59 Fly Away… ゲーム・スタート


 ブラックジャック。

 それは、容易に答えるのであれば、ポーカーより至極簡単なカードゲームだ。

 プレイヤーとディーラー、それぞれカードの数を「21」に近い数字に持っていくことのできた方が勝つという、ただそれだけの賭け事。


 しかし、事はそう容易ではない。

 21を超えれば無条件で負けるし、その上A以外の絵札は10としてカウントするため、その見極めも必要だ。

 

 オールドロマン・ホテル、18番カウンター。

 その戦局を見極めているのは、ディーラーとプレイヤーだけではない。


 ■


 「姉ヶ崎あやめだと!?」


ホテル23階、警備室。

 薄暗いオペレータールームでも、総支配人ジェンキンスのグリルは金色の一閃を、スタッフたちに投げつけていく。


 険しくゆがむ眉を押さえ、イングラム男が上司である彼に話しかけた。


 「はい。5分前に正面玄関より入場。現在、カジノ18番カウンターで、ブラックジャックを興じています」

 「なぜ、すぐにつまみ出さなかった」

 「適切な退去理由がなかったからですよ。なにせ彼女が、このホテルで騒動を起こした過去もありませんし、ネバダ州のブラックリストも使えません。

  その上、当時、人気俳優が当ホテルに到着したばかりでした故」


 御託を一応は耳に入れ、ジェンキンスはモニターだらけの壁を凝視した。

 40台のテレビモニターが取り囲む、オペレータールーム。

 カジノに設置された五千台のカメラの映像が、ここに集まり、約10秒間隔で画面が移り変わる。


 それをモニターする5人のスタッフも訓練を受けている。

 動体視力のみならず、イカサマ師のあらゆる手札を熟知したプロ。



 そんな男たちに視姦を受けながら、半妖の淑女は賭け枠に、チップを積み重ねる。

 運ばれてきたサイドカーを口にしながら。



 「イカサマは?」

 「まだ、ゲームは始まったばかりです。

  ドリンクを運んだボーイによれば、カードや透明インク等の仕込みはなかった、と報告しています」

 「あのドリンクには、何か仕込みを?」

 「いえ。周囲には一般客が多数います。

  騒ぎになるとまずいので、現在、全てのスタッフに手を出さないよう指示を出したところです」


 わかった。

 そう言って彼は、モニターに映るあやめを指さして、声を強めた。



 「俺はこれから、ボン・ヴォリーニのもとに戻り、2人を研究施設へと送り届ける。

  いいか、彼女から絶対に目を離すなよ。奴は人間じゃないからな」

 「ええ、分かってますとも。私が一番、そのことを身をもって感じてきましたから。

  ……何か、知ってるんですか?」


 イングラム男が聞くと、ジェンキンスは言った。


 「今朝、情報筋から入った機密事項だ。

  姉ヶ崎あやめ。奴は日本で最後の半妖だ。雪女と人間のな」

 「チクショウめ。あのアマ、ハッタリかましてたわけじゃなかったのか!」

 「その上、先祖の雪女は魔術も使える家系。おまけに、姉ヶ崎あやめ自身、体内に殺人日本刀の宝具を封印し、そいつを自在に操れる。

  もしかしたら、エリス・コルネッタより危険な人物かもしれん。くれぐれも気を付けてくれ」


 イングラム男が聞く。


 「そういえば、エリス・コルネッタはどうなりました?

  やはり彼女は、ただの私立探偵じゃなかった、と聞きましたが」

 「元はバチカンのスパイだったよ。

  だが、もう警戒する必要がない。社長が自ら、彼女を殺めたからな。

  我々が開発した、対尋問用筋弛緩剤を、女の口に流し込んで」

 「それなら、心配はいらないな。

  あの薬、ホテルに入ってきたイカサマ師5人に投与したが、5分も生きていられた奴は一人もいない」


 ニヤリと笑うイングラム男。

 ジェンキンスもまた、グリルのサファイアがキラリ。


 「ホテル周囲の監視も強化しろ。

  標的はノクターン探偵社だけではない。まだ、バチカンが動かないのが気になる」

 「了解」


 部屋を出るジェンキンスを見送り、彼はデスクに置かれたイングラムを手にした。

 楽しそうに、その銃身に舌を這わせて。


 「さあ来い、バケモノ。

  今度は、俺がお前を犯す番だ!」


 ■


 18番テーブル。

 悪魔の数字、666を纏う禁忌な台。


 隣でルーレットが熱狂のメリーゴーラウンドを奏でる中、あやめは静かに、手元の札を確認する。

 ダイヤの7とスペードの4。合計11 。


 ディーラー側のカード。表を向くのはクラブの2。

 

 (しょっぱなから、いい出だしね…さて、どうするか……)


 あやめは一瞬目をつぶると、ゆっくりと目を開きながら左手を動かす。


 (先ずは…)



 伸ばした人差し指と中指。隣り合った二本の指で、テーブルを軽く、そして二度叩いた。

 ヒット。ディーラーに手札を要求する合図だ。



 周囲の客も同様に、テーブルを拳でノックしたり、または口頭でヒットを要求する。

 合図を出したのは3人。


 ディーラーはカードシューから手札を取り出し、一枚をあやめの手元へスライド。

 受け取った彼女は、その手札を見た。

 

 スペードの5、合計17。


 

 (展開完了…さて、勝負といきましょうか)



