60 スタンバイ

 

 カジノの中に時計はない。

 それは、客から時間的感覚を奪うため。

 悪意のある表現を承知で言うのであれば、客を目の前のスロットやポーカーに縛り付け、より多くのカネを落とさせる。そのためには、客がゲームを切り上げる要因たる“時間”を取り上げる…という仕組みだ。


 あやめは密かに、右手にしている腕時計を見る。

 国際空港の免税店で買った、小さな安物。

 ホテルに入ってから、既に1時間は経過している。


 (そろそろ、頃合いかな…じゃあ、仕上げといきますか)


 全てのカードをリセットして、ゲーム再開。

 シューの中で、全てのカードが自動的にシャッフルされる。


 テーブルににるプレイヤーは、あやめ1人。

 ブラックジャックのファインプレーを聞きつけ、増えたギャラリーは飽和状態。

 会場からの人海戦術は意味をなさず、少女の監視はカメラのみに託された。


 「ラストゲームでございます。」


 チップを積み上げたあやめの手が、サイドカーに伸ばされる。

 二杯目のカクテル。

 オレンジ色の美酒に口づけを交わす。


 「勝利の美酒は、どうだったかね?」

 

 ディーラーの言葉に、あやめは答えた。

 今度は、彼の瞳を直視して。


 「ええ、美味でしたわ」


 飲み干したカクテルグラス。

 それを、床に向けて落としながら、あやめの言葉は呪文と化した!


 「すべて……狂ってしまいそうなくらいに!」


 赤い絨毯に四散する破片。

 シャンデリアの光を反射しながら、それは紫色に輝くのだった――。


 ■


 一方、待ちぼうけを食らっていたのは、ホテルの外にいるリオとメイコ。


 マスタングの車体にもたれ掛かりながら、手にした袋の中身を口へ運んでいく。

 彼女もまた、愛煙家だったが、FBIを辞めると同時に、タバコとも縁を切った。

 だが、彼女は思う。こういう待ちぼうけの時ほど、口が寂しくなる。

 ぽっかり空いた、心のなかを埋める。そんなセンチメンタルと同じように…。

 パンパンに詰まっていた、リコリスのハリボーグミは、小一時間で残り2つにまで減っていた。


 「こんなじれったい夜は久しぶりだよ。メイコ。

  新任の頃、パソコン密輸団張り込んでた時を思い出す。

  路地に止めた車から、何が楽しいのか延々と、倉庫にある唯一の窓をじっと睨んでたんだよ。

  それも6時間…ランチボックスの、冷えたナシゴレンを片手にな」

 「ふーん」


 車から顔を出して、だらけるメイコは眠気を催す寸前。

 リオは、メイコの前にグミの袋を差し出す。


 「食うか?」

 「私、それ嫌いなんです。輪ゴムみたいな味するから」

 「あら、そっ」


 素っ気なく、リオはグミを一個、口の中へ。

 同時に、目はホテルから一瞬だけ逸れる。

 隣接するトランプ・ホテル。金色に輝くタワーの足元に、電話会社のマークを付けたルノー製のバンが停車していた。

 マフラーから煙をふかし、ハザードを焚くことなく、こちらを向いて。

 

