29

 生徒たちを灰簾かいれんに引き渡し、天藍はすぐに屋内にとって返した。

 しかし、廊下の先は放り出されていた机やイスといった品物が積み上げられて壁になってしまっている。

 引き返そうとふりかえると、入って来た入口側にも同じように物が積みあがる。

 しかも、ウファーリの能力によってがっちりと組み上げられている。

 このバリケードは厄介だ。

 切り裂いても崩しても、いくらでも海音かいおんの能力によって元の壁に戻るのだから。

 おまけに普通科校舎の頑健さが、脱出不可能な牢獄を形成している。


「……考えたな」


 出力の小さな魔術でも、バリケードを張り、時間を防ぐには十分ということだ。

 思考回路の単純なバカとばかり思っていたが、そうでもない。むしろ激情を外に発散させることで、逆に思考を巡らせることができるタイプなのかもしれない。

 マスター・カガチはウファーリと戦うとき、明らかに実力不足であるにも関わらず楽しげだった……。それは彼女の才能を感じていたからかもしれない。

 気がつくのが遅すぎた。

 天藍は静かに天井を見上げた。


「さすがに姫殿下を傷つけるような馬鹿ではないはずだ……が、ツバキのほうは保障できないか……」


 もし、ここに、闇を見通す目を持つ人がいたら、彼の瞳が爛々と輝いているのを見つけただろう。

 亀裂のような細く鋭い瞳孔で、その向こうにあるものを渇望する、獰猛な瞳を。

 整った唇は笑みの形をつくり、今にも竜の歌を奏でそうだった。


 闘争よ、降りて来い。

 来ないなら、こちらから行くぞ、と。


 守るべきものがあり、それが脅かされている最中、それとは別の本能が彼を駆り立てている。

 彼はこの状況を楽しんでいたのだ。



 ウファーリは言葉を紡ぐ。


「アタシは確かに……研究材料になるのと引き換えに魔法学院に入学した。貧民街生まれで金もないし、学校もろくに行ってないから頭もよくない。ここの生徒たちから見たら、ほんとに取るに足らない人間なんだと思う」


 その気持ちはよくわかる。

 僕だって、教師としてあの檀上に立てと言われたときは、大道芸のサルと同じ気持ちになった。見渡す限りの自分と同世代の少年少女たち……それも、金持ちで、頭がよくて、ほんものの貴族で、社会の上澄みのようなやつらが問答無用でこちらを見下してくるっていうのがどんなものだかわからないやつは、ウファーリと同じくらいどうかしてる。

 ウファーリを暴力的にしたのは、彼女の本来の性質と、この悪環境の相乗効果なのかも。


「だけど……カガチ先生と戦ってた時、少なくともアタシは実験動物じゃなかった。マスター・カガチは理不尽な条件をだした。でもバカにしてたわけじゃない、そうだろ? 心の底から馬鹿にしてる相手となんか、戦えないよ。命なんか賭けられない」


