74 鉄馬の騎士、帰還

 小型の竜の集合体が、一回り大きな竜になった。


 その事実だけで僕の頭の中は警報が鳴り響き、ほとんど思考停止状態だ。


 なんだ、なんなんだ、この魔法……!


 天藍は近くの建物の屋上に僕を放り出した。


「副班長、カガチが縛を解いた! やれっ!」

「え、どうして? いやそれより――じ、自分っ、自分がですか!? 演習でも集団戦闘でもなく、民間人をかばいながら……!?」


 床の上を転げまわる僕の耳にも、イブキの慌てふためく声は聞こえてきた。

 天藍ならひとりでも練習でも練習じゃなくて命がけの本番でも、相手が人だろうと竜だろうと、やると決めたなら躊躇ためらいもなく殺す。でも彼女は違う。そうじゃない。僕と同じなんだ。

 必死に走って図書館側を覗きこむ。

 天藍は結晶の壁を築いてイブキとアリスを庇っている。

 空中には赤紫に輝く巨大な二重の魔法陣が浮かんでいた。


『あれは……座標と時刻を指定してるみたいだね~』


 オルドルののんびりした声が、僕には神の啓示に聞こえた。

 咄嗟とっさにその場から離れ、うずくまって耳を塞ぎ、口を開けて待つ。

 次の瞬間、激しい爆発音が鳴り響いてビルが地震みたいに揺れる。

 衝撃が少しばかりおさまってから恐る恐る下を確認すると、竜の巨体に異変が起きていた。

 鱗が剥げて桃色の肉があらわになり、げて煙を上げている。

 竜は苦しそうに喘鳴ぜんめいを上げる。


「今だ、やれ!」


 イブキは天藍に押されて剣を手に前に出る。

 でも……だめだ。素人の僕にもわかるほど彼女の腰は引けていて、本人もそうと知らないままに構えが崩れてる。

 もしも彼女が少しでも天藍を信頼していたら、こうはならなかっただろうけど……。

 手負いの獣は生を求めて、狂う。

 その狂気に彼女は耐えられない。

 何故わかるかって? 僕が彼女の立場だったら、絶対に耐えられないからだ。

 天藍が竜騎装りゅうきそうを使うしかない……その絶妙なタイミングで、道路の向こうからエンジン音が響いてきた。

 僕はそちらに目をやり、こっちに向かって一直線に突っ込んで来る単車バイクを目にした。

 乗り手は右手に長槍を構え、機械の馬にまたがり可能な限りの速力で竜に突っ込んで行く。

 まるで馬上試合に挑む中世の騎士のようだ。

 すり抜け様、刃が肉に食い込み、銀の鱗を削って一直線に火花の赤を散らす。

 竜の絶叫ぜっきょうがあたりに響く。

 鉄馬の騎士は大きくターンして戻ってくる。

 バイクは竜の注意を引きながら、攻撃を避け続け、尾にふり払われて地面をすべっていった。

 乗り手は鉄馬から飛び降りると地面を駆け、跳躍して槍を突き立てる。

 正面から、竜の喉元に。

 地面に両足を踏ん張って、レバーを引くと、炎が噴いて竜が断末魔の悲鳴を上げた。


「脇の下から心臓を狙うんだ!!」


 怒声どせいが呆然としていたイブキを打つ。


「三の竜鱗!」


 魔術によって脚力を増したイブキが剣を構えて竜の体の下に潜り込んだ。

 筋肉の隙間から差し込まれたイブキの剣が深く心臓まで達して命をり取っていった。

 横方向に崩れていく竜の巨体を、トドメといわんばかりに白色の結晶が成長して包み込み閉じ込めた。


「イネス!!」


 僕は颯爽さっそうと現れた鉄馬の騎士の名を呼んだ。

 ゴーグルとヘルメットを外すと、予想通りの赤毛がこぼれ落ちる。


「先生、遅れてすみませんでした。マルテのところに寄ってたもので……」


 マルテ……その人物の心当たりはひとつしかなかった。

 アルノルト大尉の息子だ。

 現在は市警の一時保護施設にいる。


「きみ……その……」


 大丈夫なのか、という言葉が上手く出てこない。

 そんな僕を後目に、イネスはいつも通りに戻っていた。


かたきは取りましたよ……。まだ竜のほうだけですけどね」


 そう言った。

 そうか。

 あの晩の彼の慟哭どうこくを思い出し、何とも言えない気持ちになった。

 彼はあの晩やれなかったことを、半分だけ果たしたんだ。


「遅すぎるにゃっ!! おかげで図書館はボロボロだにゃ~!!」


 アリスがイネスと僕の間に飛び込んでくる。

 埃をかぶった金色の髪は、ボサボサかつ自由にはねまくっていた。


「いやあ、俺がいてもボロボロは回避不可能だったと思いますけどね……でも、もう安心ですよ。陸軍が殲滅せんめつのために動いてますから」


 気がつくと、街のあちこちで、さっきのと同じ爆発音が響いている。

 振動が地面を伝わって、足の裏から体を揺らした。


「さっきのは……」

「陸軍の軍用魔術ですよ。展開した魔法陣が爆裂の術式を誘導してるんです」

「おい、あまりのんきにしゃべってる猶予ゆうよはないぞ」


 天藍が言う。

