70 答えは知らない

 途切れた会話の後に残されたのは気まずい沈黙だった。


「あ――そうだ、これを見てもらえないかな」


 僕はクヨウから貰った写真からマシなものを選んで表示させる。


「まあ、ヘレンさん……」


 呼ばれた名前は、被害者の名前とぴったり一致していた。

 不意に、マリヤは手に持っていた未使用の包帯を床に落としてしまった。

 指先は軽く震えている。


「ヒナガ先生が、どうして彼女のことをご存知なのですか?」

「その……市警に友人がいてね。捜査に協力しているんだ」


 真実ではないけれど嘘でもない。


「彼女のことはよく存じ上げていますわ……ヘレナさんは、こちらの方の担当でしたのよ」


 マリヤはそう言って患者の眠っているベッドの縁に手をかけた。


「他の人たちにも聞いてみたんだけど、口が堅くて困ってたんだ」

「当然ですわね。彼女は勤務態度が悪くて、厄介者がられていましたの」


 マリヤはちらりと、眠ったままの女性の腕を見る。

 そこにはあるはずのない《真新しい火傷やけどのあと》。

 マリヤの言外の指摘は、頭の悪い僕にだって見当がつく。


「その……ヘレンさんは喫煙きつえんの習慣があったのかな」

「ええ、重度の中毒患者でしたのよ」


 そして、加虐趣味もあったようだ。

 それとも仕事のストレスからかもしれない。とにかく理由はわからないが、故人は医師の診察もろくにされない患者の元に来ては喫煙を繰り返し、患者を灰皿がわりにしていた。

 学院の生徒たちが診察を行うようになり、事が露見ろけんしたといったところだろう。

 それと前後して、彼女は仕事帰りに事件にい帰らぬ人となったようだ。


「ひどい話だね……」

「医術に携わる者としてあってはならないことですわ。でも、そういった方に頼らなければならない場合があることも確かなのです。人手が不足していて、仕事ははいて捨てるほどあるこんなところではね」


 彼女は沈痛な面持ちで頷いた。

 奉仕院も学生に頼らなければいけないほど人材不足に悩んでいた。

 女王国の医師、とくに医療魔術を習得した医師は高級とりだ。

 リブラは極端な例だが、彼らは魔術の力で奇跡とも呼べるような医療を施す。

 引く手数多あまたすぎて、こういう寄付で成り立っているような診療所で働こうという者が少なすぎるのだ。


「それでは……ほかにも診察がありますので。貴方と話せて光栄でした」


 彼女は車いすを動かす。

 僕は先回りして、扉を開けた。


「また、会えるかな」

「会って……どうするのです?」

「そうだな……」


 僕は少し悩んだ。


「話を聞かせてよ。リブラの話とかさ」

「あなたと?」

「そう……嘘みたいだけど」僕は胸に言いようのない痛みを感じながら、言葉をつむぐ。「僕は、リブラと別の場所で知り合いたかったな。こんな形じゃなく」


 紅華はごめんだが、リブラはただのお人好しだ。

 最初の出会いのことが無ければ彼は女王国で会った人たちの中ではマトモな部類に入る。

 あまり覚えていないのがやまれるが、この国についていろいろ教えてくれたのもリブラだし。

 マリヤは微笑んだ。


「リブラ様がどれだけ恐ろしい方か、あなたは知らないだけですわ」


 予想の外の言葉に打たれ、僕は呆然と彼女の後ろ姿を見送るしかなかった。

 リブラが、恐ろしい?

