99 終演〜 暫しの別れ


 「…ス」


 「……ス……リス」


 真っ白な世界の中で、自分を呼ぶ声が聞こえる。


 「…リス!」


 ああ、分かる。


 この声は――



 「エリス! ……エリス!」


 目を開けた彼女の視界に、最初に飛び込んできたのは、白けた青い空と、あやめの心配そうな顔。


 「アヤ……」


 その時、自分が何をしたのか、そして、ここがどこなのかを察し、優しい微笑みを投げかけたのだった。


 「よかった…天国でも、みんなと一緒にいられるのね…」


 だが――


 「いや…天国の方が、まだマシだったかもしれない。

  この状況を、なにも考えずに済んだかもしれないからね」

 「…えっ!?」


 言ってる意味が分からない。

 あやめに促され、起き上がったエリスの眼に飛び込んできたのは――


 「なに…これ…」


 彼女が倒れていたのは、ベラッジオ・ホテル前に広がる、コモ湖の傍だった。

 この描写に、違和感を持った読者もいるだろう。

 何故なら、この人造池はメガ・ケサランによって破壊され、巨大な穴が開いてしまっていたからだ。

 倒れ込む場所すら、あるはずもない。


 だが現実、彼女は綺麗に舗装された観光スポットの足元に倒れていたのだ。

 そして、エリスの視界に飛び込んだもの。


 メガ・ケサランにより破壊されたベラッジオ・ホテルが、無傷で朝の光を浴びている姿だったのだ。

 ビルどころか、窓ガラス一枚も割れていない。


 「ベラッジオ・ホテル……そんな…あのホテルは、メガ・ケサランに破壊されたはずじゃ…」

 「それだけじゃないの」


 そう、立ち上がったエリスは、周囲をぐるりと見回した。


 ジャンプ台に使ったはずの、パリス・ホテルのエッフェル塔。

 ネオンサインが破壊されたはずの、フラミンゴ・ラスベガス。

 戦闘ヘリを押しつぶしたはずの、マンダリン・オリエンタルの高層タワー。


 その全てが、何事もなくエリスの視界に広がっている。

 否、ラスベガスの街そのものが、昨夜の悪夢が、正真正銘の夢であったと言わんばかりに、美麗に、そして平穏に包まれていたのだった。


 分からない。

 

 「あれは、夢だったのかしら」

 「いいえ、夢じゃないわ」

 

 あやめの言う通りだ。

 確かに街並みは何事もない。

 

 だが、通りでは乱雑に停車して動かない車が数多。

 その上、周囲では一様に人々が頭を抱え、キョロキョロと目を周囲に配せて混乱を隠し切れないと言わんばかりの状況であった。

 観光客やホテル関係者だけではなく、警察官や消防隊も。

 車に乗っていた人々も、目を覚まし始めたようだ。 


 「それに…」


 あやめがクイっと、顎で示した場所。

 コモ湖に頭から突っ込み、直立している真っ赤な車が、そこにあった。

 紛れもなく、エリスが乗っていたコンバーチブルタイプのマスタングGT。


 「あれは、私たちの乗っていたマスタングだわ」

 「それだけじゃないわ。

  気づいているか分からないけど、パリス・ホテルの裏手にあった、フェニックス・インペリアルホテルが、見えないでしょ?」

 「そういえば……」


 言われてみればそうだ。

 パリス・ホテルの背後にそびえ立っていた、高層ホテルが一つ、いなくなっている。


 「さっき、リオから連絡があったんだけど、あのホテルだけ、倒壊して瓦礫のままになっているそうよ。

  牡牛に射殺された、戦闘員の死体もね」

 「彼らだけ、再生しなかったってこと?」

 「メイコからも報告があったわ。

  オールドロマンもコスモ・レジャーも、全部大破。

  ゲイリーが経営していたホテルだけ、元に戻ってないみたい。

  まあ、彼の悪行へのツケと考える方が、自然かもね?」


 これは夢じゃないし、ここは天国じゃない。

 紛れもない現実。

 エリスは念のため、腕時計を見た。

 午前7時13分。


 あれから4時間ほど経過していたことになる。


 「これが……ケサランパサランの奇跡…か」

 「おそらく、エリスが弱点を突き、メガ・ケサランを破壊した瞬間、どんな仕掛けかは知らないけど、体内に蓄積していた膨大な運……言うなれば無数のケサランパサランが解き放たれ、生死を問わず、その場にいた全員が意識を失った」

