4 出会い


 エレベーターで殺されかけたとき、引きちぎったページに書かれていることは、こうだ。

 

『師なるオルドル』


 これは太字になっていて、章のタイトルのようだった。


『昔々』

『ここは偉大な魔法の国』


『魔法使いの王が住む都のそばに、銀の森がありました。

 その森の木々や動物はすべて銀でできていて、最奥には半身が鹿、半身が人の異形の主、オルドルが住んでいました。この森には膨大な金銀財宝が眠っていましたが、王国の民はだれも近づきもしません。


 それというのも、銀の森には魔術師にとってもっとも大切な三冊の書が隠されており、オルドル自身も偉大な魔術師だと信じられていたからです。


 そして、森には魔法の泉がありました。

 あるとき、オルドルは泉のそばで赤ん坊を拾いました。

 この赤ん坊こそ、後に王国をおびやかす恐ろしい竜を、ただひとり倒すことのできる勇者となる子でした。彼は赤ん坊を大事に育てました。


 時がたち、若者となった赤ん坊は竜を倒すために森を去りました。

 そしてまた、しばらく時間が経った後、若者となった赤ん坊はただ一度だけ故郷の森に里帰りしたのです。


 ですが、そこに銀の森はありません。

 輝き、きらめいていた枝々には、無数の死体が吊り下がっていたのです。

 そう、オルドルは、本当は人肉を食らう化け物だったのです。


 勇者は剣によって彼を殺し、偉大な三冊の魔法の書と、彼の魔法を手に入れたのです……。』







 僕は、走っている。


 いくつものシャンデリアが下がる、壮麗そうれいな廊下だ。

 両側が鏡張りになっていて、息が切れ始めた自分の姿が見える。

 昼食会とやらは、紅水紅華と、その親族……つまり王族を集めたそれなりに重要なものらしかった。主賓は先の十三代翡翠女王の妹、紅華べにかにとっては叔母にあたる女性だ。

 控室でリブラはその主賓の女につかまり、世間話をさせられていた。

 その隙を突いて抜け出すのはそう難しいことではなかった。

 ただ、誤算がひとつだけあった。


 ……広すぎる。


 翡翠女王の住まい、翡翠宮は三か所に分かれている。

 前庭、本宮、後宮だ。

 前庭は貴族の屋敷がある。リブラの屋敷があるのもここだ。本宮には政治の場である女王府があり、後宮は女王の私的な空間にあたる。

 全て含めると広大な土地になり、三か所を合わせて《天市》と呼ぶ。

 馬車に乗っていた時間を考慮しても、リブラの屋敷のあるところからここまでは相当な距離がある。


「どこだ! 探せ!」


 遠くから、男たちの声と足音が聞こえてくる。

 廊下を慌てて曲がる。

 正面に、人影が見えた。

 僕は手近な部屋の扉を開け、飛び込んだ。


「きゃっ……」


 なにか、柔らかいものとぶつかった。

 白くて、ふわふわで、砂糖菓子みたいに甘い匂いのする……。

 それでいて、確かな弾力。

 そして先ほど聞こえた、甲高い声。


「ごめんっ!」


 慌てて飛び退く。

 部屋は、白を基調とした広い部屋だった。

 大きな窓から差し込む柔らかい光が、そこに立つ少女の輪郭りんかくを浮かび上がらせる。

 可憐かれん、という言葉が、魔法を帯びて人に姿を変えたかのような少女だった。

 ふんわりと、華奢きゃしゃな肩の下までなびくプラチナブロンドの髪や、薄桃色の頬。ガラス玉のように大きな、ピンク色の瞳。純白のミニドレスからすらりと伸びた脚……すべてが、ほのかに輝いている。