 「メイコ…左手、トランプ・ホテル前」

 「いえ、それだけじゃないですね。向こうにいるプジョーも」


 メイコもまた、反対側に目線をやった。

 近くにある、ショッピングモール裏口の、業務用駐車場。

 黒のSUV、プジョー 3008GTが4台。並んで止まっていた。


 「ネオ・メイスンじゃないな。奴らならもっと少数で、気づかれないように監視するはず。

  となると、やっぱりバチカン。全く、ハイエナみたいなやつらだぜ」

 「それが諜報ってもんでしょうね。文字通り、謀って報いる……その報いる相手が、人間じゃないっていうのが、ちょっとタチ悪いですけど」

 「言い得て妙だな。

  にしても、アンナと悪趣味なアストンがいないってのも、何か引っかかるぜ」


 確かに、これらの不審車両の中に、ワインレッドのアストンマーチンがいない。

 ということは、彼女たちの司令塔は、まだ到着していないということか。


 「パチュリーは、その一人一人が、独立した兵士だって、いつかエリスさん言ってましたもんね。

  彼女が居なくても、監視班は機能して、私たちの行動を呼んで先回りするかもしれないってことですよ。

  昼間のヘリ部隊の事もあります。ちょっと事態を重んじて動いた方がいいかもしれませんね」

 「だな。でも…」


 同時に、これだけ露骨に動いている点に、エリスへの心配を感じずにいられない。

 リオは不自然な焦燥感に駆られる。


 エリスは、アンナに情報を提供しているし、バチカンの情報をも彼女から提供してもらっている。

 それは、かつての同胞のよしみという馴れ合い以上に、自分ももつアトリビュートのパワーと、そこから来る恐怖を理解した、脅迫にも似た政治外交の賜物だ。


 アンナは正直、エリスには情報を与えたくない。バチカン上層部、ひいては教皇にこの事実が知られれば、自分にも異端判決、殺害命令が出されるからだ。

 それでも、エリスに接触するのは曰く、彼女のアトリビュートへの保険、なのだそうだが―― それ以上の話は、2人にしか分からない。


 兎に角、その外交手段を行使し、エリスはバチカンの手出しに関して、ある程度目をつぶってもらうことも、アンナに要求することが度々あったのだ。

 今回は、今のところ、それが無い。

 事件の張本人に接触しているにも関わらず、エリスがそれを知らないことはないだろうし、恐ろしいことに、今現在も彼女と連絡は取れないし、電話もメールも応答しない。


 まさか―― その時だ!


 「リオさん!」


 我に返ったリオ、その視界に映ったホテルの正面玄関からは――


 「な、なに…何がおきたの!?」


 ホテルから続々と、人が出てくるではないか。

 それも言葉を発さず黙々と、姿勢を正し、表情は明るく。

 操られているという感じではない。むしろコンサートが終わって、それぞれ余韻の中をエントランスに向かう。まさに、そういった印象を受ける退場の仕方なのだ。


 「アヤ…アンタ一体、どんなトリックを使ったのよ」


 混乱しながら、ふと見下ろした地面。

 そこに、青い等間隔に並行する二本の線が、ずうっとホテルの方に伸びているのだ。

 

 「メイコ!」


 車を降りた彼女と、その線の正体を確認する。

 リオには心当たりがあった。

 2本の線が始まったところ、それは、あのオモチャのスクールバスを置いた地点だったからだ。


 そう、轍なのだ。

 更に、よく見ると――


 「この轍、梵語が刻まれています」

 「と、言うと?」

 「あのオモチャが、あやめちゃんの力で、何らかの術を発動し、その影響で客が出てきている。

  それも、洗脳や脅迫と言った、妖力に耐性のない一般人を傷つけないよう、自然な形で出すことのできる妖術」


 2人は立ち上がりながらも、轍の続くホテルを見る。

 客の足は止まらない。どんどん、ホテルを出ていく。

 数台の高級車が、立て続けにホテルを出ていくのを見て、左右のハイエナも感付いたようだ。

 各々のヘッドライトが点灯した。


 「そんなものを、彼女は…」

 「並みの陰陽師でも出来る業じゃありません。

  何度も見せつけられる度に思いますよ。やっぱり、あやめちゃんの力は十二分に飛び出ているって。

  彼女は今、敵陣の中で大きなテリトリーを生み出しつつあるんです。たった一人で戦ってる。

  だから、守りましょう。あやめちゃんに、今できることはそれだけです」


 メイコの言葉に、リオは頷いた。

 2人は、マスタングに乗り込むとエンジンをスタート。

 威嚇するよう、ハイビームを相手の車に向け、エンジンを力強く空ぶかし。

 その咆哮は、2人の決意と高揚そのものだった。

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