71 動乱の鐘が鳴る

 夜が明けるまでには、未だ生存している《奇跡の帰還部隊》の全員に海市市警……というかクヨウ捜査官の護衛という名の《監視》がついた。

 アルノルト大尉やステラ奉仕院、事件の影には《五年前》の影がチラついている。


「リブラ以外は、だけど」


 僕は酒場に染みついた酒精の漂う空気に溜息ためいきを吐きかける。

 五年前、リブラが何をしていたのか、僕には予測のしようもない。


「俺にもあまり印象が無いな。玻璃家の跡継ぎで紅華の後見人だとは知っていたが、政治に深くかかわるような性格ではなかった」


 そう語る天藍アオイの横顔は苦い。

 当時の紅華は翡翠宮を離れて、王位継承の望みもなく、当然のことながら女王府では何の権限も無かった。ちょうど今の百合白さんみたいな状況だ。

 その立場が逆転することなんて、考えてもみなかったんだろう。


「ただ……以前から、黒曜こくようウヤクとは親しくしていたようだ」

「大宰相と?」

「医師として、あれだけの腕だ。貴族の邸宅に怪しまれることなく入りこめる」


 つまり、ウヤクの重要な情報源……そのうちの一人、ということか。

 何故、そんなことをしたのか。想像は色々できる。

 一番ありそうなのが紅華のためだ。

 ウヤクに取り入っておけば、翡翠宮を長く留守にした姫君にも居場所ができると考えたのかも。

 リブラひとりで翡翠宮を東西奔走とうざいほんそうし、紅華が王姫となるための足場を組めるとはとても思えない。問題は、ウヤクが何をさせたのかという点だ。


「それ以上は流石に知らん」


 五年前といったら、天藍だって十二、三歳だ。ムリもない。


「リブラが大竜侵攻とどうかかわっているのか知りたければ、当時のことを知る誰かに聞くしかない……となると」

「当てがあるのか」

「そりゃ、あの人しかいないでしょ、マスター・カガチだ」


 確か、カガチはリブラに恩があると言っていた。それも、五年前の恩。

 しかもカガチは軍部の人間だ。

 このことは、問いただしておいたほうがよさそうだ。


「何を話してるんだ?」


 厨房のほうから、赤い髪の少女が現れる。

 ウファーリだ。


「ハイこれ。頼まれた物」


 ウファーリはカウンターの上に箱を置いた。

 開けると、中には……前に、僕が彼女に調達を頼んでおいた品が収められていた。


「それは?」と、天藍が顔をしかめる。


 ウファーリは気まずそうな顔だ。


「んー、何って、闇で売られてる鎮痛剤だよ。……まあ、ここら辺のやつらは上等の麻薬、くらいにしか思ってないけど」


 天藍は《開いた口がふさがらない》といった様子で、僕とウファーリの顔を見回している。

 そして拳を握ると、カウンターを叩こうとして流石に躊躇ためらった。

 当然だ。感情に任せて小突いただけで、カウンターは真っ二つだ。

 そのかわり、怒声が鼓膜を突き破りそうになる。


「信じられん。学院の教官が貧民街に出入りしているだけで顰蹙ひんしゅくものだというのに、この取引が表に出れば醜聞が一両日中に国を駆け巡るぞ!」

「そう言われても、こういうの、薬局で下さいって言っても買えないんだろう」


 処方箋が無いし、僕に病歴はないので処方箋の出しようがないし。

 リブラが生きてれば何の問題もなかったんだけど……。


「ウファーリなら、こういうのの取引にも詳しいかなあと思って」


 ウファーリは眉間に行く筋もしわを寄せて、首を横に振った。


「いやあ……流石にヒゲじいに頼ったよ。……まあ、先生の魔法はこういうモノでも無けりゃまともに使えないもんな」


 調達役を担当したウファーリでさえ微妙な表情だ。多大な迷惑をかけてしまったことは、とても遺憾いかんである。

 中身は薬液で満たされた注射器が三本。


「当然だけど、後遺症とか中毒症状とか、保障できないから」

「うん、それは僕の責任だよ」

「そうじゃなくて……あんたなら、こんなものに頼らなくても正しい手段でなんとかできる方法があるだろ」


 カウンターから伸びて来たウファーリの指が、僕の鼻をぎゅっとつまむ。

 彼女なりの罰かもしれない。


「……今は時間が無いんだよね。それに、なるべく弱点を知られたくない」


 オルドルの魔法の弱点は、それは《代償の重さ》だ。

 青海文書の読み手なら、それがどういう意味かはわかるだろう。僕が本気で魔法を使ったなら、すぐに《自滅》してしまう魔法使いだということも。


「アルノルト大尉を殺したことで、市警のマークが厳しくなったし……」

「潜伏して、ほとぼりが冷めるのを待つ可能性もある」


 でも、僕も天藍も、事件はまだ続くと思ってる。

 最新の被害者はアルノルト大尉だが、被害者たちは《五年前》というキーワードで繋がって

いるだけで直接の関係はなく、大尉を殺すのが最終目標だという保証はどこにもない。


「……ま、ウファーリに頼んだのには、他に理由があるんだけど」


