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「まったく、困ったことになりましたな」


 隣の空き部屋に入ったカガチは、難しい顔をしていた。

 事件に激昂げっこうした灰簾かいれんの主張で、ウファーリは退学処分となっていた。

 しかも、彼女が研究対象になるのはこれまでと変わらないというオマケつきだ。

 彼女が壊した備品の額が相当なものになっていて、その弁償にということらしい。


「加えて、さらに悪いことが重なっています。今朝、正式に女王府から抗議があり、一週間、星条百合白殿下を自宅謹慎にさせるよう、通達がありました」

「百合白さんが?」


 彼女はこの件には、ただ巻き込まれただけの被害者だ。


「騒動の最中、《天律》を使ったそうですね」

「ええ、僕を助けてくれました……」

「天律は女王、そして女王となるべく生まれた王姫のみが扱う魔法だ。彼女は王位継承権を失ったとき、同時に天律を使わないという誓約をかわしているのです」


 処分は、その誓いを破ったことに対するペナルティだという。


 もちろんそのことを彼女が……百合白さん本人が知らなかったとは思えない。

 だけど、それでも僕を守るために魔法を使ってくれたんだ……。


 そのことを考えると、気分がさらに重たくなる。


 彼女を守りたいと思ったのに……全然だめだ。


 しかも、こうなった以上、灰簾がウファーリを放っておくことはまずないだろう。


「壊した備品の弁償は、僕がします。手持ちはないけど、給与があるだろうから、そこから……それで、なんとかなりませんか」

「申し訳ないが、金品のことは大した問題ではありませんな。大前提として、退学か否かは、この議場に集まっている先生方の同意によって決められたものです」


 そしてその大半は、灰簾の協力者か、学院内でも強い立場である彼女に逆らいたくないと考えている者だという。


「それより、ヒナガ先生はどうして彼女のためにあそこまで?」


 カガチは躊躇ためらいがちに訊ねた。


「ああ……それなら、大したことじゃないよ」


 僕は、頭の中に、教室で土下座をして謝ったウファーリの姿を思い浮かべていた。


《ほんっとーに、すまなかったッ……!》

《あんなことになったのはアタシのせいだ! どうか心ゆくまで殴ってくれ!!》


「リブラが突然死んで……混乱してるときに、彼女はまず先に自分の非を認めて頭を下げてくれたんだ」


 だから、同じことをしただけだ。

 そう言うと、カガチは穏やかに頷いた。

 それが何を意味してるのか、イマイチわからないけど。

 とにかく、僕も間違ったことをしたのは事実なんだ。


「向こう見ずな若者は、この世にごまんといます。後先考えず、自分の力を過信し他者を傷つける若者……ウファーリは《海音かいおん》の保有者であることを除けば、ごく当たり前の若者ですよ。彼女を認め、導く者さえいれば、ごく当たり前の大人になっていく。問題なのは、教育者という立場でありながら彼女を食い物にしようという連中のほうです」


 カガチはウファーリのことを本当に心配しているみたいだった。

 でもここで出た僕と彼の結論は、『ウファーリを退学から救う術は、今のところ無い』だ。僕とカガチだけでは、灰簾理事を筆頭に、五十名を超える教師陣を納得させることはできない。


 もし、できるとしたら……。


 ひとつだけ、有効そうな手段がある。

 でもそれは、あまり使いたくない手だった。


「そうだ、それから先生、少し気になるのですが」


 別れ際、カガチはそう言った。

 何食わぬ顔で、壁際に無防備にもたれながら、といった姿勢にみえた。


「入院するまえと、雰囲気が変わりましたな。血の臭いがしています。それも、腐った血だ」


 僕はびっくりして彼を見返した。

 カガチは世間話をしているような、おだやかな雰囲気だった。


 でもそれは雰囲気だけだ……。


 彼の目は全然笑っていなかった。

 真珠イブキを追及していたときの目をしてた。



 昨晩、金色の杯を飲み干しながら、僕は。

 生臭さと、無数の悲鳴を聞いていた。


 助けて!

 やめて、食べないで。

 お願い、家に帰して。

 痛い。

 くるしい。

 いたい。

 なぜ。

 どうして。

 こんなひどいことをなさるんです、オルドルさま。

 ばけもの!

 罪を償え、その命でもって。


 オルドルの血の中には、オルドルの犠牲者たちの血が、今でも流れてる。たとえ、それが物語の存在でしかなくても、こいつが残虐なバケモノであることは間違いない。

 それでもやめなかった。

 やめようと思えばやめれたのに。

 一口飲みほすごとに、僕の体のなにかが変わっていくのを感じた。

 うまく言葉にはできない。


 でも元の世界に帰る方法をみつけて、元の生活に戻るっていう選択肢もあったのに、一度も引き返そうと思わなかった……。


 気がつくと僕は病院の床に寝ていて、オルドルが僕を見下ろしていた。


『ありがとう、ヒナガツバキ。受け入れてくれて』


 不思議だ。

 動物の皮でつくった靴、植物の色を似出して染めた服や、角……。

 すべてがオルドルのものなのに、僕を見下ろしているのは僕の顔なんだ。

 このときようやく、僕は自分がとりかえしのつかないことをしでかしてしまったことに気がついた。


「これから先、ボクはずっとキミといっしょだよ」


 そんな言葉が、僕の唇から聞こえてきた。


 僕はほんとにボクか……?


 気が遠くなり、意識が消えていくのを感じた。

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