26 謎の予告状
女性というのは、みみっちい男どもにはない何かを持ってる。
激情と、思いがけない行動力。それも爆発的なやつ。
こういう場面を前にすると、僕はいつもそのことに対して揺るがぬ確信を得るのだ。
「せ、先生――!! やばいぞ、来てくれ!」
突然上がったイネスの叫び声を聞きつけて現場に駆けつけると、そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。
アリスが、燃え盛るたいまつを掲げていたのだ……。
信じられないだろう?
僕も、夢をみてるんじゃないかと思った。
もちろん、室内だ。
それだけでも十分以上に異常事態なのに、彼女はごうごうと猛り狂う炎を今にも《青海文書》に振り下ろさんとしていたのだ。
その横顔は何もかもを滅ぼさんとする決意で塗り固められており、古代迷宮に挑む冒険家か、はたまた儀式中の呪術師のようにもみえた。
千人の訓練された兵士たちがたった数日で七十人になってしまうような地獄を生き抜いた男を取り乱させるなんて中々やるじゃないか、アリス。
……いやいやいや、感心してる場合じゃない!
ぼうっとしていた男どもの時間が動き出す。
「は、はやまるな! スプリンクラーは!?」
「うちは一部、貴重な文献を扱う区画には、通常のスプリンクラーが無いんです! 消火器を持ってきます!!」
イネスがばたばたと駆けだしていく。
「あれはたしか、お前の本だな?」と天藍が呑気なことを言った。
「そうだよ!」
すると、線が細いせいでどこか優しげにみえる容貌の天藍の姿が、おおきく膨らんだように感じた。
彼は剣を抜いた。
でも、抜いたところは見てない。風を感じただけだ。
たいまつの炎は消えていた。
天藍が無表情で刃を鞘におさめる姿に、うすら寒い思いがする。
やつは炎を剣圧だけで消し去ったのだ。
消えて、煙をあげるたいまつを挟んだ反対側の壁には、横一文字に亀裂が入っていた。
僕が感じたのは、彼の剣技への賞賛ではない。
こいつは殺そうと思えば、僕の首をこんなふうに飛ばせるんだな、という事実だ。
~~~~
「あ~あ……。もったいない」
幸いにして青海文書自体には傷ひとつなく、後から燃えかすになったいくつかの研究資料が発見された。
動機について、犯人は「覚えていない」と言い張っている。
「直前ににゃにをしてたのか、全く思い出せにゃいですにゃ……」
椅子にしばりつけられたアリスは眉をしかめて呻いている。
「酒でも飲んでたんじゃないの?」
「アリスは下戸ですにゃ……あにゃっ!? もしにゃ、竜鱗騎士団の団長さんじゃにゃいですかにゃ~?」
館内を一回りして戻って来た天藍を見つけたアリスが、どこかで見たような反応を示した。
まったく……他人の本を焼きかけておいて、それか。
僕は青海文書を開き、欠損が無いか調べていく。
竜鱗魔術に巻き込まれても無事だった本だから、大丈夫だとは思うんだけど……。
「あれっ……」
そのページの間に、カードが挟まっているのを見つけた。
「こ……これは……!」
四角いカードなのだが、その絵柄が赤い片目の猫を描いていた。
僕はこれを知ってる。
これは……。
そう、これは、キャッ●アイだ……。
古い。
かの有名な名作漫画、またはテレビアニメで用いられる、予告カードだった。
ネタが古すぎて、伝わらない確率が高すぎる。
まだぴっちぴちの十代である僕に無視されなくて、本当によかったな。
カードには黒いインクと流麗な文字によってメッセージが書き込まれている。
『これに懲りたら二度とアリス・アネモニに青海文書を見せないように。
次は何が起きるか保障しない。
まあ、それ以外は君の自由だ。
慌てずともいずれ君は文書に書かれたオルドルの持つ魔法のすべてを手に入れる。