 あやめは、今度は左手を開き、手の平をカウンターの上で左右に振った。

 スタンド。カードを引かず、ディーラーと勝負することを意味する合図。

 他のプレイヤーも同様に。



 そして、ディーラーが残りのカードをめくった。

 ダイヤのクイーン。

 ブラックジャックにおいて、J、Q、Kの絵札は全て、10とカウントする。

 この段階で、ディーラーの手札の合計は12。


 ここから、ディーラーは手札が17点以上になるまでカードを引き続けなければならない。

 ――ハートの8、合計20。


 あやめの負け。掛け金が没収される。

 だが、彼女に焦りはない。


 

 「運は、ついてなかったようですね」

 ディーラーの言葉に、あやめは笑みを含んで言い返す。

 「いえ、これからよ。夜も、ゲームもね」


 ■


 ネクストゲーム。

 掛け金が置かれ、カードが配られる。

 

 あやめのカード。

 ダイヤのKと、クラブの8。合計18。

 

 ディーラーの手元にはクラブのQ

 バースト、つまり21以上の数字をディーラーが引く確率が高い状態だ。



 ヒット。

 あやめの手元に来た手札は――。


 スタンド。


 勝負。

 

 ディーラーのカードは、ハートの2。合計12。

 そこから、カードを引き続ける。

 ダイヤの4…ハートの7…。


 「ブラックジャックです」


 合計21。ブラックジャック成立。


 周囲の客が落胆し、2人が席を立った中で


 「フフッ」


 微笑んだあやめ。

 彼女が投げたカードを見て、ディーラーは青ざめた。

 

 

 ダイヤのKと、クラブの8、そしてスペードの3。

 彼女もまた、ブラックジャックが成立していた。


 「プッシュ…引き分けね」

 「……っ!」

 「言ったでしょ? 何が起きるか分からないって」


 歯ぎしりするディーラー。

 その手元にチラリと、隠していたカードが見えた。


 自在に狂わされるゲームであることを知っても、あやめは左手をディーラーに差し出しながら、誘惑するのだった。



 「さあ、ゲームを続けましょう?」


 だが、ディーラーも負けじと、カマをかけた。


 「その強がり、いつまで続くでしょうね。

  降りるなら今のうちですよ? ドン・キホーテを気取るムーランに、負けの涙は嘲笑以外の何物でもありませんからね」

 「それは、私が女だから? それとも東洋人だから?

  どれをとっても、私がこのゲームから降ろされる理由にはならないはずよ」

 「くっ…!」


 ■


 運は長く続かなかった。


 2回目、3回目、4回目と、あやめは負け続けた。

 それでも、彼女はクールに手札へと視線を落とし、テーブルを叩く。

 怖いもの知らず。

 というより、端から見たら戦略も何もなく、ただ気まぐれでゲームを進めているようにしか見えないのだ。

 

 21をオーバーして負けても、なにもなかったかのように、ヒットを繰り返し、また敗北。

 知りつくされた統計理論すら頭にない、ただ闇雲のベットと勝負を繰り返す。

 まるでOSの組み込まれていないパソコンで、三体問題の適切解を導き出すが如く。



 それは警備室にいる、イングラム男たち、スタッフすら理解不能だった。

 何がしたいのか。それとも、なにも考えていないのか。




 ネクストゲーム。

 ディーラーは見下した表情で、あやめを笑う。

 もう、彼女にツキは来ない、と。


 先ほどより多くのチップをベット。

 そして、カード2枚が配られる。


 「ふふん」


 途端に彼女は笑って、自分の手札をチップの前に投げ出す。


 スペードのAと、ダイヤのQ 。

 Aは1、もしくは11、どちらでカウントしても構わない。

 つまり、手札が配られた瞬間に、ブラックジャックが成立していたのだ!


 「もう終わっちゃった」

 

 サイドカーを飲み干して、彼女は万遍の笑みを浮かべて見せる。

 その光景は、取り巻く観客をも湧かせた。

 感嘆と口笛。


 残る客2人もスタンド。

 勝負。


 ディーラーのカードは、クラブの3とダイヤの2 。

 カードシューから放たれる手札。

 

 スペードのJ……クラブの10。


 バスト。21を超過した。

 この瞬間、あやめの勝ちが決まり、特殊ルールにより、掛け金の配当は3 to 2、つまり1.5倍となる。

 

 「残念だったわね」

 積みあがったチップを、彼女の手元に持っていくディーラー。

 その額に、汗が流れる。

 

 「どうしたの? まるで、勝つはずだった、とでも言わんばかりに悔しい顔をしてるようだけど?」

 「貴様…」

 「勘違いしないで。私はシンデレラでも、ムーランでもない。

  チップとトランプに囲まれて、お姫様を演じる気も毛頭ない。

  私はただ、目の前の相手と戦いに来た。それだけ。

  嘲笑も哀れみも要らない。その本気と苛立ちが、私の武器になる」


 この番狂わせに、通りかかった客どころか、周囲のテーブルでプレイしていた客も席を立って、やってきた。

 少女の幸運に引き寄せられて、否、既に彼女が仕掛けたトラップに、全員が引っかかったと知らずに。


 パチン!


 景気よく指を鳴らす。

 通りかかったボーイに、サイドカーのおかわりを申し出て、あやめは背後の監視カメラにウィンクと飛ばした。


 「さあ、本番はこれから。踊りましょう、この騒々しいダンスホールで」


 テーブルには既にあやめとディーラーだけ。

 1対1。孤独な戦いは、まだ序章を抜けたばかりだ。

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