 ぱきぱき……と不穏すぎる小さな音を立てて、竜を封じ込めたはずの結晶の山に亀裂きれつが入ってきてる。


「割れて来てるぞ……!」

「いや……割れているわけではない」


 天藍は無表情すぎてぼんやりしているように見える表情でそう言った。

 結晶は下のほう、中心のほうから別の色に染まって行く。

 灰色、いや、銀色に光る金属質な物体へと。


「逃げましょう!」


 イブキの掛け声で、僕は走りだす。

 全速力で駆けだす。

 翼を広げた天藍が僕をすくい上げ、地面が離れていく。

 イブキもアリスを抱えながら、銀色の翼で飛んでいた。


「あいつを引きつけて誘導します! 先生方もご無事で!」


 彼はバイクを立ち上げ、エンジンがかかることを確認すると、跨った。

 いっぽう僕はというと、不格好に宙に吊り下げられ、叩こうがわめこうが天藍が戦闘圏内から外れていくのを止められない。


「進行方向に陸軍の展開を確認。彼の速力なら追いつかれないでしょう」


 イブキが冷静に告げる。少しほっとしてる表情だ。

 鉄馬の騎士は、結晶を割りながら再生した竜を背後に、街路を自由に駆け抜けていく。

 正直に言う。

 ちくしょう、少し……いや、だいぶ。かなり、かっこいいな。



 翡翠女王国には、あらかじめ竜の被害に対する備えがあった。

 だが、それでもすべての人が無事でいられるということでは決して無い。

 時折、逃げ遅れた人たちが陸軍の装甲車に回収されたり、それすら間に合わず地面にせたまま動かなくなった人の姿を見かけた。

 単純に破壊された建物だけなら、視界に入る範囲でいくつも数えることができた。

 心は痛むがどうすることもできない。

 竜の追走を振り払いながらながら、僕と天藍は天市に入った。

 イブキは指名手配のことがあるので、本来の避難場所にアリスといっしょに逃げて貰った。

 頭の痛い出来事はもう一つある。貧民街にも竜が出ているのだ。

 ウファーリの無事を確認したい。でも貧民街は図書館と天市からは離れていて、今は天市に行くのが最優先だ。

 天市の境界はものものしい警戒態勢で、境域の門が開かれて避難する市民を受け入れていた。

 天市のほうには飛竜の姿はちらりとも見えなかった。

 こちら側は一応安全のようだ。

 警戒している兵士に天藍は羽を震わせて合図を送る。

 彼らに見送られながら、あっという間に翡翠宮に到着だ。

 宮殿の内部も慌ただしい。天藍は騎士団長というだけあって、ほとんどとがめられずに大きな広間に入って行った。


「おお……!」


 目の前に広がったファンタジックな光景に、我ながら間抜けな声を上げてしまう。

 広間はいわゆる《謁見えっけんの間》みたいなやつだった。高い天井、絨毯じゅうたん、古めかしい調度、奥には階段があり、その上に豪華な椅子がある。

 その椅子が誰のものなのかは、考えなくともわかる。

 でもそこには女王も、王姫となるべき紅華もいなかった。

 階段の下に設えられた長机の両脇にはずらりと貴族の服を着た年かさの男たちが並び、正面には十五歳の少年……大宰相・黒曜ウヤクが指示を飛ばしていた。


「ご報告申し上げる!」


 天藍がりんと通る声を張り上げると、彼らはどよめいた。


「騎士団長どの……」


 表情は、三者三様さんしゃさんように複雑だ。そりゃそうだろう。

 僕までなんだか気まずいくらいだ。

 黒曜こくようは僕たちの来訪に笑っていた。

 なんだか、どろっとした泥みたいな気味の悪い、どっちかっていうと邪悪な笑い方だった。


「何をしに来た、騎士団長殿。破壊したはずの竜が再び再生している件についてなら既にこちらでも把握済だが?」

「なんだ、知ってたのかよ……」


 思わず僕のほうが舌打ちをしてしまった。

 流石さすが、といっていいのか、驚いたらいいのかわからないが。

 話が早すぎる。

 寄り道したのは確かだが、戦闘そのものには三十分もかかっていないのだ。なのに、まるで海市で起きていることを見て来たみたいじゃないか。


「正直にいえば、知っていても現状では対処のしようがないのだがね。さて、せっかくの来訪を無駄足にしたく無ければ騎士団の指揮権をこちらに譲り渡してくれると有り難いのだがな」

「断る。女王府を掌握しょうあくしただけに飽き足らず、武力までもを手にするつもりか? 恥を知れ」


 二人の間に険悪けんあくなムードが立ち込める。

 予想通り両者の関係は最悪だ。

 片や、王位を追われた姫につかえる騎士。

 片や、姫君を王座から追い落とした(とか言われている)実力派大宰相。

 水と油。いや、まるで昼ドラだ。嫁姑戦争だ。

 繊細な常識人たる僕は胃ににぶい痛みを感じた。

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