37 悪魔の誘惑
「なんだよそれ……!」
魔法を使うたびに……そりゃ、凄い魔法ではあるけれど、内臓を抜かれたり生爪をはがされたりじゃ、割にあわなさすぎるってものだ。
『そういわれてもね~。それはアイリーンが決めたことだから。キミが人間だということを、自分で決められるワケじゃないようにね』
そうだ……。
こいつがほんとに物語の登場人物で、アイリーンの気まぐれで外にでている状態なんだったら、こいつは人間に近い存在にみえるけれど、実際のところは数ページぶんの紙とインクに等しい存在なんだ。
そして人間を食らい、人間の子が食人に怒る理由も理解せず、人をただのモノに変えてしまうバケモノでもある。
オルドルは、ベッドの上でピョンピョン飛び跳ねている。
『あのさ~、何か勘違いしてない~?』
「勘違い?」
『あの魔法、全部が、ボクがしたことだと思ってるでしょう? いやだなあ、いるんだよねえ、そういう人。そういう点で折り合えないっていうか? まっ、だいたい、ひと月もたないで全身食べつくしてしまうから、つき合い自体は短いんだけどサ』
オルドルは訳のわからないことを言いながら飛び跳ねるのをやめて、僕の顔を真上から覗き込んだ。
僕の視界が、逆さまの邪悪な笑い顔で埋め尽くされた。
「どういう意味だよ」
『魔法、使いたくないの?』
まさに、悪魔の誘惑だ。
鉄錆のにおいを吐き掛けながら、そいつは僕の一番ほしいものを目の前に垂らしてみせた。今の僕はさながら目の前にニンジンを垂らされた馬だった。
こうなると、もう、目的地に向かって駆け出すしかない。
「魔法の使い方を教えてくれるの……?」
『もちろんさ。ボクの教えにしたがえば、キミはたちまち大魔法使いになれるよ』
オルドルはニヤリと笑った。
『そのかわり……ボクのお願いも聞いてもらっちゃうけどね!』
*
翌朝。
受付モニターに映っているのは、キチンとした服装の男女が一組。
この世界にも、テレビ的なものはあるらしい。
それでもって、ニュース番組って、異世界も同じ構成なんだなあ……。
段々、異世界であることがつまらなく思えてきたけど、実際はこんなものだ。
話題になっているのは週末のイベントで、五年前の竜の侵攻についての《追悼式典》があり、王姫である紅水紅華や女王府のトップがそろって列席する……という話だ。
そういえば、彼女は、何をしてるんだろう。
逃げ出したのに接触もしてこないし。
寂しいわけじゃない。彼女と距離が取れたことは喜ばしいが、少し不気味でもある……。
僕はニュースを流し続けるモニターから離れた。
頭がガンガンして、音が響きまくるからだ。
結局、昨日は一睡もできなかった。
頭がフラフラして、酔っているみたいだ。腰に
そして、当のオルドルは朝になると姿を消していた。
医者から念のため、かわりの包帯をいくつかもらって、退院になった。
医師と看護師に礼を言い、受付ロビーを出る。
玄関のそばに、見たことのある赤い髪の人物が僕を待っていた。
「ん!」
入院先を誰から聞いたのか、待ち構えていたウファーリが、かわいいピンク色の紙袋を差し出してきた。
おはよう、とか昨日はどうのこうのとか、言えないのか。
僕も言わなかったけど……。
「何これ」
「詫びの品、兼、見舞いの品だ! 食ってくれ!」
袋を開けると、中には箱が入ってて、丁寧に包装されたその中身は、黄金色に焼かれた菓子だった。丸い形で、果物を煮詰めた甘酸っぱい香りがする。
形といい、大きさといい、パイ、と言っていいと思う。
「もしかして、手作り?」
「ああ」
「……意外だ」
「そう、意外と友達思いなんだよ」
意外だと言ったのは、手作りだという点なのだが……ウファーリは腰に手を置いて、にっと笑ってみせた。
それから、近くにある公園で少しだけ話をした。
聞きたいことや知りたいことが山のようにある。
「両目の下、すごいクマできてるぞ。ヒナガセンセ」
「まあ……いろいろあったんだよ」
「あのさ、その怪我、もしかして魔法を使ったからなのか?」
ウファーリが言い、僕はわけもなくぎくりとした。
「だから、君との勝負を避けてたわけじゃないけど……まあ、そんな感じ」
それが魔法を使ったせいなのかどうかは、あの時点では僕にも確かなことはわからなかった。
「あのあと、学園のほうはどうなってる?」
ウファーリによると、壊れた建物の修理はこれからだ。
オルドルの魔法は全てを無かったことにしてしまったが、彼女がめちゃくちゃにした教室や、天藍が切り裂いた備品など、修繕しなければいけないモノは山のようにあるのだ。
さらに昨日の段階で彼女の処分は決まらず、今日の午後、会議が開かれることになっている。
会議には、学院の教員と灰簾理事らが出席する予定だ。
「とりあえず、そこで何が決まっても逆らわないつもり」
ウファーリは起こしたことの責任を、自分で取る覚悟を決めていた。
「壊したものは、ま、うち貧乏だけど、なんとかがんばって働いて、弁償するし……」
「でも……学院には、残りたいんだろ?」
ウファーリは返事をしなかった。
残りたいとも、残りたくないとも。
「もう行くよ。これ以上話してたら、愚痴っぽくなっちまうしな。じゃ、またな」
と、取り付く島もなく、ウファーリは去って行った。
あれだけ嵐みたいだった女の子が、まるで嘘みたいに別人と化していた。
しかも手作りの菓子だなんて……。
ほんとは落ち込んでるんじゃないのかな。自分でもバカなことしたってさ……。
僕は公園にぽつんとひとり取り残される。
右手に、紙袋が残ってる。流れに流されただけとはいえ、友だちになると約束した手だった。
「……くそっ」
僕は、悪態をつきながら、駆けだした。
誰もかれも、人使いが荒すぎる。
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