囚われの姫君

81 魔剣、その名は

「にゃぜこの戒厳令下かいげんれいかでうちの図書館に王姫殿下がいらっしゃるのですかにゃ!? しかもこのアリスが全然気づきませんでしたにゃにゃ!?」


 アリスが目を白黒させている。

 そして、ズバッ!と音が鳴りそうな勢いでこちらを振り向いた。


「まさか……先生、アリスに一服盛りましたかにゃ!?」


 僕は明後日あさっての方角を向き、彼女の非難する視線に耐えた。

 悪いとは思ったが、イブキに睡眠薬を飲ませるとき実はアリスにも一服盛っていた。彼女がいると、どうしても黒曜に話が筒抜けになってしまう。

 紅華の存在を知られてしまうのはまずい。


「今さら許しをこうとは都合のいい。望みは剣か?」


 紅華は溜息まじりだった。


「そうだ。彼の忠誠を買ってくれないかな、魔法の剣で」

「偽りの忠誠には高すぎる代償だな。それに天藍、お前が姉君ではなくわたくしに仕えるということに折り合いをつけられるとはとても思えない」


 折り合い、妥協だきょう……忠誠という言葉にしてはあまりにもドライ過ぎる言葉だ。

 でも確かに、もし天藍が少しでも大人になれていたら割り切れたんだろう。

 星条百合白せいじょうゆりしろを大切に思う気持ちをそっと心にめて、騎士団としてするべきことを果たしたに違いない。

 でも、現実はちがう。

 ……そう考えた僕の視界の中で、信じ難い現象が起きた。

 無言で紅華に歩み寄った天藍が、彼女の前に膝を着いたのだ。


「――王姫殿下、これまでの非礼を全て謝罪する。私事のために騎士団を占有せんゆうし、民を混乱させるに至ったのは全て俺の……俺だけの罪だ」


 僕は口を開けたまま固まった。


「今さら、とわたくしは言ったはずです」


 彼女の表情に一瞬で炎がつく。恐ろしい表情だ。


「罰は受ける。だがもし許されるのなら騎士団の仲間たちがとがめを受けぬよう慈悲を乞いたい。そしてどうか彼らが今一度、民の守護者たる使命をまっとうすることを許してくれないか」


 まるで、すべてがハッピーエンドでおしまいになる、生ぬるい童話のようだ。

 あれほど頑なだった騎士が紅華に自分の非を認めた。

 おまけに仲間のことを気遣うような発言をした。

 自己中心的で、クラスメイトでさえないがしろにすることで定評のあった天藍アオイが、だ。

 だがそれに対する紅華の答えはにべもない。拒否だ。


「君は何もわかっていない……騎士団が戻って来さえすれば全てが正常に戻るという段階では既にない。今回の事態は軍が収束させます。できなければ翡翠宮もろとも滅ぶだけです」


 天から槍が振ったとしても、今の彼女は動じなさそうだ。

 そして、僕には若干不自然な拒絶に見えた。

 確かに星条百合白への気持ちを断ち切れない限り、天藍が紅華に捧げるのは偽物の忠誠だ。だが騎士団が紅華のところに戻れば、これまでどっちつかずだった民の人気だって、多少は紅華へと向くようになる。それは悪いことではない。

 いったい、何故なんだろう。

 忠誠の中身が本物か偽物かなど、気にするようなタイプには見えないけど。


「どうしても、聞き入れられないのか?」


 僕が口を挟むと、紅華は燃えるように赤いのに冷たい瞳で「ダメだ」と言い捨てた。

 意図は不明だが、でもまあ、これで予定通りに戻ったと言える。


「わかった。……なら、僕ならどうかな? 僕に魔剣を一振りくれよ」


 天藍がはっとした顔で、こちらを振り返る。


「貴様……何を考えている?」

「紅華の騎士になるって言ったのさ。そんなにおかしなことかな? 実力は見せたはずだよ。竜を殺せるのは竜鱗騎士だけではないってことをね」


 僕たちのやり取りに、紅華は怪訝けげんそうに眉を潜める。

 両頬を軽く叩いて気合いを入れた。それから、今まで読み漁った適当な小説のあらすじをあっちこっちくっつけて、うん、これだ――。喋り出す。


「単純だよ。僕も人気者になりたいと思ってさ。こっちに来てから大変な目にってばかりだし、どうせだから権力とか、お金とか、地位とか……そういうのを手に入れたいと思ったんだ。正統な報酬としてね」


