竜鱗騎士と読書する魔術師

実里晶

1 プロローグ





 その本は、何の変哲もない駅前にある古本屋でみつけた。





 夜だ。





 うちの親は仕事が忙しく、三百六十五日、いついかなるときも帰りが遅くて夕飯をつくる暇もない。

 なので、そのかわりに毎朝、五百円玉を渡される。

 食べ盛りの男子高校生に五百円って、いつの時代の基準だよ……と思わなくもないが、幸か不幸か成長期が素知らぬ顔で通り過ぎていった小食なので問題なし。

 節約してるわけじゃないが、一番安い弁当で十分だ。五百円で釣りがくる。

 それで、弁当を買った帰り道に、釣り銭で百円のコーナーから一冊選ぶのがいつの間にか日課になっていた。

 別に読書家ってわけじゃない。

 都会じゃどうだかしらないけれど、地方都市のイナカまるだしの適当な古本屋の、その手のコーナーに置いてある本なんて在庫処分品もいいところだ。

 僕が買わなければ、そのうちゴミ箱に入ってしまうだろうようなタイトルしか並んでない。

 その日みつけた文庫本も、タイトルが『青空の国の物語』なんていう、心の底からの軽蔑に値するしろものだった。

 物語のはじまりは、こうだ。


『昔々、あるところに、偉大な魔術師の王様が治める、魔法の王国がありました。』

『その民たちはみんなが魔法使いだったのです』


 へー、あっそう。


 そんな感想しか浮かばない。

 何に対しても批判的な性格なのは、自覚がある。

 でも、それにしても、この小説はひどい。 

 絵本でだって、いまどき、こんなひどい出だしはないだろうな。


 魔法だってさ。

 バカみたい。

 誰が読むんだろ、こんなくだらない小説。

 きっと夢見がちな女が読むにちがいない。


 だってそうだろう。

 この世界には魔法なんてない。

 もしそんな便利なしろものがあるなら、僕は。

 片手に下げたビニール袋、その中に入っている弁当をみて、溜息を吐く。


(あったかい、つくりたてのご飯が食べたいな……)


 本を買う理由のひとつは、家に帰ってもろくなことがないからだ。

 部屋は埃だらけの荒れ放題、食器は流し台に山積み、洗濯ものも山積みだ。

 そして、深夜をまわってくたくたに疲れてから帰宅する母親は愚痴ばかりこぼす。酒が入るとさらに手がつけられない。昔は普通だったんだけど、父さんに捨てられてから、ひどくなった。

 汚部屋に戻る途中、エレベーターの中でページを繰っていると、心臓に凄まじい衝撃が走った。


「いっ……!!」


 激しい痛みを感じた。

 痛すぎて、声もろくに出なかった。

 いや、もしかしたら、叫んでいたのかもしれない。

 でも、何が起きたのかわからなかったんだ。

 自分の身に何が起きているのか。

 弁当の入った袋を取り落して、床にから揚げが転がった。

 目の前がチカチカするのを堪えて見ると、胸に……何か刺さってる。

 銀色に光っている。ナイフ、だと思う。


「ど、どう……して…………!?」


 ここには、僕以外には誰もいなかったはずだ。


 何故、刺されてるんだ?

 いったいどうやって?


 ぼたぼたと、傷から、血の雫が文庫本のページに滴り落ちる。

 エレベーターが、がたん、と音を立てて目的の階に止まった。

 扉が開き、マンションの住人らしき人影が入ってくる。


 救いを求めようとした唇から、血が溢れて流れ出た。

 その人物は、フードをかぶっていた。

 フード……というか、黒い、レインコートみたいなものだ。

 エレベーターに乗り込むと、そいつは僕の持っている文庫本を掴んだ。


 盗もうとしているのか……?


 先に助けを呼べよ、バカ。ここにけが人がいるんだぞ。

 そんなことより、救急車だろ。

 やばい。

 もう、目がかすんできていた。


「やめっ……!!」


 必死に手を伸ばし、触れたものを掴む。

 相手の腕を掴んだつもりだったが、《グシャリ》という感覚からして、紙だ。

 まちがえて盗まれた文庫本を掴んでしまったんだろう。

 向こうは離すまいと強く引っ張ってくる。

 ビリビリ、と数ページが引きちぎれる音がして、腕は重力に従って、地面に……自分の血でできた血だまりの中に、落ちた。


 寒い……。


 さっきはあんなに痛かったのに、いまはもうなにも感じない。

 胸に、ぽっかりと大きな穴があいたみたいだ。

 これが死ぬってことだろうか。


 そうだろうな。


 だって、胸にナイフが刺さってるんだから。

 とても怖かった。

 僕は、ただの、高校生だ。まだ学生なんだ。

 どちらかといえば社会から保護されるべき存在だ。

 こんなところで胸を刺されて死ぬなんて、考えたこともなかった。


 死んだらどうなるんだろう。

 母さんは、泣くだろうか。


 あまり、泣かないかもしれないな。

 友達も……あまり、いない。恋人なんてものもいない。

 僕を待ってるのは、全国チェーン店の弁当と、明かりのないマンションの部屋だけだけど、それでもこれはあんまりすぎる最後だ。


 遠くなる意識を感じながら僕は、必死に、本のページを握りしめていた。

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