 さっき、ぶつかったのはこの少女だ。

 そしてあの柔らかい感触は……。

 胸元の豊かなふくらみに視線がいく。


 彼女は頬を染めて、さっと視線を床に落とした。


「あ、あのっ……」


 弁解するより早く、背後の扉が大きな音で叩かれた。


「姫様、室内をあらためさせていただきます!」





 軍靴ぐんかを履いた足が一通り、部屋を行ったり来たりしていた。

 カチャカチャという硬質な音は、武器を所持しているに違いない。

 息を殺していると、やがて足音は遠ざかっていた。


「あの、出てきていいですよ」


 声に誘われ、ソファの下から這い出す。

 先ほどの少女は百合の紋様もんようを編み込んだレースの上着を着て、こちらをしゃがみこんで覗き見ている。


「親衛隊の皆様には、何事もないと伝えておきました。これでしばらくは大丈夫です」

「さっきのことは……その、ごめん」

「気になさらないでください」


 そう控え目に言って、頬を赤らめる。


「それよりも、その制服。魔法学院の先生……ですよね」


 彼女が示した僕の服は、リブラが用意したものだった。

 抜けるように鮮やかな、青いズボンと長い上着、濃い紺のタイと靴。それぞれに金色の縁取りがある。カフスは明るい赤褐色だ。


「こっちの教師には、制服なんてあるんだ」


 服は僕の体にぴったりのサイズで、用意のよさに多少怪しいと思わなかったわけでもないが……。


 本当に、僕のことを教師にするつもりなんだ。


 そして、その服が、たまたま彼女の信用を買ったのだということに気がついた。


「新任の先生なんですね。私も魔法学院の生徒で、普通科一年の星条百合白せいじょうゆりしろと申します」

「僕は日長椿」


 握手を交わす。


「さっき、姫って言葉が聞こえたと思うんだけど……まさか、きみはその……」

「はい。私は十三代翡翠女王の一女、王姫殿下の姉にあたります」


 こくり、と小さくうなずく。

 こっちは、ごくり、とつばを飲みこんだ。

 本当のお姫様……かわいらしい容貌ようぼうの彼女にぴったりだった。

 追手をやり過ごせたのはいいが、一番まずいところに逃げ込んでしまった。


「しかし、先生はどうして妹の親衛隊の方々に追われていたのでしょう?」


 そう、それだ。

 それの答えがいけない。

 僕は彼女の妹に逆らおうとしている。

 惜しい出会いだが、いつまでもここにいるわけにはいかない。


「いやあ、昼食会に出るつもりが迷っちゃって……入ってはいけないところまで来てしまったみたいだ。ごめんね、それじゃ!」


 きびすをかえそうとしたところに、ぞっとする気配を感じる。

 次の瞬間、僕はその場に凍りついた。

 動けない。

 というのも、僕の首筋に鋭い金属……刃物の感触が触れていたからだ。


「そのまえに、姫の御身体に下賤げせんの手で触れたこと、その命をもって償ってもらう」


 ぞっとするほど冷たい声がした。

 首に突き付けられているのは、薄く白い刃。

 刃というより、剣の長さだ。

 切っ先はすぼまっておらず幅広、中華包丁に似た形をしている。

 でも驚くほど切れ味がいいというのは、当てられただけで血の這う僕の首筋が証明してくれている。


 その剣の柄を持つ死神は、これまたお伽話にでてきそうな美形だった。

 プラチナ・ブロンドというより純白の髪。銀の鎧に髪と同じ色のマントをひるがえしていた。まるで、物語に登場する騎士のようだ。

 月光を思わせる切れ長の瞳や繊細な鼻梁びりょう、薄い唇……女性と見紛うほどの美貌は、嫉妬より圧倒が先に来る。


「おやめなさい、天藍。部屋を血で汚すつもりですか?」


 天藍、と呼ばれた騎士はしばらくして剣を引いて鞘に戻した。

 僕はとたんに膝の力がぬけ、その場に座り込んでしまった。


「失礼いたしました。こちらは天藍てんらんアオイ。私の竜鱗騎士で、悪気はないのです」

「姫様、恐れながら親衛隊に追われているこの者を信用してはなりません」

「ええ、そうですね。でも……私は、ヒナガ先生の話を聞きたいの。事情がおありのようですから……さあ、これで血をいてください」


 ハンカチを受け取る。

 その瞬間、背筋に冷たいものが這った。

 天藍が、こちらを睨みつけている。

 悪気はなくとも殺意はあったはずだ。

 騎士の視線は僕を未だ許していなかった。

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