38 会議

 暗い病室。


 入院した夜のことだ。


 魔法を使いたくない? 使いたいに決まってる。


 オルドルは、金色のゴブレットをテーブルに置いて、その上に手首を掲げた。

 何をしているんだろう、とみていると、彼は反対の手で、鋭い爪を肌にあてがうなり、細い手首を切り裂いた。

 鮮血がこぼれ、ゴブレットに流しこまれていく。

「なにしてるんだ……?」

『ボクがここにいるのはアイリーンが許しているからに過ぎない。だからボクの偉大さを理解してもらいつつ、キミをのんびりじっくり魔法使いの弟子にして、修行させて、一人前の魔法使いになるのを見届けるほど悠長に時間は使えない。なので、魔法を使う』

 ふつう、それほどひどくない出血はおさまっていくものだが、手首から流れ出る血は止まらない。あっという間に杯を満たして、テーブルの上にもれだし、部屋に広がっていく。

 耳元で、ひそひそ声がしはじめる。

 そして血だまりの中から、銀色の花が生えはじめた。

 僕は思わず後ずさった。

 そこは血にまみれた銀色の野原で、蝶が舞い、小鳥が鳴いていた。

 これって、なんだかめちゃくちゃヤバイことのような気がする……。

 耳元では、ヒソヒソ声がノイズになって、オルドルの声をかき消そうとしていた。

『キミはこれから魔法使いになる。青海文書の所有者であり、ボクの魔法の継承者になる。かわいそうなツバキくん』

「なんだ? 何を言っているのかきこえない!」

『それならそれでいいよ。さあ、そろそろ、ボクは消える。この杯を飲み干せ。それでボクはいつでもキミといっしょさ』

 血を飲め、と言われたのだけはわかった。

 僕は杯に手を伸ばした。

『ただし、キミは死ぬかもしれない』

「死ぬ……?」

『それでも、青海文書の魔法を知ったキミは、もう元にはもどれない。だれも、選択の前にはもどれない。絶対に、もどれないんだよ』

 そうだ、と、たぶん、初めてオルドルの言葉に納得した。

 僕は戻れない。

 まだ、元の世界には戻れない。

 僕にはやることがあるからだ。

 そのために魔法が必要なんだ。

 意を決して、杯に口をつけた。

 どろり、と生臭い、かたまりかけの血が口の中に流れこんでくる。

 血液を飲んでいるはずなのに、口の中には違う食感があった。

 まるで肉の塊を飲み込んでいるみたいだった。


          ~~~~


 不慣れな土地でどうにか学院まで辿りついたとき、時刻は正午に差し掛かっていた。

 会議は敷地のほぼ中央にある本部棟、事務部門や理事長室などを集約した建物で開かれていた。

 僕が辿りついたころには、会議室では結論が出たみたいだった。

 講義室のように階段状になった部屋の真ん中に、灰簾柘榴の姿がある。

 その隣には、例の眼鏡をかけた中性的な白衣の人物がいて、全員に研究報告のようなものを見せている。

 いろんなグラフや数列が空中に浮かぶホログラフィになって漂っていた。

 わあ……SFっぽい!

 とか、言っている場合ではない。

「えー……というワケで、ですね……研究はまだ始まったばかりではあるものの、科学的・魔術的にみても得られる知見ははかりしれず……仮に皆様方のご判断で彼女が学院を去ることになったとしても、研究の続行につきましては、ご配慮願いたいと思うしだいでありまして……」

「それってどういうことだ!?」

 僕が怒りまかせに怒鳴りながら入って行くと、議場の中心にいる灰簾理事は余裕の表情で僕のほうを見た。

「何をしにいらしたのかしら? ウファーリの退学処分は既に、先生方の投票により承認されました。もう結論は出たようなものよ」

 くそっ、もう、そこまで話が進んでるのか……。

 手遅れじゃないか。僕のバカ。

「灰簾理事……ウファーリが今度の事件を起こしたのは、僕のせいでもあります。せめて話だけでも聞いてください!」

「ウファーリは学院始まって以来の問題児よ。こうした結論にいたることは、時間の問題でしたし、彼女はこの事態の責任を取るべきなのです」

 ぐうの音も出ない。正論だ。

 自分でも苦しいな、と思う……。

「それに、貴方の立場で私に意見ができると思っているのかしら……?」

 彼女は豊満な胸の前で腕を組み、挑戦的な眼差しを向けてくる。

 その視線の先にいるのは、正確には僕じゃない。

 僕のバックについている――と彼女が信じている、紅水紅華だ。

「僕は……紅華とは何の関係もありません」

「では、彼女の要求に逆らえる立場なの? ……できないなら、彼女の手先だということと大して変りないわね」

 まるで僕の心臓に埋め込まれているものが何か、ということがわかっているかのような発言だった。

 でも、どう考えても道理の通らない発言をしたのはこの僕で、常識に照らし合わせても間違っているのはこっち、という不利な状況だった。

 それならそうで、僕は覚悟を決めた。

「何をなさってるの……?」

 突然、灰簾理事は戸惑った声を上げた。

 僕は彼女の足元に跪いていた。

 両手を床に突いて、額を地面に擦りつける。

 何をしているのかって? 土下座に決まってるだろ、と逆ギレしたくなる。

「事情だけでも聞いてください、お願いします」

 これって思ったよりも、恥ずかしい。

 恥ずかしさと屈辱が喉元にせりあがる。

 頭ひとつなんて安いものだ、と必死に言い聞かせながら、絨毯の網目模様を数えていた。そして、僕に同じようにしたウファーリのことを思い出した。

 彼女は……バカで、無鉄砲で、暴力の化身だけど、過ちを認めて謝ることができる女の子だった……それを、今ようやく理解した。

 それでも、灰簾理事はすぐに冷徹な声にもどり「そんなことをなさってもムダです」と言っただけだった。

 すぐに頭をあげなかったのは、自分が情けなかったのと、もうひとつ。

 耳元にザワザワした声がきこえてきたからだ。

 青海文書の声……子どものような複数の声が耳元でささやいている。

 その中で、ひとつだけやけにはっきりする声があった。

 そいつは、こう、囁いた。

『魔法で、今すぐ、ここにいるこいつらを皆殺しにしてやろうか?』

 オルドルの声だ。

 ボクは返事をしないで、じっとしていた。

『どうして返事をしないんだ?』

 魔法を使うべき時は、ここじゃない。

 魔法で何もかもメチャクチャにしても、何も解決しない。

 だから、ウファーリはこうして謝った。

 僕も同じようにするんだ……今は、じっと耐えて。

 そうして動かないでいると、声は遠のいていった。

「先生」

 灰簾理事とは違う穏やかな声が聞こえた。

 肩に骨ばった大きな手が置かれ、僕の体を軽々と起こした。

「ヒナガ先生、貴方のお気持ちはよくわかりました。ここは私に免じて、どうか……」

 みると、マスター・カガチだった。

 カガチは、僕に会議室を出るように促した。

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