125 エピローグ

 広場には竜鱗学科を除く全生徒たちが集まっていた。

 竜鱗学科は授業中だそうで、何とは言わないが好都合である。

 それと、集まれるだけの教師陣と、ブラックの珈琲でも口に含んでるんじゃないかってくらい苦々しい表情をした灰簾柘榴かいれんざくろもいた。


「えーっと……」


 少ないとはいえ《大勢》であることは間違いない。

 だから緊張しないはずがない。

 マイクに間抜けな声が入る度、生徒たちはクスクス笑った。

 女子生徒というのは何故、何かある度に意味深なクスクス笑いをするのだろう。

 こればかりは永遠に謎だ。


「その……どうも、ご紹介に預かりました、ヒナガツバキです……」


 また、クスクス笑いが起きた。

 仕方がない。壇上に乗ってるのは、彼らとそう大差ない……悪くすれば年下の、どうみてもガキなのだから。

 おまけに頭のよさそうな台詞が連なった台本もすっかり抜け落ちてまるで残っていない。


「えっと、とりあえず……それじゃ、言いたいことだけいいます。みんな、こんなのが来て、いきなり教師だって言われても誰だって信じられないと思う。というか僕が一番信じられないし。……実力もないし……だから、僕のことを教師だと思えないなら、それでも構わない」


 笑いがなくなって、やることのなくなった生徒たちが顔を見合わせる。

 灰簾理事は既に怒り顔だ。

 彼女が教師に求めるものは、威厳とかそういうやつなんだろう。

 あいにく、持ち合わせがない。今の僕は無一文の異世界人だ。

 でも、それでいい。

 それが僕だと思うから。


「マスター、なんて呼んでくれなくてもいいです。でも……誰かがもしもそう呼んでくれるのなら、その人のために何ができるのか真剣に考えるつもりです。以上です」


 しん、と広場が静まり返る。

 まずいこと言ってしまったかな。

 でも、唇から先に進んでしまった言葉はもう戻って来ない。

 後でカンカンに怒った灰簾理事のイヤミ地獄に付き合うのみだ。

 それより、挨拶なんかよりずっと大事なことがある。


「あ、忘れてた。あとこれ!」


 校内戦の開催要項を、全員にみせる。

 なんで敬語になってるのかわからないが、続ける。


「ええと、うちの教室……、校内戦に出ます」


 生徒たちの表情はもう、唖然を通りこして何を言っているのかわからない、といった表情だ。

 ざわついているのは、むしろ教師陣のほうだろう。


「それで、学院の規則を読んだんだけど、各教室の所属って重複できるらしいんですよね」

「先生……何を言ってらっしゃるの?」


 灰簾理事がいよいよ頭に来て、僕に詰め寄る。

 化粧過多なケバい顔が、距離を詰めてくるのを手で制しながら、続ける。


「つまり、勧誘です」

「勧誘!?」

「そう、もしも校内戦に出たい人がいたら、所属は普通科でも医療魔術科でもなんでもいいから僕の教室に来てください。規定人数の五人までなら誰でも即戦力。賞金は折半せっぱんで!」


