16 オールド・ロマンホテル


 「にしても、この様子だと…今日もまた、ご帰宅コースかなぁ」


 ストリップを走り続ける2人のマスタング。

 あやめは、ココアシガレットを噛み砕きながら呟いた。


 続けてカーステレオのスイッチをカチリ。

 ミュージックが運転席からあふれる。


 マイケル・ジャクソンの Rock With You。

 心地良く響くスローなソウルをバックに、あやめの頭上を夜空とパームツリーを追い越していく。

 街灯が尾を引いて、見たことない星座を作りながら。


 アスファルトに反射するライト。

 音楽に合わせて、リオも踏んでいたアクセルを戻しながら、ハンドルを持つ手でリズムを刻む。



 相変わらずボン・ヴォリーニのリムジンを追いかけ続けているが、車は疑惑の中心部、フェニックス・インペリアルに近い交差点、フォーコーナーを通過し、北上を続ける。

 宿にしているホテル、パラッツォが、間もなく右手に見えてくる。


 彼を尾行して早十日。その行動パターンは、形式的になりつつあった。

 夕方にホテルを出て、夜は西海岸支部の面子とお食事会。

 その後はホテルに戻り、カジノもせず、ショーも見ず、愛人とのときたもので…。


 「だろうね。この分じゃ…ところで、愛人の方はどうなってる?」

 「メイコが見張ってくれてるわ。こちらも、収穫はゼロ。

  愛人のアナも、夕方までホテルを出ない。その後の行動も、ディナーを食べて、エステに行くか、カジノやショーを見てるか。

  ぶっちゃけて言えば、バカンス楽しんでるって訳」


 あやめは、リムジンのテールランプを見つめながら、話していたが、飽きてきたので、段々と左右のネオンを見るようになった。

 古典的な蛍光灯型のものもあれば、最新鋭のLEDパネル。

 だが、それらが語るのは、ホテルの情報を除けば、全てカジノ絡みの単語である。

 

 「ブラックジャックに、ポーカー、ジャックポット…やっぱ、カジノの街ねラスベガスって」

 「今更? この街じゃ、未だに“レイズ”が大正義。ルーレットが回れば、財布も回る。例え赤ん坊だって食らいつく。

  今回ターゲットにしているゲイリーの会社だって、カジノを持っていないのはフェニックス・インペリアルホテルだけじゃない?」



 確かにリオの言う通り― というよりは、小説冒頭の繰り返しになるが―ラスベガスにおいて、カジノは文字通りに金泉である。

 2014年にラスベガス全体のカジノが弾き出した収益額は、約185億ドル。

 これは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの国内総生産額と、ほぼ同じというのだから、そのパワーには羨望を通り越した恐怖がある。



 ゲイリーも、そのパワーを生み出す中にいる。

 おそらく、レストランやシアターだけでない。カジノを機会とし、被害者と接してきたに違いない。

 そして、今回はマフィアにまで――。


 「ん?」


 リムジンが減速した。

 ホテルまでは、まだ少し距離がある。

 サンマルコ広場の本物と差分ない、大きな鐘楼が目印である、ベネチアン・ホテル入り口の交差点。

 そこを左折し、大通りを逸れたのだ。


 「いつものルートじゃない…気づかれた?」

 「追いかけよう」


 リオはハンドルを切り、後を追う。

 この先には不動産王、ドナルド・トランプが建立した黄金色に輝くタワーホテルがあるはず。


 いや、その隣にもう一つあるのだ。


 すぐにリムジンは、とあるホテルに滑り込んだ。

 入口となる門をくぐると、50メートルはあろう2車線のコンコース。

 パームツリーと芝生が、脇を飾る。

 その先に、件の建物はあった。


 周囲と同じ鉄筋とガラス張りの高層ホテル。だが、その足元は打って変わって、古風な外観となってる。

 ガス灯をあしらったライト、石畳のスロープに、洋館を連想させるバルコニー付きの入り口ポーチ。


 ゲイリーがラスベガスで経営する2つ目のホテル、オールド・ロマンホテルである。

 1920年代、狂乱のマンハッタンをイメージしたこのホテルは、フェニックス・インペリアルとは違いカジノも備え、ミュージカルテイストのショーや、ジャズコンサートも行われるホールもある。

 更に客室は、全室アンティーク漂うスイート。

 ノスタルジーな雰囲気が人気の、大人のためのエンタテイメント・ホテルである。


 「…っと、ようやく止まったわね」


 マスタングを止め、ストリートから遠目に観察する2人に、新たな人物が映り込んだ。

 ホテルから出てきて、ボン・ヴォリーニを握手で歓迎する男。

 浮かべた笑み。宝石と金であしらわれた装飾差し歯― グリルが、控えめな照明にもかかわらず、前歯を借りてギラギラと輝いていた。

 “エレキング”よろしく、口から怪光線でも発射しそうな雰囲気だ。


 「あのグリルマンが?」

 リオが聞く。

 「そっ。ラスベガスで展開する、フェニックスグループホテルの総支配人。

  名前はジェンキンス。今日は、ここにいたのね」

 「どうする?」


 あやめは、目をホテルにやって「行こう」と合図。

 リオは車をホテルに入れ、堂々と正面玄関から入っていく。

 タイミングがいいことに、玄関で話していたボンが、ジェンキンスにエスコートされて、ホテルの中に入ってくところだった。


 「アヤ。ゲイリーの経歴は調べたの?」


 ボーイが開いたドアをくぐりながら、リオはあやめに聞いた。


 「ええ。でも、不思議なんですよね」

 「不思議?」

 「公的な資料を基にすれば、彼が最初に現れたのは、92年のロサンゼルス」

 「あの、破滅的な暴動が起きた年だな」

 「その暴動で打撃を被った、ハリウッドの焼け跡に、小さなホテルを建てたことから、彼のわらしべ長者伝説は始まる…ということなんですけど、どういう訳か、彼の以前の経歴が全くと言っていいほど不明で、私が見つけた93年の新聞でも、幼少期のことについては全く話していない」

