41 過去
「気のせいですよ」と、僕は無意識のうちに口にしていた。
おかしいな、別に黙っておかなくちゃいけないことってわけでもない。
うまく説明するのも難しいけれど……。
ともかくうそをつくときは、こっちが堂々としていれば、むこうは勝手に都合のいい解釈をしてくれる。
ただし、深緑色の瞳は全然納得してくれない。カガチは嘘をすべてみぬいていた。
彼は僕をマスター・ヒナガとよぶ。けれど、心の中では全然そんなふうに思っていない。
たぶん、一番厄介な敵なんだ……。
コンコン。
扉をノックするのと同時に、白い彫像のような少年が入ってきた。
ズカズカ、と表現していい図々しさで入ってくる。
「天藍……?」
「ヒナガツバキ、姫殿下のことで話がある。マスター・カガチ……火急の要件にてこちらを優先させていただきたい」
こいつ、凄まじくいいタイミングだ。ストーカーか何かか?
カガチはその真意を値踏みするような目をしていた。
「構わんが、天藍、おなじ竜鱗騎士であるおまえならわかるだろう。何かにおわないか?」
「さあ……とくには何も。それとも、試していらっしゃますか?」
天藍は不思議そうに、少し首を傾げ、あたりを探るような目つきをしている。
カガチは唇の片端を吊り上げ「わかった、もういい……」と言った。
疑いが晴れたわけではないが、この場は見逃してくれるようだ。
「行くぞ」
「え? ええっと……」
僕は天藍に腕を掴まれ、会議室を足早に出た。
本部棟から離れていく。
天藍はずっと無言で、いつ見てもぴんと伸びた背中からは妙な威圧感がはなたれていた。
「もしかして、助けてくれたわけ?」
「図書館のとき……」
短く答えが返ってきた。
そういえば……イネスと話していたときに、僕の一言で、まあ……意図してやったわけじゃないけど、天藍にとって苦手な場面を終わりにしたことがあった。
そんなささやかすぎることを覚えていて、助けに入ってくれたということか?
意外だ……意外すぎる。
「なあ……天藍」
ありがとう、と言おうとして声をかけると、くるりと振り向いたその美貌は、思いっきりゆがめられていた。
「いったいなんだ、そのニオイ……とっさにとぼけてみせたが、腐った血の臭い……獣の臭いだ。不快だ。その杖といい……」
感謝の言葉は引っ込んだ。
僕はさすがに、服を鼻にもっていって、においをかいでみた。
「体臭とはちがう」と、天藍が
「別人の、血」
「そうだ。たった一晩で、何があった?」
「わからないよ、僕にも……それより」
百合白さんのことを聞こうとしたとき、目の前に黒塗りの車がすべりこんできた。
続け様に三台だ。
先頭の車輛から、さっそうと……。
「なんだろ、あれ……」
三段フリル……しかも黒のフリルに覆われたスカート、そして黒レースの傘、黒い口紅……恐ろしく気合いの入ったゴシックドレスに身を包んだ女性が車から降りて来る。
「海市市警の、クヨウ魔法捜査官だ」と天藍が言った。
「知り合い?」
「いや。魔術捜査に関しては抜きんでた人物だときいている」
なんか、聞きなれない単語を聞いた。
それは魔術で捜査するのか、魔術を捜査するのか、どっちなんだろう。
両方ともかもしれないが。
女はこっちをじっと一瞥したあと、厚底の靴を鳴らして、本部棟に去って行った。
「何か用事でもあるのかな……?」
「さあな。だが、魔術を使う者ならば誰もが恐れる女だ。深入りしないに越したことはない」
「ふうん……」
少し気になったが、少しだけだった。
それより。
「あっ……」
そのことに気がつき、僕は声を上げた。
「どうした?」
「病院に、貰った薬とか、包帯とか……忘れてきた」
あまりにも慌ただしくしていたから、せっかくもらったお菓子まで置いてきてしまった。
「もう残っていないだろう。諦めろ」と、天藍が冷たく言う。
「そういうわけにもいかないよ。あれは、大事なものなんだ。ちょっと考えがあって……取りに行くよ」
駆け出そうとして、足を止める。
方角がわからない。
あと、持ち金もないので、公共交通機関の利用もできない。
「えーと……」
「どうやって病院に戻るかさえ、わからないとか言い出さないだろうな?」
天藍が心底バカにした目で見下してくる。
「……そうだよ。わからないんだよ」
僕はバカだ。
ああもう、そういうことさえ自分で認められるようになってきて、変化を感じる。
異世界生活で主人公が成長するっていうのはよくある筋書きだけど、これって、いやな方向の変わりすぎだ。
「案内してやる」
「……へ?」
天藍は真顔だ。いつも通り。
「お前、どうしちゃったの……? そんな親切なやつだったっけ?」
「親切ではないとは、言っていない」
彼は正門のほうへと歩きはじめた。
よくわからない……彼は百合白の騎士で、昨日のことで彼女が処分を受けたことに怒っているはずだ。そして、その原因は紛れもない、僕なのに……。
考えてみれば、これまで状況に流されるだけで、こいつがどういうやつなのかについては考えたこともなかった。
