2日目・夜~失われた突破口!?

72 猪突妄信― イングラム男、陥落


 オールドロマンホテルのモウリョウは、制圧された。

 だが、敵は人外だけではない。

 敵を全く見誤っている、ホテルの兵士を倒しながら、エリス達ノクターン探偵社は、最後の仕上げに入っていた。


 「チクショウ…っ!

  モウリョウをやっつけたってのによ…」


 悪態をつくリオ。

 無理はない。

 彼女の放つ魔弾、弾道に微かなずれが起き始めていた。


 「まったくね…」


 あやめも、村雨を持つ右腕に血がにじむ。

 半妖である彼女の中に流れる雪女の血。

 そこに内包された、妖怪特有の驚異的な治癒能力を以てしても、白い肌に刻まれ続けるレッド・ラインを消すことはできない。


 「同意」


 エリスには余裕が多少あった。

 だが、2人の様子を見る限り、確かなことがある。

 これ以上銃撃戦が長引けば、彼女たちの精神は、長くはもたない。

 それはイコール、最大の武器であるアトリビュートが、使えないことを意味する。

 まだ、ケサランパサランの本拠地にたどり着けていないのに――。


 「ゲイリー・アープは?」


 メイコの一言で、全員が隠し扉の方を向いた。

 笑みを浮かべたゲイリーが今まさに、秘密の扉の方へと消えようとしていた。


 「野郎っ!」


 だが――


 タタタタタタタっ!


 連続した銃声と、跳躍する弾痕。

 バリアのように足元に刻んだのは、イングラム男。

 その背広は既に埃だらけ。瞳孔はランランと鈍く輝く。


 「よくも、俺たちの軍隊をメチャクチャにしてくれたな!

  テメエらの相手は、俺だ……お前ら、全員、俺が殺すっ!」


 手にしたMAC10が、震えながら4人を標的にしている。

 その上、銃には8つほど、紐にくくられた小瓶が。

 ケサランパサランを保存する、あの小瓶だ。


 「そうはさせないっ!」

 エリスは、マウザーを彼に向けたが、心細い。

 

 背後には同じく、サブマシンガンを構えた兵士。

 残っているだけでも10人ほど。

 他は、まだバチカンと交戦中で、アンナもそちらへと向かった。

 パチュリーの中にも、犠牲者が出始めたからだ。


 私が撃ったところで――。


 「エリス、行って!」

 「リオ…」

 「アンタの敵は、このクズじゃない……私たちの幸運を、アンタに託す!」


 エリスの前に立ったのはリオだった。

 ウィンチェスター銃のアトリビュート、ガーディアン。

 スピンコックで、銃身を一回転。

 魔弾を装填しながら、自らの大将に背中で語る。

 

 仲間を信じなさい。


 遠くにいたあやめも、メイコも同じく、エリスの方を見て頷く。

 

 その姿にエリスは、アトリビュートであるマウザー拳銃を、手の中で消して、ゲイリーの後を追う。

 誰も、走り去るエリスを見送らない。

 目線で追うことさえせず。


 だが、この男は違った。


 「おい!」

 「どこを見てる! お前の相手は、こっちだぞ!」


 両手でウィンチェスター銃を支えるリオ。

 視線は完全にイングラム男を捉えている。


 「少しでも動けば…撃つ」

 

 しかし、イングラム男は笑い飛ばす。


 「撃ってみろよ。肩が息をしながら震えてるぜ?

  いくら、ウィンチェスター・ハウスから出てきた魔弾とは言え、ご主人がこの有様なら、守るもんも守れんだろうさね」

 「試してみる?

  この銃と私は一蓮托生。それが呪具……アトリビュートの大前提だからね」

 「だとしても、俺は殺せない。

  この瓶を見ろ。こいつは死んだ仲間のケサランパサランを、その懐からもぎ取ったもんだ。

  分かるか? 例え魔弾がカーブを描いて、背中からやってきても、俺は殺せないのさ。

  ケサランパサランの加護、神からの加護がある限りなぁ!」


 口から唾を盛大に飛ばしながら、イングラム男は叫んだが、あやめは彼の驕りが、本能的に分かった。


 (いえ、奴に加護はない。

  あの瓶から、さっきまで漂っていた、微かな妖気が消えた。

  死体にも漂っていた妖気が消えている。

  ケサランパサランが消えて死に絶えたんだ。

  このホテルの兵士に配給されてるのは、恐らく個体の中でも、カスのような部分なのね……いまなら、どんな方法でも倒せる!)


 だが、どうやって――。

 今、銃を抜けば、イングラム男のMAC10が火を噴く。

 射程範囲からして、あやめも銃弾を食らう可能性が大きい。


 「あやめっ!」


 その時だ。メイコの声が、カクテルコーナーから聞こえてきた。

 カウンター越しに、彼女が投げてきた瓶。

 中身が詰まったリキュール。

 一瞬、視界に入ったラベルで、それが何を意味しているのか理解した。

 

 「なるほど」


 奴を殺すには、それしかない。


 「リオっ!」


 受け取った瓶を、今度はイングラム男の頭上めがけて投げた!

 リオもまた、それが意味するところを理解した。


 最後の気力を絞り、放物線を描く瓶に、全神経を集中させて、ガーディアンの引き金を引いた!


 バリン!

