するしかない。


 「ほ、骨が曲がるうう…目が見えないぃ…」


 ハスキーボイスも、嗄れ声に。

 

 「いやだ…死にたくない……死にたくない…こわいよぉ…」


 その目玉から、出る涙もなく、幸運を横取りした男の生命は、あっけない終わりを迎えた。


 「ジー…ザス…」


 神に祈ったところで、何の救いがない。

 それすら、忘れたのか。


 ゲイリーはもう、動くことがない。

 触手の絡まった体は干からび、髪の毛は真っ白。

 眼球は消えて黒い窪みに。

 直視するのも、正直しんどいほどだ。


 アンナが乗り捨てた、ガントリークレーンのライトが差し込むミイラ。

 触手の絡んだミイラが、磔刑に処されたイエスにも見えた。

 

 「人間、最後には神に祈る…か」


 リボルバーを仕舞いながら、エリスは気づく。


 「ケサランパサランが回復してる!?」


 焼けただれた部分は、見事に復活し、白い綿毛も元通り。

 否、それだけではない。

 ゲイリーのミイラを粉砕すると、目を閉じ、ブルブル震え出したではないか!


 「えっ…回復したのに、なんで、そんなに苦しそうなの?」


 動揺するエリスの隣で、あやめは――


 「ねえ、あのドアホ言ってたわよね?」


 彼女の瞳から光が消えていた。

 それだけじゃない。

 眉をしかませ、いつになく、深刻だ。


 「奴は、ロス暴動後から今まで、ずうっとケサランパサランを吸収し続けていたって。

  意識高いOLよろしく、毎朝のスムージー感覚で、他人から吸い取った運を間接的に!」

 「それがどうしたの?」

 「エリス。ゲイリーが吸い取られたのは、寿命じゃなく、自分が今までに吸い取り続けた運だわ。

  奴は今、30年以上焦げ付き続けた借金を、丸々全部返済したのよ。

  巨大ケサランパサランっていう、メガバンクにね」


 彼女の言っている意味が、理解できた。

 ケサランパサランが、人間の運も吸い取りことができること。

 運と命は等価の関係にあること。

 この2つの事実が示す、最悪の事態。

 エリスも、血の気がサーっと引いてく。


 「その上、ゲイリーは陰陽師の術を受け継いでいる。

  にわかにも、奴は魔術師。

  妖怪にとって、栄養価の高い人間には違いないわね」

 「じゃあ、ゲイリー・アープの何もかもを、全部吸い尽くしたら……」

 「逃げるわよ、親友モナミ

  この先どうなるか、この私でも予想がつかない。

  でも、底なしに最悪なのは分かるわ。

  世界残酷物語モンドカーネ顔負けの、衝撃映像百連発ってぐらいにね」


 フフッ、と笑みをこぼしたあやめを、エリスは眉間をぴくつかせながら見ていた。

 半歩、距離を置きながら。


 「どうしたのよ」

 「アヤ……あんた、この状況を楽しんでやしないかい?」

 「ヤバくなると、テンション上がる性格なもんでね」

 「そうでした……っと、そうなれば長居は無用ね。

  全員、逃げるわよ!」


 エリスとあやめは、傍の階段を駆け上がり、最初に出てきた通路へ。

 リオ、メイコ、アンナの3人と合流した――瞬間!


 「!?」


 地下空間全体が、激しく揺れ始めた!

 立っていられなくなるほどの、凄まじい横揺れだ!


 と、同時に、巨大なケサランパサランの触手が、量産工場全体に広がり、残っていた培養ポッドを軒並み破壊していく!

 空中通路や、ガントリークレーンと共に。


 「おいおいおいおい……このままじゃ、押しつぶされちゃうぜ!」

 叫ぶリオより、更に大きな声で、アンナが言った。

 

 「こっちだ、ノクターン!

  正面口を、何とかこじ開けてある!

  そこから逃げるのよ!」

 「よし、行こう!」


 アンナとエリスを筆頭に、全員は振り返ることなく量産工場を後に、走り抜ける。


 「というか、どうやってこじ開けたのよ!

  ミニミ使っでも開けられないんじゃなかったの?」

 「営業上の秘密」

 「私がいなくなって、腕上がってない?」

 「ゴタゴタ言う暇あるなら、走る!」

 「ったく…」


 死を恐れ、運に憑りつかれた一人の男。

 

 チップをはずませるだけの幸運は、運とは呼べない。

 

 あのディナーで、エリスが言った通り、まがいものの幸運に取りつかれたゲイリーの城― 砂上の楼閣は、見事に崩れ去った。

 骨だけになった死体を、倒壊したガントリークレーンが押しつぶしながら、彼の悪夢は終わりを告げる――。

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