82

 図書室の扉が乱暴に叩かれた。

 開くとそこには黒服の不気味な男がふたり立っていた。

 黒曜大宰相の私兵たちだ。


「王姫殿下、お迎えに上がりました」


 彼らはそれだけ言うと、玄関口でじっと立っている。

 僕も、これ以上、紅華を引き留めようとは思わない。

 彼女は紅色の瞳でじっとこちらを見つめた。


「本当にいいのだな?」


 何がいいのか、僕だけにわかる。

 元の世界に戻って、この状況を全部投げ出して、そうしなくていいのかって。

 いいんだ、と心の中だけで答える。

 僕は逃げない。

 もう引き返さない。


「期待して待っててよ。竜は僕が倒す。そして、英雄の誕生だ」


 あくまでも演技にてっして彼女が護送車に乗せられるのを見送り、僕はやっと溜息を吐いた。

 慣れないキャラクターを演じきって、疲れてしまった。


「先生……どういうことですにゃ。先生は悪人だったのですかにゃ?」


 アリスは明らかに狼狽うろたえた表情だった。


「アレとはなんだ、アレとは」


 天藍はあいかわらず不機嫌だった。


「……僕の故郷では大流行してる詐欺があって――顔は見せずに、相手の身内を詐称さしょうするっていう詐欺なんだけど」


 報道でさんざん注意喚起を行っているというのに、いまだに被害が出続けているメジャー級の犯罪だ。


「まさか、まるで中身のない脅しだというのか?」


 天藍は呆れている。


「その通りだよ」


 実は、どこを探しても、アレなんてないのだ。

 僕はこの国の存続を左右する情報なんて持ち合わせがない。

 ただ僕は紅華を脅していて、彼女がこの国と引き換えに剣を渡したという体裁を作り出しただけだ。


「クヨウのときといい、詭弁が過ぎる。貴様、自分が何をしたかわかっているか?」


 わかっているさ。僕は王姫を脅したんだ。ようやく市警から追われなくても済むようになったというのに、これで大罪人に逆戻りだ。

 こんなの、異世界人でなければやろうとも思わなかっただろう。


「いったいなんのための茶番だ?」


 もちろん、理由なくこんなことをしたわけじゃない。


「大したことじゃないけど……君が、前に言っただろう。あいつは――」


 アリスの手前で、その名前は出せそうにない。黒曜大宰相のことだ。


「私兵を動かさず、大尉を見殺しにしたと――でも、それって別の見方ができるんじゃないかなって。ついでに、君の申し出を紅華が断ったのは、不自然だとは思わないか?」

「それは……」


 天藍も考え込む。

 面と向かって話した感じだと、黒曜が頭がよくて抜け目がない男だというのは確かだ。

 でも、それじゃ、式典のときのミスの説明がつかない。

 おまけに紅華は僕に許しをこい、そして涙を流した。彼女の真意を封じている誰かに、こちらの意図を掴ませるのは得策じゃないはずだ。

 それが誰にしろ、僕たちは竜を倒しに行くと思わせておくほうがいい。


「とにかく、目的の武器は手に入れた」


 適当に切り上げて、紅華から下賜かしされた魔剣を差し出す。

 天藍は剣を手にして、目を細めた。

 柄は黄金、銀の鞘には太陽の紋章が彫り込まれ、抜くとうっすらと輝きを放つ白刃が閃く。

 切れ味はよさそうだが、両刃の刃には、金色の不思議な縁取りがあった。

 モノとしては、僕の知識だと十字剣といったカタチに近い。

 柄が広くて、騎士らしい剣だ。

 鞘から抜き放ち、手の中でくるりと回す。


「……派手すぎる。本当に竜を相手にできるのか?」


 天藍の薄く剥いだ宝石のような爪が刃を軽く叩いた。


「仕方ない。宝物庫にある魔剣の類はとっくの昔に形を失っていて、取り出したヤツの魔力に影響されるって話だから」


 紅華に教えられた事柄をそのまま返した。

 何だかがっかりだ。

 中学二年生のあの日、受験勉強もそこそこに世界の魔剣・聖剣ガイドブックを読みふけったのは、今日この日、伝承でしか見たことがないものを手にするためではなかったらしい。


「名は?」

「うーん、それは長くなるから……あとでのお楽しみってことで」


 僕は肩をすくめた。

 天藍はしげしげと刃を見つめていた。

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