 とにかく、犯人の目的がわからない。

 彼らを着々と殺し続けることで、僕と同じ青海文書の読み手とやらはいったい何を得るというのだろう……。



「――というわけで、僕はここに戻って来たんだよね」

「前後の脈絡がわかりませんな」


 はっはっは、と快活に笑い声を上げるマスター・カガチ。

 僕は学院の修練場で訓練を続けている竜鱗騎士候補たちの様子を眺める。

 いかにも魔法の学園の授業と言った感じで、物珍しい光景だ。

 しかし、目的は授業見物ではない。


「よく僕の隣で笑ってられるね。余裕なんだ」


 マスター・カガチに本気で追跡されたこと、僕はまだ覚えている。

 僕がかなり卑怯な手段で振り切ったことも。


「クヨウ捜査官に協力したのは、竜鱗騎士を敵に回すのは流石の彼女でも危険だと判断したからです。悪いとは思いましたが、武器を折らせてもらいましたよ。貴方についてはそれ以外にも気になることがありますが……」

「水に流してくれないかな」

「いいでしょう。では、今日はどうしてここに?」

「《五年前》のこと、聞きにきたんだ」


 マスター・カガチの深緑の瞳が、細く切れる。


「貴方はリブラに恩があるって言いましたね。その恩って何なのか、僕に聞かせてくれませんか」

「ほう。それを知って、何とします」


 言葉は穏やかだが、マスター・カガチの前に立つと、言いようのない緊張感に包まれる。

 日本でどの教師の前に立っても、こんな厳粛げんしゅくな気持ちになったことはない。

 自分がちっぽけなアリにでもなってしまったかのような感覚だ。

 抵抗してもむだだ。

 この人が僕を殺そうと思ったら、すぐにでもそうできる。

 僕は粛々と彼の結論を受け入れるだけだ。

 だから、僕は偽らなかった。


「……百合白さんの力になりたい。天藍のことを理解したい。ウファーリの本当の友達になりたいし、イブキのことも何とかしたい」


「バカバカしい」と、天藍が吐き捨てる。


 だから、お前はいったい誰の味方なんだ。

 そう言いそうになり、少なくとも僕の味方ではないかもな、と思い直した。


「天藍の言うことに賛同するわけではありませんが、それだけではないでしょう、ヒナガ先生。嘘をつくのはやめたほうがいい」


 マスター・カガチは書き物の手を止めて、こちらに向かいあった。

 僕のことを教師だなんて思っていないくせに、と言いたいのをこらえた。

 自分の不満をぶつけても、何も解決しない。


「……戦いたいんだ。戦う方法を見つけたい、そのためにできることは何でもしたいんです」


 彼に向かって、こんなことを言うのは気が引ける。

 でも、僕は未だに敵の姿すら見えていない。

 このままでは犯人が誰なのかもわからないまま、敵は目的を達してしまう。

 情けなくても、どれだけお膳立てされても、魔法が使えるようになっても、僕は僕で、それ以上のものにはなれなかった。

 もう見ているだけは嫌だ。

 カガチはじっと何かを考え込んでいたが、やがて諦めたように話し始めた。


「……いいでしょう。私の知る限りのことを教えて差し上げます。それが貴方の役に立つというのなら」


 そう言って、カガチは長く、冷たく、残酷な話をし始めた。

 鶴喰砦つるばみとりで

 五年前、そこに立てこもった逃げ遅れた市民と、兵士たちがいたこと。それはイネスの話で知っていた。でも、カガチは別の視線から、同じ出来事を語る。

 当時、竜鱗騎士は仲間が、守るべき民がそこにいると知りながら王姫・星条百合白せいじょうゆりしろの命令によって何ひとつ手出しできなかった。

 砦を救ったのは、彼女の命令にひとり背いた竜鱗騎士と……そして、リブラだった。

 その事実を知り、ショックを受けたのは僕だけではなかったらしい。


「何故、紅華の手下のあの男が……!?」


 天藍もだ。


いやしの術に長けた玻璃家の者といえど《禁術》とされた魔術を用いることのできる魔術師は、当代では玻璃はり・ブラン・リブラ殿以外にはいない」


 長く魔術を禁止され、使い手が極端に減少しているこの翡翠女王国で、禁術とされた魔術玻璃の天秤を使うことのできる天才。

 それは僕にみせていた医師としてではなく《魔術師》としての側面のリブラだった。

 能あるたかは爪を、とかいうが少々隠しすぎだ。


《それに私らは結局、先の戦では何もできませんでしたからな……》


 最悪だった自己紹介のとき、そう言って苦い顔をしていたカガチ。

 その表情の意味が、やっと飲み込めた。

 そして、どうして僕に協力してくれたのかも。

 彼は僕の後見人がリブラだったから、親切にしてくれていたんだ。


「具体的な術の内容等、未だに公開されていない情報もありますが。彼が我ら竜鱗騎士にできぬことを成しげたことに代わりはない。――天藍、騎士団を背負う者として心得ておけ。この事実を知ったうえでの無礼は許されぬぞ」


