63 どっちが大事なの?

「むかし、むかし……」


 強張った男の子の唇から出てきた言葉に全身が凍りついた。


「こ、ここは、いだ、だいな、まほうの……く、に」


 驚きが、僕からオルドルを引きはがしていく。


「あ、あるところに……う、うつくしい、むすめ……むすめ、が……いました」


 娘の名はサナーリア。

 サナーリアは四人兄弟のいちばん年上の姉で、ふたりの弟と末の妹とともに、旅の一座で芸をしながら暮らしていました。


 切れ切れの言葉でそこまで語り終えたところで、窓の外に市警の車輛がとまった。


 市警の職員は僕らをみつけても怪訝けげんな顔をしただけでとがめもせず、黙々と仕事に取りかかった。

 隠し部屋に鳥をしたブローチが落ちていた。

 それはただのアクセサリーではなく通信装置を兼ねていた。


 アルノルトの奥さんはそれを使いイネスに助けを求めた……。


 市警の調べでは、大尉は子どもを人質にとられて抵抗もできないまま拷問じみたやり方で殺され、彼の妻は通信を送った直後に殺されていた。

 そして僕らが竜に足止めを食らっていた間に犯人は裏口から逃げたのだそうだ。

 イネスはそれを聞いて、どれだけ悔しい思いをしただろう。もし僕を助けようとさえしなければ二人を救うことはできなくとも犯人を捕まえることはできたかもしれないのだから。

 市警はイネスにより詳しい事情を聞こうとしていた。

 僕や天藍の出る幕はなさそうだとわかり、男の子を優しそうな女性捜査官に預けて、早々にアルノルト邸を離れた。


 路面電車を乗りついで図書館に戻った僕らを出迎えたのはアリス……ではなく、イブキだった。


「先生っ、市街地に竜がでたってホントですか!?」

「なッ……!」


 軽い足取りで駆けてくるその姿に、僕は硬直した。


「何なの、その格好?」


 イブキが着ていたのは……黒いふんわりしたスカートのワンピース、楚々そそとした白いエプロン、そしてソックスにトドメは白のヘッドドレスという、いわゆる《メイド服》だったのだ。しかもコスプレで定番のほうの。


