13 誰が少年を殺したにゃ?

「うーにゃっうーにゃっ、う~にゃっにゃ~♪」


 市民図書館の廊下を、三角耳をひょこひょこさせながら、女の子が歩いていく。

 眼鏡をかけた女の子だ。

 子供のようにみえるが、縦縞のセーターの胸はたっぷりと柔らかそうに膨らんでいる。

 オレンジ色のショートパンツをはいた尻からは、ふさふさの金色の尻尾しっぽがゆらゆらと揺れ、その後ろを、ふさふさの三つ編みの毛先がぴょんぴょんはねながら追っていく。

 背の高さは大人の腰くらい。


 だが、魔法生物の一種である獣人族のなかでもさらに特殊な種族、ニャコ族が成年になってもこれくらいの大きさであり、若さを保つということは、女王国ではほぼ一般常識である。


「アリスちゃん、ご機嫌ですね。どうしたんですか?」


 同僚の警備員が声をかける。

 アリスはくるりと振り向くと、不機嫌そうに眉根をよせた。


「ちゃんはやめなさい、ちゃんは。アリスはこれでもキミたちよりお姉さんなんですにゃっ!」

「は、はあ‥…」


 もちろん、もうかれこれ一年ほど同じ職場で働いている同僚の警備員や司書たちはみんな、アリスの年齢のことは知っている。


 この図書館で研究員を務める猫耳の彼女は、アリス=アネモニ。

 幼い容姿のせいでいろいろ勘違いされがちだが、当年32歳。

 立派な妙齢の獣人、未婚である。

 なお、医療魔術の発達した現在、人族と、獣人族の寿命差はほとんどないことも言い添えておく。


「今日はですね~、女王府につとめている我が不肖ふしょうの弟子が! この師匠に重要な任務をよこしてきたのですにゃ~」


 赤毛の警備員は、アリスが腕いっぱいに抱えている書籍に目を通す。


『はじめての翡翠女王国公用語』

『たのしいよいこの書きとりドリル』

『サルでもわかる簡単翡翠女王国語会話』


 やや低年齢の、外国の子どもむけ教材が山のように抱えられていた。


「藍銅共和国からやってきた魔法の先生に、女王国の言葉を教えるという、だいじなだいじな任務にゃのです!」

「成程。うまくいくといいですね」

「はい! この任務の出来次第では、長年『仲がいいような』『そうでもないような』とどっちつかずだった両国の関係をいっきょに改善でき、バカ弟子も師匠を見直しちゃう可能性アリアリですっ、んにゃあ~♪」


 残念ながら、ニャコ族は人とは異なる発声器官をしており、興奮すると言語というより鳴き声になってしまう。

 どちらかといえば舌ったらずな発音を教えてしまい、あとで外交問題にならないか心配だったが……警備員は何も言わずに「がんばってくださいね」と鼓舞こぶしておいた。


「それにしても、先生は遅いにゃ。ここで待ち合わせのはずにゃんだけど、警備員さんは、見かけませんでしたかにゃ?」


「いいえ。今日のお客様は、いつも通りリブラ様とそのお連れ様の若い方だけでしたよ」


 警備員は答える。

 この図書館はただの図書館にみえて、そうではない。

 彼を含め雇われている者たちは皆、軍人か元軍人。

 図書館のまわりにあるパン屋などの建物も買収済で、その店員もその道のプロばかりだ。

 つまり、この一帯は翡翠女王国の直轄軍によって監視されているのである。

 何故なのかは権限のないアリスは知らない。


「あらそーお? 下のお客さんたち、さっきからすごい血なまぐさい話してるんにゃけどにゃ~」


 だが警備員たちが見逃すはずがない……と判断し、アリスはより良いテキストの選定にかかった。



 一方、地下では。

 一方ってなんだ、一方って……。

 よくわからないが、何かは知らないほうがいい電波を受信したみたいだ。


 元々の話に集中したほうがいいだろう。


「そんな……天藍が、僕を殺そうとした犯人……!?」

「まさかと思うだろう? そのまさかだ」


 紅華はきっぱりと言いきった。


「奴は犯人ではない」


 僕は、派手にこけてみせるかどうか数秒迷い、やめた。

 あまりおもしろくないし伝わるかどうかも自信がなかった。

 うっかりすると芸人っていう概念が存在しないかもしれないし。


「えーと、……なんだって?」

「正確にいうと限りなく可能性は低いだろうということだ。とにかくこの二つの竜鱗を詳しく分析してみないことにはなんともいえんがな」


 紅華は竜鱗をリブラに預ける。

 彼は恭しくうけとり、診察鞄にしまう。


「じゃあ……なんで、わざわざ《決闘》までして証拠を手に入れたんだ?」


 紅華の答えは、端的だった。


「もし奴が敵だった場合が一番やっかいな問題なのだ。つまり、それは私と百合白が敵対するということだからな。可能性は潰すに限る」

「そのためだけに、リブラは死にかけたのか!?」

「死にかけていたのではない」


 紅華は平然としていた。


「わたくしはリブラに、あの場で天藍に勝負を挑み、それと知られぬように竜鱗を獲得して死ねと命じてあった」


 きっと、それは本当だ。

 僕はリブラが昼食会に出かけるときの表情を覚えていた。

 あの死を覚悟した恐怖の表情を。


 だが。


 同時に彼女が言葉どおりの人間ではないということも、僕はわかりかけていた。


「王姫となったばかりのわたくしには、貴族連中に信用がない。それどころか国民の支持でさえ未だ百合白姫に傾いたまま……。ツバキ、きみが間に入ってくれなければ、わたくしはリブラを犠牲にして情報を手に入れるしかなかった」

「それって……」


 思ったより、かなりやばいんじゃないの。

 と、声をかける前にリブラが間に割って入ってきた。


「殿下、そろそろお時間です」


 紅華はうなずいた。


「うむ。そうだった……ここに来たのは、難しい話をするためではない。ツバキがどうして殺されたのか、その犯人が誰なのかなど今はどうだっていい話だ」


 被害者を目の前にどうでもいいとはなんだ……。

 紅華は腕を組んで首をかしげる。


「えーと、あともうひとつ用件があったような気がするんだが……まあいいか」


 紅華は台の上の巨大な《青海文書》を取り上げると、僕に渡した。


「これはわたくしからの餞別せんべつだ」

「なに……餞別って?」


 ぽかんとしている僕に、彼女は微笑んだ。

 まるで大輪の薔薇が咲いたような笑顔だ。


「教科書がなければ授業もできまい。今日は魔法学院の始業式だ。さ、行くぞ」

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