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「すてき」


 百合白さんは室内を悠々ゆうゆうと飛ぶ小鳥を呼び寄せる。

 小鳥は金属でできた体で肩にとまる。

 そして愛おしげに彼女の頬に体をすりつけた。

 その間にも銀のつるは彼女の体を伝い、腕を縛り、上半身を伝い、徐々に自由を奪っていく。

 清浄なるものを邪悪が拘束していく。それでも清浄なる存在は可憐さを失わない。


 なぜ…………。


 なぜ追い詰められていくのに、いつも通りでいられるんだ、百合白さん。

 それは異様な光景であり、僕にとっては暗澹あんたんたる未来を予感させた。


「怖がらないんだね」

「まあ……そのほうがよかった? では、やり直しましょう」


 幕が下りて舞台のセットががらりと入れ変わるみたいに、ほんの三十センチほどの距離で瞬きをした彼女の表情から、微笑みが消え去った。

 そして再び、怯え、困り果てたかわいそうな少女のものに変わった。


「どうしてこんなことをするのですか、マスター・ヒナガ……あなたが何をおっしゃっているのか、私には理解できません……」


 見事な演技すぎて、有利に立っているはずの僕が動揺する。

 ふ……とちいさく息を吐き、百合白さんは辛そうに眉をしかめた。


「長い間、王宮で生きてきたのですもの。本心を偽るのはお手のものですよ。私の感情に大した意味なんてないのです」


 どちらが本当なのか僕にもわからなかった。

 ただ僕の心が揺れ動いただけ。


「……ノーマン副団長を呼ぶならどうぞ。僕は逃げも隠れもしません」


 もちろん、一国の姫君をこういう形で拘束しておいて、おとがめなしですむはずがないっていうのは承知の上だ。殺したいなら殺せばいい。

 天藍でもノーマンでも誰でもいい。

 誰かが僕を斬るというのなら、承知する。

 僕が経験した何十回もの死の、そのどれよりも楽に死ねるだろう。


「覚悟は決まっているのですね」

「そんなにかっこいいものじゃないよ。僕の考えが正しければ、君のほうが上手だっただけ」


 彼女の愛らしい顔を見つめていると、全部何かの間違いじゃないかっていう気がする。

 それは気のせいとかじゃなくて、論理的でもなくて、とことん気持ちの問題だ。

 彼女が好きだ。この世界の誰よりも特別で、ほかの誰とも違うんだ。

 彼女を守りたい。彼女を傷つけたくない。

 なのに僕の言葉がそれを許してくれない。


「あなたの考えとは?」

「銀華竜を海市に呼び出したのがマリヤだっていうことは……知っているものとして話すけど……おかしいなって感じ始めたのは戦闘中だ」


 僕は百合白さんの手を離し、距離を取ろうとする。

 彼女はオルドルの魔法が捕まえた。もう手を握っている必要はない。

 しかし……。


「どうか、このまま……話してください」


 彼女はハンカチを捨てて、遠ざかろうとする僕のそでを指先で掴み、引き留めた。

 ごくりと喉が鳴る。

 魔法に捕らわれているのは彼女だ。

 でも本当に絡めとられているのは僕だった。


「……でもそのときには手遅れだった。何故銀華竜は、市街地からも離れて、翡翠宮からも遠い工場地帯に現れたのか……戦っている最中も、マリヤは僕や天藍のことは二の次だった」