 それについてはいろいろ異論があるけど、彼女の中で燃えさかる炎が形をかえたかのような言葉で、一瞬、僕のみにくさを炙り出したのはたしかだ。

 僕は、心の中で非を認めた。

 僕は醜い。

 無理なら無理だと言うべきだったんだ。

 この世には理不尽なことがあって、自分の力では変えられない。

 そのことを教えるべきだった。

 本当の教師なら、そうすべきだった。

 でも僕は、教師になるつもりなんかはなから無かったし、彼女をあなどった。

 そしてウファーリが、どうしても勝てない強大なものに立ち向かうことで必死で守ろうとしてた自尊心を傷つけたんだ。

 ウファーリはとんでもないやつだけど、それは彼女を傷つけていいっていう免罪符にはならない。


「ウファーリ、ごめん」


 僕は、素直に頭を下げた。

 そして、下げた頭の片隅で、リブラもこんな気持ちだったんだろうかと考えている自分もいる。


「もういいよ、先生。最後にひと暴れって思ってやったことだし、先生には関係のないことだ。だから――」


 彼女は窓から離れ、僕を振り返る。

 その笑顔は、つきものが落ちたかのようにサッパリしてる。

 許してくれるのかな? とほのかに期待。


「アタシの引退試合、相手になってくれよな!」



 僕は百合白さんの手を引いて、脱兎だっとのごとく逃げ出した。


「待てコラっ!! 何度逃げたら気が済むんだ、お前っ!」


 怒声とともに、ウファーリは手裏剣を放ってくる。

 僕の進行方向を正確にたどり、タイルを割りまくって床に突き刺さる。


「こうなるって知ってた!!!! うあッ!」


 刃が足首をかすめ、制服の布地と僕の足の皮膚ごとけずり取っていく。

 バランスを崩して地面に転がるが、連日の暴力行為に慣れてきた僕は反転し、頸動脈を青海文書で守る。

 その表紙に手裏剣がザックリと刺さる。

 ああ、急所狙いが露骨で助かった。


「日長先生、こちらです!」


 百合白さんが隣の教室から僕を呼んだ。

 逃げ込んで、ロッカーで入口をふさいだ。

 本棚がガタガタと揺れ始める。

 外から、海音で動かしてるらしい。

 そうだ。こいつの能力は、かなり遠隔からでも発動するんだった。

 扉一枚隔てているだけでは、無意味だ。


「百合白さん、逃げてください……!」

「できません」


 彼女ははっきりとそういった。


「あなたが行かないなら私もどこにも行きません。あなたが逃げ出さないなら、私も逃げない。戦います」


 その表情は必死だ。

 きっと怖いに違いない。あの決闘のときも、彼女は脅えてたんだから……。

 小動物みたいに愛らしい顔をしてても、僕なんかよりずっと強い覚悟を秘めてる。


「でも、僕は魔法が使えないんです!」


 ロッカーが強く揺さぶられ、床から浮きあがった。

 そして勢いよくはじかれて、壁にぶち当たって破壊される。


「響きなさい!」


 僕といっしょに床に倒れた百合白さんが起き上がり、鋭く叫ぶ。

 彼女の手には真っ白な持ち手のついた、薄いピンク色の鈴が握られていた。


「《この家は女王のもの、この扉もまた女王のもの、ほかの何人も入れず、女王以外には役目を果たさない》」


 鈴が振られる。

 紅華のものとは違い、涼やかな音色が響くと、目の前にあったはずの扉は、薄くかすんで消え、ただの壁に変化していた。


「閉鎖の天律魔法です」と彼女はほっと息を吐き、言った。


 図書館の地下室にかけられた魔法と同種のものだろう。

 彼女もまた先代翡翠女王の娘で、女王不在の現在なら、天律が使えるのだ。


「ただ、壁そのものを破られれば無意味です。時間稼ぎにしかなりません」

「その魔法で……たとえば、紅華がやったように、すごい槍を呼び出したりできない?」

「あれら宝物は、かつては私の持ち物でした。でも、今は紅華のものです。《解放》の天律を響かせることができるのは、王姫おうきだけです」


 百合白さんは、表情をくもらせる。

 そしていつかと同じように、僕の手を取った。


「集中してください。あなたの魔法だけが頼りなんです」

「でも……」

「不思議に思っていました。彼らは……王姫殿下やリブラ医師は青海文書の使い方を知っているはずなのに、どうしてあなたに教えないのか」


 そういわれて、僕も初めて気がついた。


「もしかしたら、教えてはいけないのでは? 詳しく教えてしまえば、かえって使えなくなってしまう、使う資格を失ってしまう……そういうものかもしれません」

「でも、どうしたらいいか、僕にはわからないんです。本の内容は何度も繰り返し読み直したけど、でも。深く理解しろといわれても、なんのことだかさっぱりで……」

「落ち着いて……あなたなら大丈夫。ちゃんとできます」


 どおん、と、壁を叩く音がした。

 部屋が振動する。むりやりこじ開けようとしているのだ。


「日長先生、ふしぎですね」


 こんな状況なのに、彼女は優しく微笑んでいる。僕の間近で。


「手をつないでいると、あなたが緊張しているのがわかります」


 こんな状況なのに、顔が赤くなってくるのを感じた。

 彼女は僕の手を離して、僕にもっと近づいた。


「こうしていると、まるで、自分のことのように感じませんか?」


 声が、耳元で聞こえた。

 何が起きているのか、理解するのに時間がかかった。

 彼女が僕を抱きしめているのだと気がつくのに。

 体が熱い。

 手と手が触れ合っていたときより、もっと熱い。

 そして、相手の重みを感じる。

 体の柔らかさ、甘いにおい。肌や、彼女の髪が僕の頬をふわりとなでる感触……。


「人って不思議ですね……まるで別の人間なのに、相手が自分とひとつになったように感じられる瞬間があります。あなたのことが、私のことのように。理解するって、そういうことではありませんか……?」


 本の内容を理解して、そして共感する。

 それはごくあたりまえすぎて気がつかなかったことであり、試してみようとも思わなかったことだ。

 でも、それ以上に、頭のなかはパニックになっていた。

 思考は、彼女のにおいや感触でかき乱される。

 やわらかい、抱き返したい。

 脳裏に天藍の姿がチラついたが、欲望に負けて、僕は両腕を彼女の背中にまわした。

 なんて華奢なんだろう。

 こんなにも小さくて可憐かれんな人が、逃げないと言ってくれた。

 彼女を守りたい。

 どんなに辛いことからも。

 どうしたら、そんなことができるんだろう。

 そして混乱の中で……。

 僕は彼女の背中が光っていることに気がついた。

 いや、百合白さんではない。

 彼女の背後に、アイリーンが立っていて、僕を覗き込んでいる。

 そしておもしろそうに笑いかけながら、僕の額をなでるのだ。

 その瞬間、喉に痛みを感じ、僕は咳をした。

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