 言いながら、僕は溜息を吐きたくなった。

 こういう欲望は僕はあまり持ち合わせがない。

 僕はどっちかというと、転生した先でも可能な限りダラダラと生きていたいタイプの異世界転生者……いや、転移者なのだ。黒曜とは根本からちがう。


「そのために竜の脅威きょういから国民を守って不動の人気を得つつ、新しく創設される騎士団の団長になるっていうのはかなり魅力的なプランなんだよね。僕の成り上がりのためには。きっと、竜鱗学科からも一目置かれる存在になれると思うよ」


 僕は階段から降り、天藍の隣、紅華の前に片膝をついた。

 まったく、茶番だった。


「黒曜と手を組みながら、わたくしの騎士になると?」

「それはそれ、これはこれだ」


 紅華は僕を見下ろしている。

 大きな硝子玉がらすだまのような瞳はうつむくと紫の影になる。

 彼女の心の炎の勢いがおとろえて、一瞬、そこに、目の前に、ただの女の子がいるような気がする。華奢きゃしゃで、折れそうで、傷だらけで。少しせたかもしれないな。

 でもそれはただの見間違いで、彼女は僕を睨んでいるだけだった。

 それでも彼女に伝えたかった。

 金なんてほしくない。

 名誉も地位も何もいらない。

 ただリブラの仇をとりたいだけだと。

 そのかわりに邪悪に笑ってみせた。


「それとも、アレをバラされてもいいの?」

「……アレ?」


 桜色のちいさな貝みたいな爪が五枚ずつくっついた指が、小さくびくりと震える。

 その表情に苦い感情が走り、紅の瞳が輝きを取り戻す。

 気がついてくれたかな。


「君は困るはずだよ。翡翠女王国の今後に大きく関わることだからね。僕だけが知っている……」

「あなた、まさか……!」


 気がついた。やっぱり頭がいい。


「そう、そのまさかさ」


 しーっ、と、アリスにわからないように合図する。


「……わたくしを脅すというのか?」


 彼女は台詞を言いながら、考える仕種しぐさをしている。

 気づいている。僕の演技に。


「そうだね、そう取ってもらって構わないよ。あれをバラされたら、破滅するのは君だけじゃない。翡翠女王国全体を揺るがす大問題になるはずさ」

「……忠告はしておくぞ、その道を選べば、君は逃げられない」

「逃げるつもりはない」


 彼女の紅色の瞳を見上げながら、言う。


「……いいでしょう」


 彼女は鈴を手に取った。


「《響け》!」


 りん、と甲高い音が鳴る。


「天律の調べよ、つむげ扉の歌、みちびき給え宝の元へ」


 もう一度。

 次は、紅華を中心に、何かが《開く》のを感じる。

 あの裁判所地下の《扉》のようなもの。


「剣は君が選べ」


 紅華が僕の腕をぎゅっと握った。


「え?」


 そのまま、ぐいっと引っ張られる。

 僕の手は何ら抵抗の余地なく軽く持ち上げられ、引き込まれる。

 紅華の体、上半身の方へ。

 そのまま、ふわり、とした感触がてのひらに広がる。

 これは、彼女の着ているアリスのセーターの感触だ。


「んっ」


 小さく声を上げ、赤く染まる紅華の頬。

 警察沙汰、という四字熟語が頭に浮かぶ。


「そ……それはまずくない!?」


 だがすべてが勘違いだと、すぐに気づかされた。

 僕の手は、彼女の乳房の間にまっすぐ入った縦の亀裂きれつに滑りこむ。

 亀裂はしだいに広がり、肉や内臓ではなく虹色の無限の空間の断面が覗いていた。

 その亀裂の向こうには、広大な空間が広がっているのがわかった。

 彼女の天律が鍵で、紅華自身の肉体が扉になってるんだ。

 確かに……これは絶対に誰も中のものを盗み取ることのできない、女王だけの魔法の宝物庫だ。


「求めるものをげよ」


 と、苦し気な表情で紅華は言った。

 口調だけは僕を試すみたいに。


『ボクたちの求めるモノは、ボクたちの心に共鳴してくれる理解者だけさ』


 なんでオルドルがでてくるんだよ。

 でも、一理ある。

 僕が心から欲するのは、僕の憎悪に、怒りに、復讐心に応えてくれる、そんな剣だ。

 そのとき、指先に触れる硬いものの感触があった。

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