 

 銃弾は見事に、酒瓶を砕き、中身をイングラム男にぶちまける。

 髪も服も、そして銃も、酒で染め上げて。


 「な、なんだこれは…」

 

 動揺するイングラム男に、リオは言った。


 「見ての通り、祝い酒さ。

  最も、ケサランパサランに守られているのなら、そいつは、お前にとっての祝福になるがね」

 「どういう意味だ?」

 「分からないか? 足元の破片を見てみな」


 男は銃を向けたまま、視線を下へ。

 見ると、割れた瓶の破片には、ラベルが残ったまま。

 水色と黒のツートンカラーで描かれた、クローバーの絵が刻まれていた。


 その瞬間、男の表情が、真っ青に。

 

 「お、お前ら…まさかっ!」


 あやめが言う。


 「御明察。

  ノッキーン・ポチーン。

  アルコール度数90パーセント。

  世界第三位の強さを誇る、アイルランド産の蒸留酒よ」

 「くっ…!」

 「まさか、そんなものが、カジノのカクテルコーナーにあるなんてねぇ…。

  さあ、撃ちたければ、さっさと引き金を引きなさい!」

  

 煽ったところで、イングラム男の答えは猪突猛進、いや、妄信だ。


 「そうさせてもらうさ。

  なんたって俺には、ケサランパサランがついてる。

  …この毛玉がいる限り、俺は死なないのさ!

  死ぬのはお前らだぁ! ノクターンっ!」


 ダダダッ!


 三発の銃声。

 リオが、横に飛んで飛弾を回避した直後だ!


 「う、うああああああああああ!」


 イングラムの排莢口から飛んだ火花が、アルコールに引火。

 男の身体が瞬く間に、紅蓮の炎で包まれた!


 「あ、あつい! ……あついいいいいいいっ!」


 手からこぼれるM10。

 同時に、全ての瓶が音を立てて割れるが、その中は空っぽ。おしろいさえ、入っていない。


 頭を抱え、身体を真っ黒に焦がしながら、男は最後の力を振り絞ってバーカウンターの方へ。

 横には噴水、グレース・ケリーの泉。

 子ども用ビニールプールほどの深さ、人一人は全身浸かれる。 


 ふらりと揺れながら、頭からダイブ。


 しかし、炎は消えない。

 それどころか、全身にまとわりつく様は、“べったり”という擬音を用いるにふさわしい。

 水を波立たせ、最後の足掻きに走る。


 「メイコ! あの瓶に何入れた!?

  こいつは完全に、ナパームの燃え方だぞ!」


 叫んだリオに、メイコは大きく手を振りながら反論する。


 「バーカウンターの下で、ベルモットと一緒に並んでたサラっピンよ。

  変なモンが、入ってるはずないわ!

  それに、石油独特の焦げ臭いにおいだって、しなかったじゃん!」


 確かに…


 「や、やめてくれえええ!」


 イングラム男の叫びは、やがて錯乱に変わる。


 「い、イスファハンが襲ってくるぅううう!

  眼が……女子供の眼がやってくるうううう!

  助けてくれ! 死にたくない!

  死にたくないんだああああああああああ!」


 悶える体に、噴水は波立ち、純粋な水が周囲を濡らす。


 あやめは、混乱するリオに近づいた。

 全てが分かったが故に。

 それを理解させるために。

 


 「リオ、これが副作用よ」

 「いったい、何の?」

 「自分が死ななかった幸運を、受け取りすぎた反動。

  そして、削られた偽りの幸運を、他人から横取りしすぎた、反動よ。

  報い。その言葉で片付けるには残酷すぎるほどの反動……奴はね、最初から加護なんて受けてなかったのよ」


 イングラム男のばたつきが、段々小さくなっていく。

 波も立たないほどに。


 「だったら、奴は何を得たんだ……戦場を走った男は、何にすがったんだ」

 「身の丈以上の借金」

 「借金?」


 「そう、言うなれば加護の正体は、自分の命を担保にした膨大な借金。

  結局、運なんて人生の副産物に過ぎないのよ。自分の努力と行い次第で、支払われる大きさも質も違うし、それの良し悪しも、受けた人の感覚次第。

  なのに、あの男は借金をしてまでも、幸運が欲しかった。それが、ハイリスクな選択であると知らずにね。

  運が無くなれば、運を増やし、その代わりに命を削って担保とする。

  段々と利子が増えて、火の車」

 「そして最後に、何もかもがご破算になって、文字通りの火だるま…か。皮肉なもんだぜ」


 遂に、足が動かなくなる。

 真っ黒こげな手も、痙攣を繰り返す。


 「ただ、彼は戦争で生死の奪い合い、命の削られる瞬間を見ている。

  いろんなものがマヒしていたのかもしれない。

  そういう意味では、彼も被害者なのかもしれないけど」

 「冗談はよして。

  同じ状況に晒され、精神を病んだ兵士はたくさんいる。

  彼を可哀想の一言で片づけるのは、現実を直視して、幸運を自分の手でつかもうともがいている、この国の兵士たちへの、最大限の侮辱だ」


 侮辱、か。

 あやめは、そう呟いて首を横に振った。


 「リオから、そんな言葉が出るとは…」

 「まかりにも、元はアンクル・サムの住人で、国を守る側の人間だったからね。

  FBI時代にも、傷ついた兵士の事件を嫌と言うほど見てきた。だから分かるんだ」


 3人が、顔をしかめながら、男が水の中で燃え、力尽きるのを見届ける。

 底に浮かんでいたのは、人間の残骸というより、マッチの燃えカスに近かった。

 燃えすぎて、もげた四肢が噴水の底に沈んでいた。


 背後で構えていたイングラム男の部下たち。

 彼らが自ら、銃を足元に捨てるまで、時間はかからなかった。


 従う大将がいないのだから――。

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