 「ボスを割ったら、中から小さな個体が飛び出すなんて。

  まるでキャンディが詰め込まれたピニャータね」


 服に付いたホコリを払いながら、エリスは言った。

 不思議なことに、服の破れや、身体の生傷はきれいさっぱり消えていた。


 「結果、ケサランパサランの持つ能力によって、街と犠牲者は元通り。

  ゲイリーが搾り取って、熟成させ続けていたケサランパサランは、これだけの奇跡を生み出すには十二分過ぎたってことよ」


 ただ。

 あやめは、そう付け加えて、言葉をつづけた。


 「これで、ケサランパサランに関する全ての手がかりが消えたことになるわね。

  もちろん、アカシックレコード理論に関する手がかりも一緒に」


 しかし、エリスは悔しさも悲しさも見せない。


 「まあ、いいわ」


 むしろ、清々しかった。


 「みんなが無事でいたのなら。

  互いに仲間思いの、素晴らしいチームが無事だっただけで、ノープロブレム。

  そういうことに、しておきましょ?」


 そう言ってあやめに微笑んだエリスに、相手もまた微笑み返すのだった。


 ■


 そのまま2人は、リオとメイコと合流すると、ベラッジオホテルへ。

 立体駐車場に置いてあった、ノクターンたちの愛車は、無傷でそこに置いてあった。

 黒のコンバーチブルタイプのマスタングGTと、ダットサン ブルーバード510。

 エンジンもかかる。


 ニューフォーコーナ―の角に停車すると、アンナとナナカ、そして生存していたエリスの協力者、ボブの姿がそこにあった。

 あやめがボブにブルーバードの鍵を返す間、かのコンビは、暫しの別れの挨拶を交わす。


 「じゃあアンナ、後片付けの方よろしく」

 「ええ、これで貸し借りなしよ」


 互いにハイタッチを交わしながら。


 「で、牡牛としては、この状況をどう報告するつもり?」

 「どうしようかしらね。

  こんな出来事は初めてだから、私もどうしたもんかと頭を抱えているよ」

 「レギオンの方は?」

 「全員無事。

  撃墜されたヘリコプターも無傷で着陸しててね、米軍が来る前に撤退させたよ。

  最も、牡牛とレギオンの報告を聞いて、教皇がどんな顔をするか」


 そう話している背後で、米軍の車列が街の中に入ってきた。

 いかついハンヴィーや、サンド色のトラックがディーゼルの唸り声を上げて、ホテル街を通り過ぎていく。


 「騎兵隊の到着ね」

 

 その中で、アンナはつぶやく。


 「ゲイリーも、この風景を見たのかしら」

 「92年、ロス暴動…か」


 ゲイリーが生に固執し、ケサランパサランの狂気を生み出すきっかけになった事件。

 この事件もまた、カリフォルニア州からの要請で出動した軍により、崩壊した治安は、ある程度まで抑止されることとなった。


 「例え見たとしても、覆水盆に返らず。

  彼の考えは変わらず、ケサランパサランを量産することを考え続けていたでしょうね。

  生への固執と運命。

  導いてはいけないパンドラの方程式に気づいたが故に彼は生き続け、それ故に身を滅ぼした。

  そう言う意味じゃあ、ケサランパサランの能力は謎のままがいいのかもしれないわね。

  この世界にとっても」


 そう答えたエリスに、アンナは何も言わず頷くだけ。


 「エリス」


 あやめに促され、彼女はアンナと別れ、マスタングGTの助手席に乗り込む。


 「これからどうする?」


 リオとメイコも乗り込み、あやめがエンジンをかけると、マシンは唸り声をあげる。

 

 暫しの別れ。

 敵と味方。


「そう…ね」


 アンナの質問に、エリスはただ、表面的に答えるだけだ。


「まずは、どこかのダイナーで朝食でも楽しむわ。

 安っぽいコーヒーをおかわりしながらね」

「あなたらしい答え方」

「じゃあね、モルガナイト」



 大きく手を振るエリスをのせて、漆黒のマスタングGTが、朝陽の差すストリップをひたすら南に走っていく。

 アンナの視界の中。

 影が小さくなるまで。



 「またいつか、怪奇の坩堝で会いましょう……エリス・コルネッタ」





 4人を乗せたマスタングは、余韻を残さず、段々とラスベガスの街を離れていく。


 崩壊したフェニックス・インペリアルから立ち上る煙を、勝利の狼煙として。


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