43 貧乏少女と怪しい雲行き

「うちは……貧乏なんです。正直、学費を稼ぐのだけで一杯一杯。だから、自分が稼がないと、生活費が足りないんです」


 観念したイブキはそう告白した。

 それを聞いた天藍は何とも言えない疑問顔だ。


「真珠家といえば名門軍閥の筆頭だろう。金に困るような家柄とは思えんが……」


 天藍いわく、真珠家は祖父、曽祖父そのまた祖父と代々、軍人として女王家に忠誠を誓い、国土防衛に勤めてきた名門だそうな。


「いったいいつの話をしてるんですか……」


 名門といえど、資産管理のほうはというと、グズグズだったらしい。

 真珠家がそれなりの金持ちだったのははるか昔の物語。

 先祖から受け継がれてきた有形無形の財産は、すりよってきた者たちによってだまされたり掠め取られたりで霧散。

 頼みの綱の領地関係も三代前に借金の担保にしてしまったのだった。


「さらに最悪なことに、うちの両親はプライドばっかり高くって……」


 武士は食わねど高楊枝たかようじ、を地でいっているらしい。

 出世争いに負けた父親は軍の中でも大した地位でもないのに、借金がかさんでも見て見ぬふり。現在では明日の食事にも困る始末だ。

 なんだか、それだけ聞くと、女性向け小説の主人公になっていてもおかしくない経歴だ……。


「それでも自分が竜鱗騎士にさえなれば、とんとん拍子びょうしに出世して、借金だって返せると思ってました。なのに……! この際だから言うけど、あんたは邪魔だった!」


 イブキは天藍に人差し指を突きつける。

 天藍は高すぎる適合率、剣術の確かさ、魔術への深い理解――入学前から《百年に一度の逸材いつざい》ともてはやされていた。

 反対にイブキは三鱗騎士で、適合率の低さからこれ以上の移植は望めない。

 もちろん、三鱗であっても竜鱗魔術師であることに代わりはなく、学園の基準に照らしあわせればごく平均的な生徒だ。

 だが、傑物けつぶつの隣に置かれれば、いやでもかすむ。


「それでも同じ班として活動すれば頼りになるかと思ってた……。でも実際のところは逆。模擬戦闘になれば仲間までまきこんで範囲魔法を使うわ、バックアップに回ればこっちまで斬られかけるわ……! 共闘なんて夢のまた夢」