「へへへ……お気にしましたかにゃ、お客さん!!」


 後ろでニヤニヤしながらアリスが手ぐすね引いていた。

 なんだ、その、やり手ババアみたいな笑みは……僕がこういうのを喜ぶ男に見えるのか……いや……そりゃ、僕も男だ。

 そそるものが無いわけじゃないけれど。


「隠れている間、暇なのでお掃除や書庫の整理などをお手伝いしようかと思いまして。しかもタダ働きじゃなくて時給もだしていただけるんです!」


 イブキは瞳を輝かせていた。

 彼女にとって、タダ働きなど労働のうちに入らないに違いない。

 きっとウファーリのところでした店の手伝いは、苦痛だったんだろうな……。


「まあいいけど……竜が出たのは本当だよ。それに例の事件もまた起きたんだ」


 魅力的な絶対領域から目を離し、シリアスになろうと全力で努力する。


「アリス、彼女はずっと図書館にいたんだな?」

「一緒にお着替えしていましたにゃ。目は離していないはずですにゃん」


 うーん、とはいえ、クヨウ捜査官みたいに遠隔で働く魔術だってあるわけだしな。


「彼女の無罪を証明できるものがあればいいんだけど……あ、そうだ!」


 僕の頭にあることがひらめく。

 何故こんな大事なことを忘れていたんだろう。


「それがあるじゃないか! カガチ先生の魔術が……!」


 イブキの胸に埋め込まれた花。カガチ先生がイブキの魔術を封じた花がある。

 あれがある限り、彼女は魔術が使えない。


「……では、犯人はどうやって竜鱗を手に入れたんだ」

「……そうでした」


 天藍の冷静な突っ込みに、僕はがっくりと肩を落とした。

 イブキは魔術を使っていないかもしれない。

 でも、共犯者ではあるかもしれない。彼女が竜鱗の提供者なら、どういう関わりかはわからないが犯人につながる糸を持っているはずだ。

 黒曜こくようや紅華も、だからこそイブキを手放そうとしなかったんだから。

 単純にはいかない。


「とりあえず、お茶にするにゃん!」とアリスがにっこりと笑う。「お腹ぺこぺこじゃ、いい考えも浮かびませんにゃん!」





 図書館二階の、僕が寝泊まりしている部屋。

 ちなみに、ここでの生活は、黒曜ウヤクが費用の一切をまかなっている。僕の語学の習得をアリスに依頼したのがウヤクだからだ。


 熱々に熱された鉄板に落とされたバターが柔らかくとろける。


 銀色のボウルから、淡いクリーム色のどろっとしたタネをすくい落し、まあるく形を整えたあとひっくりかえす。

 こんがりと狐色に焼きあがったふっくらと焼けたそれは、ほのかにほどよく甘い香りを漂わせている。


「……何故、パンケーキ?」


 少し贅沢ぜいたくな朝ごはんの代表格であるパンケーキを、日が落ちてから食すという文化は僕にはない。

 どうやら、女王国でもあまりないらしい。


「単純に、アリスが食べたかったからですにゃん♪」

「でも……これはさすがに作りすぎじゃない?」


 テーブルの上には、アリスが焼き上げた見事なパンケーキが積み重なっていた。

 明らかに焼き過ぎだった。

 天井に届きそう。文字通りパンケーキの山だ。


「大丈夫ですにゃ~」


 アリスは何故だか自信ありげだ。

 とりあえず僕も席に着き、ナイフとフォークを手にとる。

 シロップをかけられて、白い皿の上にたたずむパンケーキ。

 夕飯にしては珍しいメニューだが、肉や魚を出されなくて助かった……と思う自分がいるのも確かだ。さっき凄まじい殺人事件現場を見てきたばかりなのだから。

 本来ならこのテーブルを囲んでいてもおかしくないイネスだって帰ってきていない。

 ただでさえ気が進まない憂鬱な食事だった。


「まあ、なにはともあれ、いただきまー……」


 定番の挨拶あいさつを口にしようとした瞬間、僕のパンケーキの上に、ぽたりと赤い雫が落ちた。

 真っ白なクリームに、苺ジャムみたいな赤が混じる。

 それは、かすかな痛みと共に僕の頬から流れ落ちた血の雫だった。

 みると天藍とイブキが、ほぼ同時にパンケーキ山の頂上にナイフとフォークを突き立てていた。


「なっ……!?」


 その速度があまりに速すぎたため、フォークによる剣風が頬を浅く裂いていったのだ。

 二人は最上階のパンケーキを真ん中から引きちぎりあいながら、自分の皿に乗せた。

 そもそも、各自の皿には二枚ずつのパンケーキが分配されていたはずなのだが、両者とも既に皿の上は空っぽだ。


「やりますね……班長」


 イブキはそう言いながら、半分にちぎれたケーキにバターを塗り、ジャムをぬって猛然と食べ始める。

 天藍は涼しい顔でシロップをかけて、あっという間に平らげる。大口を開けているのに、その姿にはどことなく優雅さがあった。

 それから、二人は競いあうように凄まじい速さで大量のパンケーキを消費していった。

 そのたびに衝撃波が僕を襲う。


「い、いてっ、いたい!」


 久々に、杖を文書の姿に戻して防ぐ。


「竜鱗騎士は、体内で魔力を製造する過程で通常人体が抱えている体内魔力も消費されてしまい、燃費がものすごーく悪いんですにゃ。使用の後は、食物から補給しようとする傾向が高い……と聞いておりますにゃ」


 アリスが、机の下の安全地帯から解説をくれた。

 二人の食事……いや、既にそれは食事の域を越えて、戦いとなっていた。

 命を賭けた食事はパンケーキの残り枚数が少なくなっていくと共に加熱していく。

 しかも、パンケーキを全力で頬張りながら添えられたスープとサラダもむさぼり食うという器用さで。

 やがて最後の一枚となったパンケーキを天藍のフォークが刺し貫いた。

 ワンテンポ遅く、イブキが伸ばしたフォークが天藍のそれを抑え込む。


「……見苦しいぞ、副班長。負けを認めるんだな」

「いいえ、まだです! まだ終わってません!」


 イブキの左手が卓上のナイフの予備を掴み、投擲とうてきする。

 着席し、回避行動が制限されていることを見越しての必殺の攻撃だった。

 しかし天藍は椅子いすごと後ろにのけ反って回避。ナイフ三本が板壁に突き刺さる。

 すかさずパンケーキを奪おうとするイブキ。

 天藍は直には止めず、イブキのサラダの皿を掴むと、あらぬところへ放り投げる。


「卑怯なっ!」


 イブキはテーブルに手をついて、飛び込み前転の要領で皿をキャッチ。

 落ちて来るサラダを回収しつつ、反対の手からフォークを放つ。


「お前ら、バカじゃないの!? 天藍、お前、あの惨状を見て何か思うところは無いのか!?」

「それとこれとは話が別だ!」


 天藍は言いながら皿を何枚か投擲する。

 僕は自分の皿を持って、机の下に退避。


「オルドル、頼む、何とかして!」


 このままでは流れ弾ならぬ流れカトラリーに当たって死ぬ。

 皿の上に散った血液に語りかける。しばらくして、返事があった。


『……ボクと』

「ボクと?」

『ボクとその竜人間どもと、どっちが大事なのさ!』


 なぜか、オルドルの声は涙声だった。


 ……はあ?


 もともと言動の怪しかったヤツだが、今回のは常軌をいっしている。

 なんだろう、聞いたことあるフレーズだ。

 私と仕事、どっちが大事なの、みたいなやつ。


『ボクはな、あんな下品な連中より凄~い魔法使いなんだぞ! ばーか! ばーか!』


 もしかして……体を譲れと言われたとき、僕がオルドルを拒否したことを言っているのだろうか。

 完全に、ねている。


 しかもものすごくくだらない理由だ……。


 僕がオルドルに体を貸さなかったのは、そういう理由じゃない。

 ただ単に、こいつがキケンだからだっていうのに。

 呆れている僕の頭上を、机の板を貫通して、突き刺さるフォークとナイフが見えた。


 うん……こいつらとはもう二度と食事なんかしたくない!


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