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眼下に
それを見下ろす薄桃色の瞳は、悲痛であった。
ガラス窓に、破壊を
部屋の中には、ピンクのクロスがかけられたテーブルがある。
茶器と茶菓子も用意されている。
休日や、謹慎中のときは、この部屋でノーマン副団長を招き、お茶の時間をするのがここのところ百合白の日課だった。
騎士と姫、立場は違えど気心のしれた女性どうし、たくさんの話をした。
流行の服のこと、本や絵画、演劇のこと、恋愛や人生哲学について。
攻撃力に特化した者が多い騎士団で、探査能力に重点を置いた彼女の能力は異能であった。
しかし彼女がひとりいれば、天海市全域を包囲する探査網を構築することができる。おまけに、軽い言動の割に馬鹿ではない。マスター・カガチが
それだけに彼女は自分のすべきことを理解していた。
団長・天藍アオイが戻るまで、騎士団が守護すべき者、星条百合白のそばを離れず敵から遠ざけ続けること。
たとえ何万という国民が竜に
ノーマン副団長は雄黄市とはまた別の戦地で竜と戦い続け、騎士として必要不可欠な非情さと不合理な理論を獲得していた。すなわち、ひとりを守護するために、時には無数の罪のない命を見捨てなければいけないということだ……。
「あなたの考えは、私も共感するところです、副団長……人を守るということは、簡単なように見えて世の中でもっとも難しいことなのでしょう」
けれども彼女には弱点もあった。
マスター・カガチや天藍アオイとは違う。非情に
市街地に飛竜が出たとき、百合白は、避難を
『そこで何をしているのです、ノーマン副団長。海市に竜が現れたのですよ。竜鱗騎士団は、民を守らなくてはいけません。ここで食い止めなければ、天市におられる王姫殿下に奴らの牙が届くのも間もなくでしょう』
『天藍がこちらに戻ると連絡をしてきましたが、必要ないと伝えました。騎士団の皆さま、どうか、女王国の民を守ってください。そうでなければ、この百合白は避難はしません』
『私が避難するのは女王国の民、その最後のひとりとしてです』
ノーマン副団長は、やろうと思えば彼女を力ずくで避難させることも可能だった。
だが彼女はそうしなかった。
その視線は、見慣れた茶器やクロスに移った。
そこで過ごした時間は、
だから、彼女は騎士としての立場を瞬間、忘れた。
そして百合白の……姫としてではなく人としての意志を尊重することを選んだ。親しい女友だちのような百合白姫の、個人的な願いをかなえるという選択をしてしまったのだ。
「だからこの結末は、私の望み通り。予測されたものでした」
彼女は窓の外を見て、微笑む。
紅の空を背景に、巨大な竜が頭から、回転しながら落下してくる。
紅い血の帯と共に、その口に騎士のひとりを
瞳は百合白を
銀華竜は地面スレスレまで高度を落として、死体を吐き捨てると、再び急上昇。
発達した
百合白は少し下がっただけで、逃げようとはしなかった。
ただ、強化ガラスの向こうにある存在を愛しげに
微笑みながら。
数秒の後、咆哮と共に、最上階の壁面が破壊された。
息吹でもなく、魔術でもない。
単純な破壊。
土埃が舞い、何層もの魔術防御が食い破られ、壁材が崩れ落ちる。
遠く離れた貧民街で、女騎士の悲鳴が上がった。
*
「何が起きた……!?」
天藍の呆然とした呟きは、そのまま僕のものだった。
下屋敷から、竜を追って貧民街に直行し、そこで竜が消えるのを見た。
煙のように、何の気配もなく
竜鱗騎士団のひとりらしい若い女性が、呆然と路地に座りこんでいる。
「副団長、何があった!」
天藍が駆け寄る。
「だ、団長……! 姫、殿下が……!」
百合白さんが……?
彼女の口からこぼれた言葉は、信じ難い単語の連なりだった。
「住まいが、竜に襲われて……」
「竜? 飛竜のことか?」
「いいえ、先程、我々の前から消えた銀華竜です」
そんな。
僕は絶望感に、声も上げられない。
「姫殿下はご無事か」
そう訊ねた天藍の勇気を、表彰したいくらいだ。
「……反応がありません。連れ去られ、再び消えました。少なくとも天海市にはいません」
天藍が僕を見てくる。
それより早く、僕は金杖を抜いていた。
「《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」
師なるオルドルの感覚を借り、情報を収集する。
それだけだと捜索範囲は流石に狭い。
腰に下げた水の瓶を割り、中の水を媒介にオルドルが、僕の唇を借りて呪文を
「《清き水の流れよ、万物を浄化し
その偉大な力でもって、我に王者の冠を与えたまえ。
水のめぐるところすべて、木々は我が手足、獣は我が瞳、我が耳、我が声音……。
オルドルの感覚が広がって行く。
街路樹や上下水道を流れる水、街のあちこちに潜む獣たち。
鳥や鼠、野良犬や猫、虫たちが、彼の支配下に置かれていく。
そして、オルドルの視界が僕に流しこまれる。
上部三層が破壊され、煙を上げる高層ビル。
地面には殺された竜鱗騎士たち。
何故、避難していてくれなかったんだろう……。
天海市の中に、あの
無い。
学院にも、
奉仕院にも。
天市にも、翡翠宮にも。
どこにも無い。
くまなく探したところで、彼女の姿は無かった。
《新任の先生なんですね》
そう言って、僕を助けてくれた。
頼む、お願いだから、鈴を鳴らしてくれ。
しばらくの間、魔法を維持しながら願った。
どこにいてでも捉えられる。
最後に会ったとき、彼女は寂しそうだった。
あのまま別れるなんて、イヤだ。
僕には耐えられない。
また聞かせてほしかった。あの鈴の音、その優しい響きを……彼女がどんな罪を背負っていたとしても構わない。
この世界のすべての人が彼女を許さなくても、異世界人である僕だけは許せる。
瞳の奥が熱く煮えたぎるのがわかった。
情報を処理しきれなくなった脳味噌が
『……ツバキ、そろそろ切ったほうがいい。これ以上はムダだし、君の負担が大きすぎる。失明しちゃうヨ』
「ツバキ!」
名前を呼ばれて、魔法による捜索を打ち切る。
天藍が僕の肩を掴み、揺さぶっていた。
その顔は、必死で。
「…………ごめん」
それだけしか言えなかった。
僕は灰の瞳を見る。
灰の瞳も、僕の瞳を透かして残酷な現実を見ていた。
天藍は、竜鱗騎士でも、魔術師でも、美しい少年でもなくて。
ただの何もかも無くしてしまったひとりの人間に見えた。
彼は僕と同じだ。
守りたくて……彼女だけが希望で。
それなのに守れなかった、愚かな魔術師がふたり、ここにいる。
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