 彼女が出ていくとオルドルが騒ぎ出す気配がした。

 間髪いれず間抜けな音が病室に響く。


『っぷは~~~~~!』

「一応聞くけど、その長時間息を止めてましたみたいなわざとらしいやつ、いったい何なの?」

『息を止めてたのサ』


 何のために、とは聞かなかった。聞くだけ無駄だ。


『こっちはキミがあまりにも無防備だから戦々恐々せんせんきょうきょうだよ。魔女の誘いにのるなんて。しかも、一日に二人もだ。命がしくないとしか思えないネ』


 魔女……ひとりはクヨウ捜査官として、もうひとりはマリヤだろうか。

 そういえば、オルドルは、マリヤのことをあやしいとか言っていたんだっけ。

 でも、そんなことあり得るのだろうか。

 リブラの養女として、犯人を憎んでいるのだから。それに、少し話してみただけだが、医療魔術を学んでいる優秀で倫理観もきちんとした女の子だ。


『女は恐ろしい生物だ。嘘くらい平気でつくものさ』

「半分鹿のクセに、知ったよーな口をきくなよ……」

『どうして? 男より、女のほうが魔法使いの適性がある。男は理屈臭くて直感に劣るし、スジ張ってて美味くない』

「美味かどうかは別として、他は差別と偏見じゃないか」


 階下におりると、誰もいない中庭にぼんやりと立ち尽くしている白影はくえいがあった。

 僕は足元の小石を拾って、大きく振りかぶって投げた。

 運動音痴の微妙なコントロールで、ヘロヘロと気合いの入らない放物線を描いた小石は終着点で粉々に砕け散った。

 大いなる循環の旅路を無視し、岩石を瞬時に砂へと還した竜鱗騎士の恐るべき握力に一瞬、何も見なかったことにして、帰ったほうがいいんじゃないかなという気持ちが頭をもたげる。

 でも、恐怖をこらえて一歩を踏み込んだ。


「さっき、マリヤに会ったんだ。彼女もボランティアに参加してたんだな」


 聞かれなかったからだ、という言い訳は聞こえてこなかった。

 無表情の天藍がいる。


「彼女から、そっちの事情は少し聞いた」


 そう言ってから、僕は、百合白さんの過去のことを、マリヤからではなく天藍の口から聞きたがっていた自分を発見した。


「お前がそれを知って、どうする。疑問の解決はさらなる疑問を生む。無関係な者が知れば知るほど、姫殿下が傷つくだけだ」


 僕の投げた言葉が天藍の石頭にコツン、と当たって見当違いのところへと跳ねていくのが目に見える。

 百合白さんが傷つくだけ。

 そうだろうな……。


「そりゃ、いろいろ気にはなるけどね。何故、百合白さんが対話を選び、雄黄市を見殺しにしたのかとかさ……」


 天藍は眉を吊り上げる。


「姫殿下には姫殿下のお考えがある」


 それ以上話すつもりはないらしい。


「そうかよ……」


 他人行儀な反応が、僕をむしょうに苛々いらいらさせる。

 だが、ここで何を言っても、しょせん僕は異世界人だ。

 無責任な他人以下が口出ししたって仕方ない。

 それに。

 彼に『何故リブラを殺した犯人を追うのか』と聞かれ、拒絶したのは僕が先だった。

 だって、わかるはずないんだ。

 生まれも育ちも性格も違うんだから、聞いたって無駄だ。たとえ僕たちがお互いの胸のうちを話したとしても、そこにはただ変えようのない過去とか、事実だけが転がってる。

 僕は、ぎゅっと両手を拳の形に握りしめた。


 わかりっこないと、あきらめている。


 ……なのに、何故こんなに苦い気持ちになるんだろう。


 今、僕が握りしめている手は百合白さんが握っていてくれた手でもある。


『日長先生、不思議ですね。こうしていると、まるで、自分のことのように感じませんか?』


 僕は心の底から、天藍や百合白さんたちとは、この国の人たちとはわかりあえないと思ってる。

 けど、そうじゃないと思う自分もいた。

 百合白さんがどうして、途方もない犠牲を払って竜との対話を望んだのか。

 どうしてそんなことになってしまったのか、理解し、わかりあいたいと望んでる自分もいるんだ。

 いったい、どうすれば。

 その答えを出せないまま、僕は帰途きとについた。

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