17 青海文書
昔々……。
今では、大昔に思えるような話だ。
翡翠女王国はあるときから魔法に不寛容であった。
それらは徹底的に排除され、行使者は殺された。
魔法や魔術に関するものは、魔法書でもない一冊の小説でさえ禁止された。
そして長い時間が過ぎ、世の中では、旧社会的な魔術師や魔法使いたちの弾圧がひととおり終わって、夕凪のように穏やかな日々が続いていた。
ある安アパートで、若い男が死んだ。
彼の名前は、■■=■■■。
ある時期までは、彼の数奇な運命とともにその名が語られていたが、今はもうどこにも記録が残っていない、名前のない男だ。
彼は、周囲の人々……隣人や友人、同僚たちからは、学校の清掃員だと思われていた。
事実、彼は清掃員として雇用されていた。
マジメに働き、ひどい夏風邪でもひかないかぎり、欠勤したことはない。
しかしそれが彼の本質でないことは、その死後に明らかになった。
ある日、職場に姿を現さない彼を不思議がって、友人たちがアパートを訪れた。
男は書き物机に突っ伏して眠っているようにみえた。
彼の周囲には、無数のページが舞っていた。
魔法の物語を記した紙片はかき集めると分厚く、最後のページはまだインクがにじんでいた。
友人らは彼が死んだことを悲しんだ。
そしてその悲しみは、彼が遺した物語を、一冊の本にした。
彼が物語を書いていたことを知っている者はただのひとりもいなかったが、そうすれば、若くして死の国の門を叩いた彼という思い出を形に残せると考えてのことだった。
友人たちは紙片を集めて、ごく少数だけ、本を刷って、それを自分たちで一冊ずつ所持することにした。
やがて、その物語が人目につき、小さな出版社が販売するにいたった。
その頃の翡翠女王国は魔法や魔術に関する書籍が一斉に焼かれた時代が通り過ぎ、単にそれらをモチーフにした読み物や小説に関してはおおらかになっていたのだ。
それが仇となった。
世の中に出たこの《本》はわずかだったが、それは災厄をふりまいた。
まず最初に、この本を手にした友人たち全員が、ひとり残らず死んだ。
彼らのなかには、瀕死の状態で、こんなことを口走った者もいる。
「《物語》が、現実になってしまった」
そのとき、海市には《物語》は《本》という形をとり、百冊以上が販売された後だった。
物語は本となって広がり、人の口に乗って語られ、想像力によって補われる。
ときには書き写される。
流出には歯止めがかからなかった。
なお、青海文書の作者とみられる男。
■■=■■■の死因は、一瞬で体内の臓器全てを抜き取られたことによる、ショック死となっている。
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