 黙りこんだ天藍の表情に浮かんだのは、羞恥しゅうち。悔しさより、恥ずかしさ。

 握った拳が震えていた。

 観客席を出るまで、天藍はずっと無言だった。


「天藍……」

滑稽こっけいだろう」


 声をかけると、そう答えた。

 どこかの教室で授業をしている声が聞こえる。


「竜鱗騎士となり、姫殿下をお守りするためだけに奮闘してきた。なんの後ろ盾もなく、いつも力不足で……結果がこれだ。殿下は消すことのできない罪を背負い、翡翠宮に戻ることも叶わない」


 張りつめていた糸が、切れそうになっているのを感じる。

 天藍にとって、リブラは百合白さんを脅かす敵だ。その敵に尻ぬぐいをさせていたとわかったのだから、彼のプライドはズタズタもいいところだろう。

 こいつのことは気に入らないが、笑う気にはなれなかった。


「滑稽なんかじゃない。おかしくなんかないよ」


 どう言ったらいいのかわからない。でも。心の底からそう思う。


「天藍、お前の大変さだって、すごくよくわかる。だって、まだ子供だったのに……」


 僕は言葉を飲み込む。

 自分のことですら、自分でできない子どもが、親に放り出されたらどうなるか。僕は汚いマンションの一室で、天藍は翡翠宮で、子供時代を殺しながら生きて来た。

 百合白さんは、そんな僕たちの手を取ってくれた人だ。


「僕も百合白さんを守りたい。その方法が知りたい」


 どうしたらいいのかわからないのは、天藍だけじゃない。

 ウファーリだって、かつてはそうだった。

 僕もそう。イブキも同じ。

 僕は右手を差し出した。


「きっと、僕たち……ひとりじゃムリだ。足掻あがいても、足掻いても、同じことの繰り返しになってしまう」


 戦い方を知らない僕。

 戦い方を知っていても、大切なものを守れないでいる天藍。


「二人で、別のやり方を探そうよ」


 きっと何か方法があるはずだ。

 別の方法が。

 僕たちが、本当に欲しいものを手に入れることのできる、別の方法が。


『ねえねえ、ちょっとイイ?』


 オルドルが腰の水筒から絶妙なタイミングで話しかけてくる。


「永遠に黙ってろ鹿」

『ええ~~~? 後から文句言われても知らないからネ?』


 空気が読めないのか空気が。

 天藍はというと、奇妙なものを見つめるようにじっと僕の手の平を見つめている。

 馬鹿馬鹿しい、とでも考えているんだろう。

 僕と手を組む、とか言い出したのは天藍が先だけど……きっと本意じゃなかった。

 紅華から、百合白さんを守るためにどうすればいいのか考えた結果でしかない。

 僕が差し出した右手を、下ろそうとしたとき。

 天藍の右手が動いた。

 まるで夢みたいで、時間が止まったみたいだった。

 彼は、白い人形みたいな手をこちらに伸ばして……。

 僕たちの掌があと少しで触れ合う。そのとき。


 ズン。


 音と、震動が学院を襲った。

 地面が揺れ、建物全体が揺れる。

 天井から砂埃が落ちる。


「地震……!?」

『けいかい、けいか~~~いっ!』


 オルドルの声がはじける。


『だから言ったじゃん! 青海文書の魔法の気配がする。しかも、メチャクチャ近いよっ!』

「え?」


 ほとんど同時に、杖が不気味に震えた。

 黄金の林檎が、金色の光を放つ。

 そして僕の意志を離れて《文書》に戻ってしまった。

 自由落下する本を、慌てて抱き留めた。


「何だこれっ……」

『原典が、ボクじゃなく彼女の魔力に共鳴してるんだ。ボクの支配を凌駕りょうがする魔力だっ』


 書物は勝手に開き、ページを捲り、見知らぬ文字が魔力の光を放つ。

 光輝の魔女と同じ光を。

 その、文字列は、たぶん。

 魔力が高まり、文書の『ザワザワ』した声が聞こえてくる。


 昔々、ここは偉大な魔法の国。

 あるところに美しい娘がいました。

 娘の名はサナーリア。


 サナーリア、あなたに権利はある?

 物語を手に入れる勇気が?


 オルドルが恍惚こうこつとした声を上げる。


『ああ……信じられない、今ならサナーリア……感じるよ、キミを! なんて、すさまじい力なんだ! こんな魔法を使ったら読み手は全てを失ってしまうヨ……!』


 ほとんど同時に、天藍が空を見上げた。

 何もない青空が、一瞬で。

 僕は瞬きすら忘れた。

 地面は震動を続けている。

 そして空が、紅色に染まる。

 どこからか、鐘の音が聞こえた。

 紅の空に、鐘の音がけたたましく鳴り響いている。

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