 激昂する理事に比べ、生徒たちの反応は冷ややかだ。

 その理由、僕にはよくわかる。


「こんなところで勧誘したって集まるわけが無いでしょう? 校内戦に出場するということは――!」

「そう。つまり、竜鱗学科と戦うということです」


 はっきり口にすると、理事は黙る。

 だったら何故、と言いたい顔だ。

 役者だなあ、灰簾理事。少なくとも僕の舞台に立ってくれている。


「たしかに凄く難しいけど……まったく不可能とは言えない。戦えるのは竜鱗騎士だけじゃない」


 生徒たちは、僕が寝言を言ってると思ってるんだろう。

 全然反応がない。

 それは、事前に予測してたことだ。

 この空気をきれいに入れ換えるための手は打ってある。

 僕は呼吸を整え、金杖を取り上空を見上げる。

 まだ遠いところに、目的の影が見える。思ったよりも修練場から誘導できていない。

 高度も高いな……。


『ねえ、本当にやるの?』

「やるよ」


 どれだけバカバカしくても、僕は……僕のことが信じられないなら、僕の可能性を信じてもらうやり方しかできない。


「行くよ、オルドル――《昔々、ここは偉大な魔法の国》」


 掲げた金杖を中心に、挨拶代わりの魔力が広がる。

 生徒たちの頭上を通り、風のように抜けて行く。

 それは空を飛んでいる天藍と、もうひとりの生徒たちまで届いただろう……。




            *****




 挨拶がはじまるほんの少し前。


 修練場の床には白い結晶のつぼみが完成していた。

 剣でも魔力でも破壊するのが難しい竜鱗の装甲だった。

 模擬戦闘の相手を務める生徒たちは果敢かかんに攻めるが、その周囲に薄く引き伸ばされた雲のような魔力が渦を作っていることに気が付いていない。


「そこまで!!」


 マスター・カガチが声をかけるが、発動した魔術は止まらない。

 竜巻のように渦を巻き蕾を薄く裂いていく。

 竜鱗の刃を交えた竜巻が、フィールドを蹂躙していく。

 死の吹雪から逃れて、対戦相手は退避。ついでにイブキも早々に離脱していた。

 残っているのは嵐の中央に佇む天藍アオイだけ。

 まったくいつもと変わらない構図だ。


「……零点」


 マスター・カガチは苦笑を浮かべる。

 久しぶりに元のクラスに戻って来た天藍アオイは、以前よりもっと浮いていた。

 周囲の人間が遠巻きにしているのもあるが、首筋に浮かぶ消えない鱗は、移植した魔力を供給する竜鱗ではなく竜化の後遺症だ。

 明らかに今の彼は人よりも竜の側にバランスを崩していた。

 拘束具をねじ切って勝手に修練場から出てくる生徒に、カガチは声をかける。


「楽しかったか、天藍」

「……何の話ですか、マスター・カガチ」

「ヒナガ先生と組むのは骨が折れただろう。あんな無茶をするお前を見られるとは思わなかったが、心変わりでもしたか?」


 その瞬間、天藍は眉間に思いっきり皺をよせる。


「……盗み見とは趣味が悪い。何故、加勢しなかったんです」

「いや、ノーマンから知らせを受けて、向かったときには既に片がついていた。それに今の私は部外者だ。知らぬ存ぜぬのほうがいいこともあろう」

「しかし」

「次は上級生と空中戦。高く上がれ」


 文句を封じるため……としか思えないタイミングで、カガチが指示を出す。

 合図を送ると、修練場にいたひとりが後退し、翼を生やして飛び上る。

 先に上を取ったほうが有利だ。

 舌打ちをして、天藍も魔術を発動させ、青空に突き立てられる矢のように高度を上げていく。

 カガチの知っている天藍アオイはただひたすらに強さを求め、そうすれば誰かが自分を求めてくれるだろうと妄信し、結果的には裏切られ孤独を強めていった……。

 ありがちな破滅主義者だった。

 他者を求めない力は単なる暴力にしかならない。それでも幼い頃から騎士団と密接につながってきた天藍に、他に選択肢がなかったことも事実だ。

 マスター・ヒナガと組ませることで別の居場所ができればと思ったが、結果は以前何も変わらないままに帰ってきてしまった。

 ヒナガに期待をし過ぎたのか、それとももはや手遅れだったのか……。

 それとも、そのどちらもか。

 カガチはあくまでも教師然とした体で、落胆を表には出さない。


「……む?」


 上空を飛んでいた天藍と……二人が、戦闘の場所を別に移していっている。

 風はないはずだが、妙な光景だった。


 しかし……模擬戦闘に集中している天藍は、わずかすぎる異常に気がつかなかった。

 彼は訓練とはいえ戦闘中に、物思いに耽っていた。

 模擬戦を行いながら、天藍は《問い》の答えを探していた。


 即ち、マリヤが何度も放ってきた問い――なぜ、私たちを助けずに《彼》を助けたの? という、それだ。


 以前の彼なら、そんなことはしなかっただろう。

 ただ目の前の敵に、自分の剣に集中していた。

 それができなかった。

 マリヤと銀華竜の戦いで、彼はいくつか甘い判断をした。

 死にかけた日長椿を救おうとしたのが最初の間違いだ。


(……いや、それ以外にも思い当たるふしがいくつかある)