森にひそむ無限の財貨、あふれる水の偉大な魔力を。
青海の魔術師たちのすべてだ。
遠くから見守る、O』
まるで忠告文だ。
だけど、それ以上に。
僕にはこのメッセージが読めた。
読めるってことが重要なんだ。
ここに書かれている言葉は日本語だ……。
最後のサインはアルファベット。
カードをこっそりとポケットに忍ばせる。
どこかに、僕以外に、異世界からやってきた……漫画好きがいる。
そして僕がここにいることも知っている……。
たぶん、アリスの知り合いだ。
直接聞ければはやいんだろうけど、それだと僕が異邦人であることもバレてしまう。なんか、そのへんもぜんぶ折りこみ済なメッセージな気がするな……だれかは知らないが、嫌な感じ。
「先生と天藍団長がお知り合いだったとは……女王国も事件続きでにゃにかと物騒ですから、安心ですにゃ」
縛られたまま会話しているアリスの縄を解いた。
「先生、ごめんなさいですにゃ……」
「いいんだ。アリスさんのせいじゃない。……もしかしたら、記憶がないのは青海文書を読んだせいかもしれない。なにしろ、魔法の本だからね」
ちがう、と自分で言いながら思った。
彼女の記憶をうばったのは、カードの送り主だ。
「気に入らないな」と天藍が僕にだけ聞こえる声で言った。
指先が、さっきカードをしまったポケットを示した。
みられてた。
気が付かないはずないとは思ってたけど……。
「お前も、友だち百人つくったほうがいいんじゃないか」
ここぞとばかりに言い返してくる。
普段なら、流して、何もなかったことにする場面だ。
でも、だめだ。
「君に何がわかる」
ここに僕のほんとの味方はいない。
少しでも間違った決断を下せば、心臓が止まって、僕は死ぬんだ。
天藍はまだ何か言ってくるかな、と思ったけど、向こうをむいて「ふん」と鼻をならした。
それだけだった。
「あのう、先生。お取込み中すみませんが、お電話です。魔法学院から」
ちょうどいいタイミングでイネスが入って来た。
黒い子機(おそらく、そういうもの)を受け取り、耳にくっつけ……るまでもなかった。
『ちょっと!! 日長先生!!! いったいどこにいらっしゃるんですかッ!!!!?』
灰簾柘榴の怒声が耳をつんざく。
僕はめいっぱい耳から離して、指でつまんだ。
でもじゅうぶん、声が届く。
「いえあの、人違いで……」
『なワケないでしょ! アナタ……ウファーリに何をたきつけたの!?』
「……ウファーリ?」
『ああもう、こんな時に限ってカガチ先生は実習で外出しておられるし、竜鱗学科はもぬけのカラだし……! はやく何とかしてくださらないと、クビにしますよ!』
「ええ!? 困ります! っと、ウファーリがいったい何をしたんです!?」
『百合白殿下を人質に立てこもってるんです!!』
僕の頭の中は一瞬で真っ白になった。
次の瞬間、天藍が上着の襟首をがっつりとつかむのを感じた。
たぶん、これから大けがすると思うけど、もうどうでもいいや。
天藍は手近な窓を蹴り破り、外に出た。
ガラス片が地味に僕の肌を裂いていく。
アスファルトに一瞬足をつけたや否や、跳躍。
隣のビルの側面に両足で着地し――その壁を走りだした。
しかも直角、直線に。
十秒とかからず市民図書館を真下に望めるほどの高さに登りつめた。
さらに壁を蹴って空中に体を投げだす。
天地が逆転して、ぐるりともとに戻る
天藍が柄に触れ、竜鱗魔術を発動。
大きな翼を二度ほどはためかせると、風を掴んで飛び上る。
「えーと……」
僕は子機のむこうで怒鳴りっぱなしの灰簾理事に告げる。
「あと三分もかからずに到着します」
生きてたら。
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