竜鱗騎士と読書する魔術師

94 痛み

　敵は準長老級の竜が一体と即席の十鱗騎士がひとり。

　対するこちらは、戦いの経験に欠けた青海文書（せいかいもんじょ）の読み手と五鱗騎士がひとりずつ……。

　三海七天（さんかいしちてん）の五と準長老級の十。

　どちらが強いのかは希望が大幅にすり減っていきそうで怖くて聞けない。

　僕は杖に嵌（は）めこまれた石と、天藍が構えるフラガラッハに嵌めこまれた朱色の宝石に同時に触れた。

「《変化》しろ、フラガラッハ！」

　宝石がじわりと熱くなる。

　朱色の光は、星空の青に変化していく。

　僕の意志に応え、剣は姿形を変化させる。

　刃は青みがかった流線形へ。柄は純白。天藍の色、天藍の好みに合わせた形状だ。

　僕も何もしないでこの戦いに挑んだわけではない。事前にリブラから貰った杖を介してフラガラッハに魔力を送る方法を試みていた。

　あのときは一気に魔力が底を尽くまで持って行かれたため、身動きが取れなくなったが、現在は僕とフラガラッハの間にはオルドルの魔術で構築された《壁》と《通路》がある。

　おかげでフラガラッハが勝手に魔力を吸い上げたりすることはない。

『その代わり、魔力の供給は最低限で、切れ味も落ちるから気をつけてよネ』

　オルドルが何度目かの忠告をしてくる。

「打ちあわせ通りに……」

　天藍は頷（うなず）く。

　五年前、こいつは戦えなかった。

　戦わないまま、大勢の命を失った。

　百合白さんの命令のせいもあったし、年齢だって幼くて、きっと銀麗竜と戦っても歯が立たなかったに違いない。

　でも、こいつはそんな言い訳で自分を守ったりはしなかった。

　ずっと、ずっと、この機会を待ってた。

「走れ！」

　僕たちはほとんど同時に飛び出して、竜のいる方向とは反対側に疾走した。

「ねえどこに行くの？」

　銀華（ぎんか）の笑声まじりの声が追ってくる。

　僕は振り返り、口の両脇に手を当てて、叫ぶ。

「わあ～竜が襲ってくるよ～、こわいよお～」

　あまりにも実の伴っていない、白々しい演技だ。

　銀華がマリヤの顔で微笑む。

「鬼ごっこ、というやつね。いいわよ！」

　よし、こっちの趣向に乗って来た。

　僕は後ろは振り返らずに、走りながら集中。

　戦うのは、怖い。

　でも僕はやる。

　やるんだ。

「《昔々、ここは偉大な魔法の国》」

　小さな声で呪文を紡ぐ。

　丁寧（ていねい）に、僕の内側、物語の深い底からオルドルの魔力を探して、引き出す。

　黄金の糸を現実に紡（つむ）ぎ出していく。

「《偉大なるものよ。千変万化（せんぺんばんか）の力にて、安らかなる帳（とばり）を開きたまえ。敵の耳目を欺（あざむ）き、刃を遠ざけ、魔術を打ち砕き、我らを安楽の地へと誘いたまえ》」