 何故、酷い目に遭うとわかっていながら、手を差し伸べてしまったのか……。


「おい、天藍。気が付いてるか!?」


 対戦相手が怒鳴る。

 あたりを見回し、いつもと風景が違うことにやっと気がつく。

 風もないのに、校舎の側に流されている。

 通常、模擬戦闘で空中戦を行う場合であっても、戦闘域は修練場からはそう離れない。

 意識しているわけではないが、慣れで、どれくらい飛べばその範囲を出てしまうかは掴んでいるものだ。

 続いて、広範囲に音波のような魔力が走り、二人の竜鱗魔術師は示し合わせたように距離を取った。

 何らかの魔術で引き寄せられていることは間違いなく、もしも攻撃を受けるなら二人一緒にいて同時に殲滅させられるより、どちらかが自由に動けたほうが生存の確率が上がる。

 もっとも、この魔力……たとえるなら金属板を引っかいたようなそれに、天藍は覚えがあった。

 頭上が陰り、無数の剣が現れる。

 落下してくる剣を避けながら、天藍は校舎の側に飛ぶ。

 広場にてマスター・ヒナガが何故か自信満々で待ち構えている。


(罠だな)


 剣を提げ、高度を落とす。

 その瞬間、強く下に引き込む力を感じ、高度が思ったよりも下がる。

 下がる、というか落下に近い。


(――――!?)


 逆らわずに、その勢いのまま狙いを定め、剣を力まかせに叩きつける。

 ヒナガが素早く避け、刃はは石畳を叩き割って瓦礫を四方八方に振りまいた。


「っぶねえなあ!」と、マスター・ヒナガ。


 違和感。


「おかしい……マスター・ヒナガだったら今の一撃で真っ二つになっていたはずなんだが……」


 魔術によって、ヒナガも素早く動くことはできる。

 だが反射神経は凡人以下だ。

 しかも今のはかなり引きつけてから、二撃目を警戒しながら逃げた。

 本気で迫ってくる天藍の剣を最適なタイミングをはかりつつ避けることができる戦闘勘も、ヒナガにはない。


「お前、あいつを殺すつもりだったのかよ!? それでも人間かっ」


 カマをかけられたと気がついていないのだろう。

 そう言ってしまってから、ヒナガにしか見えない《誰か》は気まずそうな顔をした。


「何してる、ウファーリ・ウラル」

「……へへへ」


 幻術が解け、マスター・ヒナガではなく赤い髪をなびかせた少女が現れる。


「段取りと違っちまったけど、ま、しょうがないやな! あ、言っておくけど、これはあたしが考えたんじゃなく、ヒナガ先生にやらされただけだからな! じゃっ、そゆことで!」


 灰簾柘榴にそう念押しして、彼女は軽々身を翻して、近くにあった木の上、屋上と跳びうつっていく。

 海音を自分の体にかけて飛行を可能としているらしい。


「待て、これは何の茶番だ?」

「やめときな、あたしには追いつけねーから!」


 天藍が翼を生成して後を追う……が、妙に体が重たい。


「……?」

「だから言っただろ?」


 百メートルほど高度を上げてから、ウファーリがニヤリと笑う。

 その姿が再び消える。二重の幻だったらしい。

 地上を見ると、広場に近い校舎の屋上に赤い髪の娘が海音を操っているのが見えた。

 では、マスター・ヒナガはどこに?


「そのまま動くなよ、天藍!」


 さらに頭上から声が聞こえ、反射的に移動する。


「やめろ! バカ!!」


 ちょうど人間の形をした青い塊が、その脇を駆け抜けていく。


「やっ、やめ……!! 奇襲失敗! 助けろ!!」


 このまま潰れて死んでしまえ、と思わないでもなかったが、溜息を吐くのと同時に足を掴む。

 逆さづりにされた間抜けな教師は、ほっと溜息を吐いた。

 地上では、学院の生徒たちがあ然とした表情でこっちを見ていた。


「なんだ、何をしている。間抜け面を披露しにきたのか」


 逆さ釣りになったまま、マスター・ヒナガは肩を竦める。


「違うよ。アピール。僕の教室のアピールのつもりだったわけ。ほら、お前と戦って勝てたらさ、竜鱗学科以外にも勝ち目があるってみんな思ってくれるだろうしさ~。いい線いったと思うんだけどな~……」