 

 リオは言った。


 「ただの秘密主義者じゃないのか?」

 「可能性はゼロじゃないけど、このテの経営者って、少なからず自分のサクセスストーリーを話したがるものですし、ハウツー本という地の文にして、紙資源を無駄にしたがる。

  ゲイリーも例外的でなく、今までに前例のソレと同じように、何度もマスターベーションをしてきています」

 「それでも、過去には絶対触れない…か」


 あやめは言う。


 「住民票なんかがあればいいのですけど…」

 「この国にそんな類の物はないよ。あるとすれば出生証明書だけど、彼がどこの生まれかすらも分からないんだから、調べようがない。

  SSDや個人納税者IDから、調べられるかどうか…私も、もうFBIを捨てた身だからさ」


 2人は、ホールを抜けると、そのままカジノへと突入した。

 例外はあるものの、ベガスのホテルは基本的に、カジノを通過しなければ宿泊スペースへとたどり着けない造りになっている。

 レストランや、ショッピングモールも然り。

 いかにして宿泊客をカジノで遊ばせるか、ホテル側の計算した造りとなっている。


 それが盲点となり、あやめとリオに襲い掛かった。


 ガシャン!

 ガシャン!

 ガシャン!


 カジノスペースの至る所に鎮座する、スロットマシーンがオートメイションに似た規律性で絵柄を回す中、2人の影を彼女たちは見失いそうになる。


 スロット台をいくら避けても、通路はすぐに別のスロットコーナーで行き止まりに。

 右手に曲がり、しばらく歩くとスロットの壁。

 それを避けて左手に行くと、長いS字の先に、またスロット。

 道を変えると、またすぐにスロット。

 これの繰り返し。


 そう。通路がデタラメ。完璧な迷路を形成していた。


 「なんなのよ。これ!」

 人を避けながら、どうにかと、ジェンキンスの白いスーツを追いかけるあやめが、苦しく吐き捨てた。


 「どう歩いても、スロットにぶつかる。歩けば歩くほど、迷宮に入っていく。

  日本のパチンコ屋みたいに、ちゃんと整列させなさいっての!」

 「それがカジノの罠なのさ。ポーカーやブラックジャックより簡単で、知識も話術もいらないし、ワンコインから始められるイージーな存在。

  だから、誰でも簡単に手を出せる。

  賭け事に興味がない奴でも、絶対にカジノの坩堝に落とし込む事ができる。

  それが、この不規則な、スロットの通路を作ってるんだ。ウォルマートの陳列棚とは訳が違うのさ」

 

 そして、遂に――


 「見失ったな、アヤ」

 「チッ!」


 相変わらずレバーを引く音が、彼女たちの鼓膜を刺激する空間で、ボンとジェンキンスの影は、とうとう人ごみの中に消え去ってしまった。

 その上、ホテルの演出である、ガス式の街灯をあしらった光源が眩しく、ところどころ、人の姿を隠してしまっている。

 

 最高の目くらまし、ということだ。

 ジェンキンスのグリルでも輝いていれば別だが。


 「手分けして探すしかないか」

 リオは言うが、一点を見つめたままあやめは、彼女の動き出した腕を掴んで言った。


 「いえ。今夜はホテルに帰りましょう」

 「どうした?」

 

 リオは不思議に、あやめの見ている方を向いた。


 「左から3つ目、ルーレット台。金髪の女性の背後」

 

 あやめに言われて探してみると、いた。

 耳に手を当てて、周囲を見回す背広の男が2人。鋭い目つきと、尖った雰囲気は、カジノ警備員のそれとは、また違っていた。

 何より、首からは同じデザインの十字架をぶら下げている。


 「バチカンよ」

 「だな。恐らく、アンナの部下」

 「牡牛がいるとなると厄介ね。エリスの情報によれば、相手も同じ、ゲイリー達、フェニックスグループの関係者を内偵している」

 「こんなところで交戦状態になったんじゃ、元も子もない。

  証拠もないから、どさくさに紛れてケサランパサラン事件を解決、なんてこともできない」


 あやめは溜息を吐き


 「癪だけど、今夜は帰ろうか。連中は、まだボン・ヴォリーニが標的になってる事、知らないそうだから」


 しかし、リオは返す。


 「いや。知ってる可能性のある奴らなら、いるぜ?」

 「まさか、八咫鞍馬とか言わないでよ? ケサランパサランは日本の妖怪だけど、今のところ動きはないし、幹部達がそんなとこまで――」

 「忘れたのか? ここは、アメリカさ。ということは」


 「合衆国建国連合……ネオ・メイスン!」


 リオは険しい顔で、ゆっくりと頷いた。


 「私の心配する、どでかい爆弾さ。

  ネオ・メイスンは、私が知るテロ組織の中では一番、凶暴で残忍で狂信的な連中が集まってる。

  それこそ、バチカンの連中すら甘く見えるほどの奴が、ごまんとな」 


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