　周囲の雨粒を消費しながら、キン、と硬質な音で杖が鳴り、魔法が発動する。

　上手くいった。

　銀華竜は全力で疾走してくる。

　障害物なんか目にもくれずに。

　速い。とにかく速い。凄まじい速度だ。

　巨体すぎて愚鈍（ぐどん）に見えるが、違う。あの巨大な体躯（たいく）は、凄まじい瞬発力と速度を産み出すエネルギーの塊だ。

　あっという間に逃げる僕らとの距離が縮まり、肉薄（にくはく）する。

　鉄臭い吐息が背中に感じられる。

　いいぞ、来い。

　発達した後肢がアスファルトを踏み抜き、大穴を開けながら跳躍する。

　前肢と咢（あぎと）がちっぽけな僕たちを踏み潰し食らい尽くそうとして迫る。

　大迫力。すごい。すばらしい。竜は飛び、僕は地面に這いつくばって死ぬ。

　シンプルで合理的で感情論をさしはさむ余地のない明快な理論だ。

　そして銀の爪が僕らを引き裂く最悪の光景が繰り広げられ、血飛沫が舞い暴力を赤く鮮やかに染め上げていく……。

　銀華竜は血の臭いに雄叫（おたけ）びを上げ、銀華はつまらなさそうに溜息を吐いた。

　でも、ため息が終わる頃には、そこにはもう僕も天藍もいなかった。

「四の竜鱗、《白鱗竜吐息（ブレス）》！！」

　白い悪魔の霧が、竜の体を包む。

　銀色の体表が白く硬化していった。

「二の竜鱗。《飛旋飛翔》！」

　軍神のかけ声と共に、白い結晶の刃が、竜の巨体の上に雨のごとく降り注いだ。

　これに巻き込まれたら、僕らも普通なら骨も内臓も紙切れみたいに押しつぶされていたはずだ。

　しかし、そのときすでに僕たちは離れた屋根の上にいた。

「上手くいった！」

　僕は思わず拳を握った。

　逃げていた《僕たち》はオルドルの幻で作り出していた偽物だ。

　天藍は打ちこんだ刃の群れをさらに旋回させ、竜の横っ腹に叩きつける。

　幻の標的を使えば、こちらはダメージを受けることなく敵に攻撃できる。

　圧倒的な戦力差でも、これを何度か繰り返して、敵の体力を削（そ）ぎ落とせば――。

　そのとき、天藍が無造作に剣を構えた。

「やはり、いい度胸だな、女王国の犬どもめっ！」

　竜鱗で強化された駿足で銀華竜……マリヤのほうが追いついて来た。

　僕は重力の存在に疑いを抱いた。彼女は脚力だけで壁を駆け上がって来たのだ。

　その手には身長の二倍はありそうな巨大な銀の大剣が握られている。

　刃と刃ぶつかり、火花が上がった。

　ただ振り下ろすだけの攻撃を天藍は間合いの内側に踏みこんで回避。

　振り下ろされた剣は屋根を叩き割って穴を開けた。カガチと違って繊細さの欠片もない、だが人体を破壊するという意味では最高に強力な攻撃だ。

「まだまだっ！」

　銀華は大剣を構えたまま、くるりと一回転。

　無造作過ぎる衝撃で、天藍が出現させた結晶の盾を叩き割りながら、その胴体を真っ二つにしようと迫る。

「《変化》！」

　僕はもう一つの杖に触れる。

　一瞬だけ、僕の意識とフラガラッハが繋がる。

　剣は中央に朱色の石の輝く、丸い金の盾へと姿を変え、大剣の一撃を受け止め――幸いにも天藍は二つに分断されることなく、衝撃で吹っ飛ぶだけで済んだ。

　銀華竜はというと不意打ち攻撃の衝撃で鱗を剥（は）がれているものの、混乱した状態は既に解かれている。

　それどころか……。

「何をしてるんだ……？」

　銀華竜は頭を地面に突っ込んで、アスファルトを叩き割っている。

　その下の地面が露呈すると顎（あご）を大きく広げ、地面を抉（えぐ）り、大地に噛みついた。

　食べているのだ、土を。

　すると、傷ついていた体表がきれいに再生し、黒がかった銀の鱗へと色を変えていく。

　何かはわからないが――マズい。

　僕は慌てて呪文を紡いだ。

「《黄金の力を以て、罪人を裁く剣を与えたまえ》」

　天高く、黄金の剣が生成される。

「《全ての根源たる水の力でもって、敵に災いを振らせたまえ》……！」

　細身の剣が、加速しながら竜の背中に降り注ぐ。

　しかし、竜の鱗に弾かれて、ひとつも刺さらない。

　あまりにも急すぎて速度が足りない。

　おまけに銀華竜につけたはずの傷も完璧に再生してしまってる。

「まさか土中の物質を取り込んで、再生した……？」

『体内に魔力の反応を感じる。ボクらの魔法に近いかもね』

　しかも、満腹後はこちらに突進してくる動きをみせた。

「逃げろッ！」

　僕は天藍のほうも見ずに、走り出す。

『ねねね、ちょっとマズイんじゃない～？』

「知ってるよ！」

　一瞬の差で、銀華竜は気軽にじゃれついてくる大型犬のように工場の建物にダイブしてきた。

　壁面が崩壊し、重量に耐えきれず屋根がその後に続く。

　傾く屋根を、オルドルの脚を借り、僕はわき目もふらず疾走。

　獣の脚力は、バランスの悪さを物ともせずに駆け登っていく。

　だが天藍のほうはマリヤが繰り出す大剣の動きにからめとられて、動けない。

　銀華はマリヤに巨大な刃を握らせているが、その重量を全く感じさせない動きだ。

　上方向から叩きつけてもまったく遠心力にブレることなく、すぐに薙ぎ払う動作に行こうする。時には大剣ごと跳躍し、縦に回転しながら曲芸技のような刃を振るう。

　天藍はその全てを見切って、避ける。

　が、足場が崩壊に巻き込まれ、バランスを崩した。

　死神の目は一瞬を逃さない。

「《千変万化の力にて、安らかなる帳を開きたまえ。敵の耳目を欺き、我らを安楽の地へと誘いたまえ》！」

　幻のカーテンが、天藍の姿を覆う。

　絶妙なタイミングで銀華の剣は幻を切り裂き、本物の天藍が僕を抱え上げる。

　しかしすかさず繰り出された銀華竜本体の巨大な咢の噛みつき攻撃によって屋根が粉砕され、たちまち足場を失う。

　その瞬間、白鱗天竜が翼を広げ、僕を空中へと運んだ。

「竜騎装（りゅうきそう）を使う」と天藍は言った。

　竜鱗狂瀾を使えば限界を越えて竜鱗が活性化する。

　しかも竜化を抑える薬剤の残りは、少ない。

「ここで敵に勝ち、殺せば脅迫も無効だ」

「でも……！」

　勝てなかったら？　――質問は、言葉にならないまま消えた。

「ぐッ！」

　爪が、一瞬で弾け飛ぶ。

　僕の爪、オルドルの代償だ。

　天藍の腕に抱えられたまま、僕は痛みに悶（もだ）えた。