25 五年前

 昼時だからか、向かいのパン屋が人気だった。

 だが、相変わらず市民図書館のほうには人気は無い。

 閲覧室にアリスの姿もなかった。

 僕と天藍が訪れて間もなく正面入り口から、警備員のかっこうをした若者が現れた。

 右手に提げた紙袋から焼き立てパンにおいがする。


「お早いお帰りですね、ヒナガ先生」

「君か」


 とかいって、名前も知らないんだけど。


「アリスさん、知らないかな?」

「さあ~、ちょっと昼飯買いに出てたんで。先生、印象変わりました?」

「不幸な事故だよ」


 失われたものは戻ってこない。前髪のことは忘れよう。


「お連れさんは、その制服からすると魔法学院の生徒さんですかね」


 警備員が天藍を見つけた途端、その表情が固まって妙な感じになる。

 そして突然、歓喜の声を上げた。


「うわっ! すげえ、竜鱗騎士団の! 天藍アオイ団長だ!!」


 まるで、憧れの芸能人に対面したファンみたいな反応だ。

 それもかなりミーハーなやつ。

 面白いのは彼の表情がそこから一気に青ざめていったところだ。

 エレベーターの昇降運動みたいだった。


「自分は! 元・翡翠女王国陸軍東方第三七六部隊出身のイネス・ハルマンであります! ご挨拶が遅れて申し訳ありません!!」


 警備員は姿勢を正し、胸をそらして左胸を拳で叩く。

 そういえば……。

 天藍が騎士団長だという話はどこかで小耳に挟んだ。


 もしかして有名人なのか?


「よろしい、イネス少尉。こちらこそ会えて光栄だ」

「ええと、どうして俺の階級を……自分のことを知っているでありますか?」

「東方三七六部隊というと、銀麗竜侵攻の際、雄黄ゆうき市防衛の任に当たり鶴喰砦つるばみとりでに避難民とともに立て籠もり生還を果たした《奇跡の帰還部隊》だ。翡翠女王国の軍人で知らぬ者はいない」

「い、いえ! そんな、覚えていて頂けてうれしいですが……自分は、その事件がキッカケで傷痍軍人となり、退役した身なので……」

「軍を離れたとしても、貴官の働きは恒久的に王国軍人の模範であり、その戦いにおいて得られた栄誉が朽ちることはないだろう。私に対する礼は不要だ。むしろ私が礼を尽くすべきであると考える。会えて光栄だ」

「そんな恐れ多い……!! そのお言葉だけで十分。いいえ、できれば握手なんかしていただければ」


 天藍はいつも白手袋をつけているのだが、それを外し、右手を差し出した。

 剣を振るうとはとても思えない、抜けるように白い、陶器の人形みたいな手だった。

 イネスがおそるおそる手を差し出すと、天藍はその手を引き寄せるように握り、さらに左手を重ねてかたく握りしめた。


「君は翡翠女王国の真の勇士だ。君たちのように命を惜しまず、民を守るために戦い抜いた戦士がいることを、誇りに思わない日はない」

「うわあ! お、俺、絶対、これみんなに自慢しよう……!!」


 僕は、次の言葉をぐっと飲み込んだ。


 この茶番、いつ終わるの?



 どうやら翡翠女王国には《五年前》というキーワードがはびこっている。

 それは長老級の大竜、《銀麗竜》と、その呼びかけに応えた五体の竜が侵攻し、雄黄市壊滅が決定的となった出来事を示してる。


 そういえばリブラが何かそのようなことを言っていた気がする……。

 流して聞いていたからおぼろげだし、そんなに大事なこととは思わなかった。


 イネスが所属していた陸軍東方三七六部隊は、通常は黄市と紅蠍砂漠こうかつさばくという竜の領域の境界を守護する歩兵大隊だった。

 しかし突然の竜族の侵攻により、黄市は壊滅。

 部隊も半分の戦力となって敗走し、雄市で友軍と合流して避難する市民の誘導と護衛にあたった。

 だが雄市は紅蠍砂漠ではなく、やや南よりの峻厳な山岳地帯を根城にしている《銀麗竜》とその一派の、予測不可能な奇襲を受けた。

 防衛部隊は司令官を失い、散り散りになって壊走し、軍隊としての機能を失った。

 だが三七六部隊だけは避難する雄市市民をかばって最後まで銀麗竜と交戦した。

 部隊には……というか、魔術を禁止した王国は、《竜鱗魔術》以外に竜へのまともな対抗手段を持たない。

 よって、それは敗北と死を前提とした悪あがきでしかなかった。

 そして、たった二百人余りの兵士たちが逃げ遅れた市民や保護した負傷者と共に鶴喰砦という古い城塞に立てこもった。彼らの生存は絶望的にみえたが、援軍が救助に訪れるまでの一週間を奇跡的に戦い抜き、市民を護りぬいたのである。

 だから《奇跡の帰還部隊》と呼ばれている。


 ただ、実際に帰還した部隊員は約七十名。

 市民は二十五名である。


 あまりにも大きすぎる犠牲を払ったためか、この事件は長い間、機密事項とされていて存在を知らない人たちも多かった。

 そんな壮絶な経験を目の前のひょうひょうとした若者が切り抜けてきたのかと思うと、意外な気がした。

 世界のどこででも、人類は戦いをやめられたことはないというけれど……。

 事件当時、彼は二十歳とか、そんなとこだろう。


「黄市の国境で働くとね、先生。危険手当がつくんですよ。年中、小競り合いばっかりですから」


 若者は何でもないように言う。


「それで俺の双子の弟は、銀麗竜が攻めて来る前にやられてしまいました。でもあとから考えてみると、それでよかったんです」


 そのあとの経験が、あまりにも凄まじく耐え難いものだったからだ。

 僕には想像もつかないけど……。


「戦いを選べる者は幸いだ」と天藍が言った。


 ええ、ほんとに、とイネスが応じる。

 天藍は毅然きぜんとした態度で、僕からすると表情がまったく読めなくなっていた。

 さっき、ウファーリと三人でいたときのほうが、よほど柔らかくて年相応だった。

 竜鱗騎士団は女王の指揮下にあり、そこに所属しているというだけで普通の兵士たちより階級も上、そして憧れの存在でもあるらしい。

 イネスに気を使って、そういう存在を演じているのではないだろうか。


「それで、アリスさんはどこかな?」と僕から切り出した。


「ああ、そうだった。探してきます。少々お待ちください」


 イネスはま図書館の奥へと入って行った。

 天藍をみると、柳のような眉をひそめて苦々しい顔つきをしていた。


「ああいうのは苦手だ」


 おや?


「思ったより、堂に入っていたようだったけど」

「ああいう場面になったときのために、台詞はあらかじめ一字一句違わないように暗記している。些細な噂から俺の悪評が広まれば、それはそのまま姫殿下の傷となる」

「あ、そう……」


 でも、確か……星条百合白が、王位継承権を紅華に譲ったのも、この事件がキッカケだったような気がする。そして、マスター・カガチや、天藍といった竜鱗騎士、または元竜鱗騎士が事件に対して《何もできなかった》と言ってる。


 竜鱗騎士団に何があったのかな……。


 それを聞きたかったが、純粋に邂逅かいこうを喜んでいるイネスの前で天藍に訊ねるのは、気が引けた。


 うまくいえないが、なんだかあまりよくないことのような気がするんだ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る