 ずいぶん鬱憤うっぷんがたまってたみたいだ。


「だが、授業のときは何も言っていなかっただろう」


 少女の剣幕に、天藍も少し気圧けおされているようだ。

 見たこともない困り顔をしてる。


「言えると思うんですか!? 貴方はたとえ養子とはいえ、天藍は真珠家より家格も上だし、竜鱗騎士団の正騎士だし、団長なんですから、気を使うのが当たり前でしょうが!」


 流石の騎士も苦い顔で黙り込んだ。

 バカだな。口喧嘩で、女性に勝てるはずがない。


 まあ、そういう恨みつらみはともかく……彼女が切羽詰まった状況であることはわかった。


 あの学園、凄く豪華で、貴族ばっかりが通うって聞いていたから、とても意外だ。


 異世界でも見栄とかプライドってものは厄介みたいだ……。


「それで、生活費の足しにするために公園の掃除かぁ……」


 役に立たない両親のかわりに、娘を働かせる。こういう搾取って、間違いなく虐待なんだけど、翡翠女王国にそういう観念があるのかはわからない。

 イブキはがっくりと肩を落としてる。


「自宅謹慎というのはわかってます。でも……自分が一日でも働かないと、生活が……」


 本当に、成り立たないんだろう。でなければ、カガチからあれだけ釘を刺されておいてのこのこアルバイトに出かけるはずがない。


「それにしてもさ、落ちてるお菓子まで食べるほどなの……?」


 イブキの顔が真っ赤に染まる。


「えっと、昨日から何も食べてなくてですね……」

「毒とか入ってたら……そうでなくても食中毒とか、危険だよ」

「イブキは竜鱗騎士希望の魔術師だ。人間相手の毒物なら問題ない」


 竜鱗魔術は武闘派といわれているが、術の内容は千差万別。そして竜鱗騎士団を目指すなら、王族警護の観点から、体組織の強化は優先される。

 つまり、毒見役をしても大丈夫っていうこと。

 そういう体質を利用して、空腹を満たしていたのだろう。

 これが初めてじゃなさそうだ。


「くっ……殺せ!」


 耳まで赤くしてプルプル震えている。

 年頃の女の子に、これはきつい……。


「いや、まあ……事情はわかったし、そのパイは、君にあげるよ」

「いいんですか……?」


 イブキの目の色が変わる。

 そして、目の前で残りの半分にかぶりついた。

 パイくずで口のまわりを汚しながら、満面まんめんの笑み。


「おいしいです!」

「……それは、よかった」


 できれば製作者本人に伝えてほしいけど……。


「もしよかったら、だけど。学園の食堂って、僕ら職員は無料なんだ。こっそりでいいなら分けてあげるよ」

「ほ……ほんとですか……? ちゃんとした、腐ってない食べ物を自分に分けてくれるんですか……?」


 イブキは、震える声で訊ねる。

 目じりに感動の涙まで浮かんでる。うわあ、飢えてるなあ…。

 明日の食事に事欠くほどというのは、人間としてさすがに見逃すわけにはいかない。


「でも……自分は先の騒動で疑われてるんですよね? そんなに親切にして頂いて、よろしいんでしょうか」


 イブキは不安そうだ。


「そうだね……本当のことをいうと、僕には君が犯人でないかどうか、断定することはできない」


 可能性はいつだって、少しだけでも残ってしまう。

 ここは魔法の存在する世界だし、僕には異世界の常識も、非常識も備わっていない。


「リブラを殺した犯人のことを僕は絶対に許せないし、もしそれが君なら……どんな手段を使ってでも、君を殺す」


 殺す、という言葉がすんなり出てきたことに、自分でも驚いた。

 でもその言葉が出てきたとき、胸が熱くなるのを感じた。

 リブラがいなくなって、時間がたった。でもまだ自分は怒ってる。

 そう感じられる。


「大事な人だったんですね。それとも、よほど立派な方だったのかもしれませんが……」


 イブキは、その言葉が自分に向けられているにも関わらず、うつむいて、小さな胸の上に掌を置いた。それが死者をいたむ仕種なのだと、説明されずともわかる。

 彼女の良心を、信じたくなる。

 信じるとか信じないとか……感情で決めることではないけれど。

 そのとき、イブキと天藍が同時に顔を上げ、ベンチから離れた。


「な、なに……どうしたの!?」


 天藍は剣の柄に手を置き、イブキは箒を両手で握りしめる。

 二人とも、臨戦態勢だ。


「何なの、この魔力波長……」

「副班長、囲まれてるぞ」


 僕はベンチに腰かけたまま、穏やかな昼下がりがちょっとずつ変化しているのを感じていた。

 いつの間にか、公園には人気がない。

 空は曇っていて、なんだか、凄く気持ちが悪い。


『ツバキ、下だよ』


 と、耳元で……いや。僕の体の奥底から声がする。

 僕の視線は自分の足元に向けられる。

 違う……そのまま、視線は目の前の少女の靴へと移動する。

 彼女の影が不気味に、物理法則を無視して揺らめく。


「イブキっ! 影だ!」


 天藍が反応した。

 神速というべき速さで剣を抜き打つ。

 イブキの体を抱え上げ、地面に向けて竜鱗をたたきつけ、大きく飛び上った。

 天藍はそのまま公園の奥へと駆けて行く。

 僕も必死でその後を追った。

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