69 罪深き選択

 僕と百合白さんの間に、天藍が立ちはだかった。


「姫殿下、それ以上、藍銅らんどうの者に話してやる必要はありません」

「なんだよ、いきなり」


 天藍は有無うむを言わさぬ様子で、彼女を連れて行ってしまう。

 僕は唖然あぜんとしたまま、その場に取り残された。

 百合白さんは一度だけ振り向いて、何も言わずに去って行った。


 仕方がないので、ひとりで奉仕院の中を探索した。

 ろくに考えずに来てしまったせいで、気のいた調査はできない。

 学院の教師の制服はかなり役に立ったが、職員に話を聞こうとしても事件の被害者のことを少し話しただけで話題を切り上げられてしまう。

 あまり収穫がないまま帰るしかなさそうだ。

 天藍はというと、百合白さんのほうに付き添っていて、帰ってこない。


「いったい、なんなんだ……あいつ……」


 突然、怒ったりして。


「彼女の過去を考えれば、仕方がないと思いますわ」


 独り言に返事が返ってきて、廊下に置かれたベンチの座面から数十センチは飛び上がった。


「マスター・ヒナガ、そんなに驚いてくださらなくていいのですよ」


 くすくす、という、耳に心地よい笑い声が響く。

 病室が並ぶ廊下に車いすに乗った女の子がいた。

 患者ではない。学院の制服を着ていた。


「君は確か……リブラの……」

「マリヤですわ、マスター・ヒナガ。改めてご挨拶申し上げます」


 よく見ると、彼女は医師が持つようなカルテを抱えていた。

 リブラの養女で、医療魔術を学んでいる……確かそんな話だったはずだ。

 彼女も、ここにボランティア活動をしに来ていたんだ。


「五年前、雄黄市に竜が攻め入ったとき、彼女は王姫という立場でした。ですが……長老竜が出現したという情報が女王府にもたらされても、竜鱗騎士団を派遣しようとしなかったのです」


 あっさりと語られた事実だが、その意味は恐ろしいものだった。


「それどころか、異議を唱える当時の騎士団長を罷免ひめんしたのです。副団長であったマスター・カガチが学院に入ったのは、本当は殿下への抗議行動だったというもっぱらの噂ですのよ」

「あんなに優しい百合白さんが……どうして……」

「こちらへ」


 マリヤは車いすをたくみにうごかして、ひとつの病室に入って行った。

 僕もその後を追った。

 翡翠女王国ひすいじょおうこくに、竜に対抗できる力は《竜鱗魔術》のみ。

 竜鱗騎士団の派遣を王姫がこばむということは、本来あってはならないことだ。

 竜に襲われた土地では、人は無条件になぶり殺されるだけ。

 その恐ろしさは昨日のことで思い知らされているだけに、他人事とは思えない。あっという間に雄黄市は壊滅し、騎士団を抜けた元・竜鱗騎士団団長は現在でも行方不明である。

 王姫だった星条百合白に、それらの被害が予見できなかったとは考えにくい。


天市てんしささやかれている実体のない噂に過ぎませんが、殿下は長老竜との《対話》を望んだのだとか言われていますわね」


 竜と戦うよりも、竜族との対話の場を持ち、説得と交渉によって事態を収束させる。

 そんなことが可能なのだろうか。

 室内には僕とマリヤ、そして意識がなく、口もきかない患者のみがいた。

 マリヤは車いすを操作しながら、器用に患者の手当てを施す。

 四十代……か、五十代……火傷のあとが酷く、外見ではわからない。

 女性は生命維持装置に繋がれていた。

 彼女は黄市からの難民で、身寄りは無い。

 治療費を払う当てがなく、各地の病院を転々としながらここに辿りついたらしい。治療は中途半端で、マリヤたちのように奉仕活動に携わる学生に頼りきりだ。

 それもおそらく十分ではない。

 僕は、患者の袖から伸びる腕についた、小さな真新しい丸い火傷やけどの痕を見つめた。


「しかし、五年たっても、彼女が本当に長老竜と交渉を行ったのか、行ったとしたらその内容はどんなもので、対話の結果何を得たのか。すべては闇の中なのです」


 謎は多いが、一応の理由は通った。

 彼女のしようとしたことは、途方もないことで、それは失敗に終わってしまった。

 奉仕院にいるのは社会復帰の望みがない老人や、怪我をして障害が残ってしまった重篤じゅうとくな患者たちだ。それも、大抵が家族や身よりを亡くし体だけでなく心にも深い傷を負っている。

 彼らが星条百合白を許せない、と思う気持ちは当然といえた。

 それは心優しい百合白さんにとっても辛いことだったはずだ。竜との対話を優先した彼女だけど、傷ついた人たちを見捨てられるような人ではない。

 そのことがわかるから、天藍は彼女をかばった。

 辛い過去を思い出させないために。


「それでも、彼女は足しげく奉仕院に通い続けましたの。文字通り雨の日も風の日も……まるで自分のしたことを悔い、罪をつぐなおうとするみたいに」


 彼女の熱意に押され、はじめは普通科クラスだけだった奉仕活動に医療魔術科生も加わるようになっていった。


「彼女の失政は確かに許されるものではありませんが、それでも彼女の他者を魅了する性格はほんものですわ。今では、奉仕院の患者たちで、百合白様を悪く言う方はひとりもいませんもの」


 さりげなく窓辺に視線をやる。

 中庭に、患者たちの中心で朗読ろうどくを行う百合白の姿があった。

 患者たちも穏やかな表情で物語を聞いている。


「何故、君は僕にそんな話を……?」

「話してみたかったから、ですわ。マスター・ヒナガ。話題は何でもよかったのです。ここで貴方の姿をみたとき、本当に驚きましたのよ」


 質問したのは僕のほうだが、マリヤが何を考えているのかはわからないでもなかった。


「助けられなくて、ごめん」


 唐突な僕の謝罪に、マリヤは戸惑ったようすだった。


「……ずるい方ね、先に謝られては、責めることもできませんわ。それに、あなたを責めたいわけでもありませんの。私が許せないのはリブラ様を殺した犯人だけでしてよ」


 その言葉は、少し無理をしているようにも取れる響きを含んでいた。

 彼女は僕のことも、快くは思っていないはずだ。絶対に。

 奉仕院の人たちが、最初は百合白さんを許せなかったように。

 僕がこの国に来ることになったのは僕の意志でもなんでもないけれど、自分のせいではないなんていってもマリヤの気持ちはけして楽にはならないだろう。

 むしろ他人をうらむことで少しでも楽になれるんなら、いつまでも黙っていたい。

 もうどうにもならないことを自分のせいにすることが、きっと一番辛いから。

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