「来ないなら、置いていくぞ」
天藍が振り返る。
「待った、行くよ! 行くってば!」
僕は慌てて駆けだした。
付属病院は、学園からは離れた場所にある。海市の繁華街に近いところだ。
天藍は、道路の真ん中を走る路面電車に乗った。
路面電車は海市中心部の主要な交通機関のひとつ。
それから、学園の生徒や職員は、これの利用はタダらしい。
制服の右袖にくっついている宝石……これが身分証代わりになっていて、専用の機械にかざすことで認証される。電子通貨みたいに各種支払にも使えるもの、らしい。
車体にのりこむと、客の視線が天藍に吸いついた。
イネスみたく、正体を知っているわけじゃないみたいだが……まあ、美形の運命だ。
「これって、魔法の一種じゃなのか?」
右袖のカフスをいろいろいじりながら、訊く。そういえば、ランプにも、似たような石が使われていたけれど……。
「一種といえば、そうだ。翡翠女王国の地下には様々な鉱石が埋蔵されているが、それらは魔力を帯びている。元々自然界に存在するあらゆる物体には、たとえ微小でも魔力が含まれているものだが……女王国産の鉱物はとくにそれが強い。そしてこれを利用することは、禁止されていない」
輸出には厳しい制限がかかるらしいが、国内での利用はほぼ自由だ。
これらの石がいろいろな道具となって人々の生活を支えているため、禁止されると立ち行かなくなるのだ。
ただし、それを戦闘とか、犯罪に使うとなると、話は別だ。
「鉱石……石じゃないけど、金とか銀とかの金属はどうなるんだ?」
「それらは、魔力を宿しているものの……翡翠女王国の技術では、どうやっても魔力を抽出することができない。原因不明だ」
僕の脳裏に浮かんでいるのは、もちろんオルドルの魔法だ。
銀の森、金でできた動物……あいつは、好き放題にやっていたけれど。
「そんなことも知らないのか?」と、天藍が不審顔だった。
「いや……その、よく世間知らずって言われるんだ!」
慌ててごまかした。
「ふん……どうせ、お前も貴族の出身だろうしな」
あれ、妙な納得のされ方だ。
「どうして?」
「名前でわかるだろう。藍銅と翡翠女王国はもともとひとつの国家だった。今でこそつかず離れずの距離だが……伝統は同じ。宝石の家名と植物の名前は王族か、それに縁のある者にしか用いられない」
ああ、なるほど。そういうものなんだ。
宝石の名前は
椿は花の名前だ。
僕が貴族だなんて、ものすごい偶然による誤解だけど……。
「貴族は世間知らずなものだ」
という天藍の言葉には、皮肉がまじっているらしかった。
「お前もそうなんだろう? アオイ、っていう名前だ」
「俺は……孤児だ。天藍の家には養子として入っただけ……。王宮に立ち入り、姫殿下の側に仕えるために、身分を借りているだけだ」
竜鱗騎士団の構成員は、ほとんどが貴族出身だ。王族の警護をしなければならないから、身内のほうが都合がいいんだろう。
でも、竜鱗への適合の才能は、身分を
そういった場合、形だけの養子縁組が行われる。
そうして、彼は天藍の名前を手に入れたのだ。
「孤児か……そっか」
「なんだ? 俺の出自に文句でもあるのか?」
天藍が睨みつけてくる。
「まさか。そんなこととやかく言える立場じゃないよ。僕だって……父親がいない」
そんなことを言ってどうなるんだ、とあとから自分でも思ったが、気がついたら言っていた。
「母親は僕には無関心。むしろ、うらんでるんじゃない? 捨てられたから……」
両親が離婚したとき……僕は祖父母に預けられたり、
どうして二人が別れたのか、未だに知らない。
でもそれは突然で、一方的で、僕も母親も……そして、たぶん、父親も傷ついた。
どうしようもなく辛い出来事で、でも修復不可能だったんだ。
離婚して出て行った父親にはそれ以来会っていない。
もしかしたら顔くらい見に来てくれるんじゃないかって思ったけど……思うだけだった。
捨てられたのは、母親。それから僕。
何があったのかは知らないけど、それが事実だ。
「あ、でもその、深い意味はないからな。似てると思ったから、なんとなく言っただけで。世間話っていうか……」
「わかってる」
天藍は窓の外をずっと見ていた。
「あのさ……本当の名前、なんて言うんだ? 天藍じゃないんだろ?」
「わからない。血の繋がった両親のことは……誰からも知らされなかった。アオイという名も、職員がつけたものだ」
「そっか……」
僕は自分の両親といい関係を築けなかったけれど……最初から知らされないというのも、それはそれで寂しそうだ。
今まで天藍のことを何も知らなかった。ただ、ウファーリほどじゃないけど暴力的で、トゲトゲした少しイヤなやつだと思ってた。
リブラとの決闘で妙な因縁もある。
まあ、それは今でも変わらないんだけど……。
余計なことを知ってしまう、というのはやりにくいものだ。
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