 マリヤは僕たちを退しりぞけると、トドメを刺す間もしんですぐにその場から離れた。


「マリヤには共犯者がいた。それが君だ」


 マリヤひとりの力では、異世界の扉は開かれない。

 常に彼女に協力していた王族がいるはずなんだ。


「僕が彼女の胸に剣を突き立てたとき、マリヤは言ったんだ。《杖》を置いたのは私じゃない……って」


 リブラの屋敷でみつけ、マリヤの犯行だっていうことを裏付けた、あの蛇の杖だ。

 考えてみれば当然の話だ。

 あんな証拠のかたまりみたいなもの、自分の部屋に置きっぱなしにするはずがない。


「まるで僕たちがあそこに行くのを知っていたみたいだった……でも、誰も知るハズがないんだ。行き先はオルドルの魔法で隠されていたから」


 リブラの下屋敷に向かうことは、ある程度は予測できる。

 でも、たったひとつしかない杖を、あのタイミングであの場所に置いて去ることができるのは……その隠された情報を知ることができた誰かだけだ。

 そしてその誰かは、黒曜ウヤクから情報を得ていたマリヤであるはずがないんだ。


「そうしたのはあなたの可能性が高い。天藍はあなたにこちらの位置情報を逐一ちくいち送っていたからです」


 星条百合白は、僕たちがどこに向かうかをマリヤに知らせることができた唯一の人物だ。

 だからこそマリヤは万全に罠を整えることができた。

 もしもフラガラッハの力がなければ、僕たちは炎の下で灰になっていた。

 だがのだ。


「反論の余地はありそうです……私はあの襲撃の最中、自宅を離れていませんよ。ノーマンが証明してくれるでしょう」

「そうだね。あなたが部屋を出たのは、銀華竜に襲われたからだ」


 竜にさらわれ、工場地帯のどこかへと運ばれた。

 そして、僕と天藍に助けを求めるメッセージを送ってきたんだ。


「他にも協力者がいなければ、不可能なことが多すぎる」と僕は自分のいたらない推理を認めた。


 鈴の音の問題もある。

 異世界に渡ったとき、使われたのは星条百合白の天律魔法ではなかった。

 これは紅華が確認しているから確実だ。


「でも今の状況では、そうとしか考えられないんだ。そして、もしもあなたとマリヤが共犯者なら、わざわざ僕らを呼び出すはずがない。つまり、君はマリヤを裏切って殺そうとしていたんだ。黒曜ウヤクと同じく僕と天藍を使ってね……」

「なんのために?」


 柔らかで、透き通った声が歌うようにささやく。

 いろんな可能性があるだろう。

 でも僕が出した結論はひとつだ。


「《青海文書せいかいもんじょ》のため。理由はわからないよ……でもそうとしか考えられない。君は、青海文書のことを最初っから知ってたんだ。そして本を探してた」


 僕から奪われ、破かれた一冊の書。

 ある時点まで、はずだ。

 そして僕がマリヤで、共犯者が百合白さんなら、絶対に入手した本の片割れを手放したりなんかしない。

 鶴喰砦つるばみとりででの一部始終を体験したなら、星条百合白に近づけるチャンスを逃したりしない。

 どうしてあんな悲劇を起こしたのか、どうしてあの場所でたくさんの人々の魂が見捨てられ、ちていかなくちゃいけなかったのか……訊ねるなというほうが無理だ。


「もちろん、君は白を切り通すこともできる。でもそうすれば、君は僕の幻の中で死ぬ」


 体中に巻き付いた蔦は、僕が求める答えを得るまでは彼女の体をきつく締め上げていく。

 副団長は少し離れたところで、百合白さんを探してるけれど、まだこっちを補足できてない。

 ノーマン副団長の力で救われたのはこの僕なのに、恩をあだで返されたと思っている頃だろう。


「僕も騎士団に殺されるだろうけど、僕は僕の死を計算に入れるのをやめてるってこと、伝えておくよ」


 どうせ僕はもう僕ではない。この命には、なんの価値もない。


「恐ろしい人……意外と卑怯な手を使うんですね」

「君が、君だけが知り得た情報がどうしてマリヤの手に渡ったのか、それに納得のいく説明をしてくれさえすれば、すぐに終わるよ」

「いいでしょう……」


 彼女は、二度、瞬きをした。


「マリヤと出会ったのは、ステラ奉仕院でのことです。でもそのときすでに彼女は殺人者だった……サナーリアとかいう魔法の力で、あの看護師を殺したところ。ちょうどそのときに私が出くわしたのは、ただの間の悪い偶然」


 胸が痛む。

 それは鋭い刃物で心臓が薄く切り取られスライスされたような、オルドルに肉を食われるのとは違った痛みで、この国に来てから何度も味わった苦痛だった。

 こんなに素直に話してくれるとは思っていなかった。

 でも何故だろう。彼女には隠された考えがある気がする。


「……どうして急に話してくれる気になったの?」

「ここに来た最初から、あなたにはすべて話してもいいと思っていました。ほんとですよ」


 僕は魔法の形を変える。

 彼女の体に絡みついた蔓は、まだ足を縛ったまま、ソファになって強制着席させた。

 百合白さんの表情は、微笑みのまま変わらなかった。

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