 何がなんだかわからないが、計画はあえなく失敗した、ということらしい。


「ここまで誘導したのもお前か?」

「待った。その前に」


 血塗れの手で、水晶の護符を取り出す。


「それは……」

「《解放リベラシオン》!」


 天秤の巨大な魔法陣が展開され、爪を失った指を治す。

 当代一とうたわれた医聖の魔術を、あまりにももったいない使い方だった。

 ヒナガは遠い目をして「いいんだ」と答えた。

 その護符を用いて治癒されるべき女性は、リブラが治すだろう。


「疑問に答える、あれはウファーリの《海音》だ」

「あいつの海音に、抵抗を破って竜鱗魔術師を引き寄せるほどの力があるとも思えない」

「お前自身はムリだろうな。でも、お前の服や靴は違う。ついでに翼はただの結晶の塊だから、海音がききやすいんじゃないかって……僕の予測だ」


 マスター・ヒナガはにやりと笑う。

 戦闘に集中している竜鱗魔術師たちに、気が付かれないように服や翼に海音をかけ、重心を崩して修練場から出し……黄金の魔術でこの場所まで誘導する。

 広場で挨拶をしていたヒナガの幻は、その下にウファーリの姿を隠した完全な偽物。

 怒った天藍が叩き割ること前提だ。

 本人は、彼女の海音で高く空に上がって機会を待っていた、というわけだ。

 銀華竜戦でも何度も思い知らされたが、よくもそんな奇抜な手を思いつくものだ。


「もしも海音が通用しなかったらどうするつもりだったんだ」

「――ん~。ま、そのときはそのときだよ。別の方法を考えればいい、だろ?」


 無邪気に、楽観的過ぎることを言う。

 いつもそうだった。


《別の方法を探そうよ》


 何も知らないくせに……なのに、途方もない可能性ばかり追いかける。


「なあ、天藍。僕ら、もう一度組まないか?」

「……準長老竜戦で懲りたと思ったがな」

「マリヤのことは今も辛いよ。でも抱えて行くしかないと思うんだ」


 辛い記憶は、それだけではないだろう。

 誰にも受け入れられなかった過去。

 家族から捨てられてしまった痛み。

 絶対に傷つけてはいけない人を、傷つけてしまった苦悩を抱えているはずだ。


「また、償えない過去に傷つくとしてもか」


 椿はじっと時間をかけて答えた。


「…………ああ、そうだよ。償えない過去でもだ」


 簡潔な答えだった。

 天藍には、同じ答えはできない。

 自分の力を誰よりも信じ、誰よりも疑っているからだ。

 だから、自分の力量も知らずにそう返せる少年がうらやましくもあった。

 けれど、その先にどういう結末が待っているのか……期待してしまうのは何故だろう。

 友情や絆など信じてはいないが、その無鉄砲さを信じてみたいと思ってしまう甘さはどこから来るのだろう。

 しばらくして「それに」と彼は付け加えた。

 懐から、おもむろに校内戦の要項を取り出す。


「――なんと、今なら賞金は二等分!」


 先ほどよりもしっかりとした声音で、自信満々といった口調だった。

 天藍は微笑み返す。

 そして、間髪入れずマスター・ヒナガを掴んでいた掌をほどいた。


「…………た、たすけ…………!」


 て、の音を引きずりながら、魔法学院の新任教師は広場へと落ちて行く。

 殺しても死なないし、死にはしないだろう。

 騎士はただ冷淡に見送るだけだ。

 その表情は、己の力だけでは抱えきれないものを背負い張りつめていた騎士の表情ではなく、戦鬼でもなく、幾重にも分かれた可能性を見据えた笑みだった。

 彼は地上の惨状から目を離し、青空を見上げる。


 いつか、遠くない未来。


 この空を竜が舞う日が来るだろう。

 そのとき、彼は戦うだろう。

 己の魂と肉体、培った技術と魔術を全て抱えて空を舞う。

 


 昔々、ここは偉大な魔法の国。


 偉大な知恵に。

 我らの師に。


 女王国よ、永久とこしえであれ。





『竜鱗騎士と読書する魔術師』――了 カクヨム版2016月6月26日

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