10 どんな気持ちで

 僕が天藍について行くのを、リブラは止めなかった。

 まあ、あっちは肋骨が二本も折れているので、止めようと思っても止めれないと思うけど。


「俺と組まないか?」


 天藍がそう言ったとき、僕は間髪入れず「頭でも打ったの?」と返した。

 光に等しい速度で天藍の指がひらめき、僕の両頬を片手でぎゅっと掴んでくる。

 僕の表情筋は当然、唇を突き出したようなヘン顔で固定される。

 にしても、すごい力だ。

 あと少し指先に力を入れれば、僕の下顎部はひねり潰されてしまうだろう。

 竜鱗の力は、移植者に恒常的に働く。

 怪我を自然に癒したり、怪力になったり……という効果は、ごく普通のものなのだ。


「何か言っていたようだが、すまない。うまく聞こえなかった。あごの骨を折ってくださいと聞こえたような気がしたんだが……」

「ごぶぇんばばい(ごめんなさい……)」


 天藍は手を離してくれた。

 両頬がジンジンとうずき、ヘンな感触がする。


「欲しいのは紅華とのパイプだ……あの女はリブラ以外に側近を置かない。姫殿下をお守りするためには、どんな情報でも欲しい」


 ははあ、なるほどだ。

 突然「組む」なんて、何を言い出すのかと思ったが……要するに、欲しいのは情報なんだ。

 姫殿下というのは、まあまず間違いなく百合白のことだろう。


「でもさ、百合白を守るために、妹である紅華の情報が必要……というのは少しおかしな話じゃない?」

「藍銅から来たばかりで、翡翠女王国の内政にうといのはしかたない。だが、これだけは言っておく。紅華は即位が決まっていた姫殿下から王位継承権を奪った女だ」


 おっと、初耳の情報だ。


「翡翠女王国は長子相続だ。典範てんぱんにしたがえば百合白姫が女王となり、紅華が天律魔法を放棄し市井しせいに下るのが普通なんだ。それをひっくり返したのが紅華だ」


 昼食会の空気がなんだか悪かった理由が、ちょっとだけ掴めた気がする。

 あそこにいた人たちは、紅華を尊敬していない……次期女王のように扱っていなかった。

 むしろ、お姫様のように扱われていたのは百合白のほう。

 つまり、どうしてかは知らないが紅華は王位継承権の順番を追い抜き、そのことに納得していない天藍みたいな人たちが、あの会場にはたくさんいたのだろう。


 でもそれって、僕に関係のある話なのかなあ……。


 僕が本当に外国から招かれた魔法学院の教師で……もしくは、僕に、突然開花したチート魔法の才能を使い世界の覇権をこの手に! ……みたいな野望があれば、話は別なのかもしれないけど。

 言っちゃなんだが、毎日を生き抜くのに必死で、そのへんのことはあまり考えていなかった。

 ふいに天藍は会話を切り上げて扉の向こうをにらみつけた。

 次の瞬間、扉が両側に開け放たれ、びゅう、と雨粒と風が吹き込んでくる。


「勝手な話を吹き込んでもらっては困るな……」


 夜の闇の中に、伴も連れずにひとり、赤い女王が立っていた。


紅華べにか……」と天藍が驚いて口走る。


「無礼者! 王姫殿下と呼べ!」


 彼女の声がホールの空気をむちのごとく鋭く打ち、響く。

 反射的に天藍は頭を垂れ、片足をついてひざまずく。


「姉君が王位継承権を放棄することになったのは、国主としての責任を果たされたから……それ以外の何ものでもない。そして貴様をこの場で斬りてないのは、貴重な白鱗の竜騎士だからだ。わたくしの気がかわらぬうちに去るがいい!」


 天藍は一礼すると、言われたとおりにリブラの屋敷を出ていった。

 その横顔には、はっきりと怒りの表情がみえていた。

 決闘の最中でさえ、ろくに顔色を変えなかった騎士が、だ。


 どうやら、こいつらの関係は、思ってるよりずっと複雑みたいだ……。


「寒いな」


 天藍が行ってしまうと、紅華はむきだしの肩を両手で抱いて、少し震えた。

 ここまで傘もささずにやってきたのか髪は雨でぬれ、赤いドレスはしみこんだ水分で、色がかわっている。


「えっと、着るもの……」

「いい。自分でやる」


 僕がおたおたしている間に、紅華は屋敷の奥に入って行って、大判のタオルと着替えを持って戻ってきた。慣れてるみたいだ。

 そして突然、首のうしろのリボンをほどき、濡れそぼったドレスを脱ぎはじめた。

 当然のように下着をつけていない、むきだしの背中が眼前に広がり、僕は悲鳴を上げて後ろを向き、頭を抱えてうずくまった。


「どこかよそでやれよ!!」

「部屋を汚したら悪いだろう。あと、君の世界では、これくらいの年齢の少女は性交渉の対象外ときいたが?」

「それは確かにそうだけど、そういう問題じゃない!」

「あまりうるさくするな、リブラが起きてしまう」


 どうやら、リブラのものらしい大き過ぎるシャツに|袖《そでを通し、さっさと階段のほうに行ってしまう。


 これじゃあ立場が逆だ……。


 紅華の後を追いかけた。



「あのさ、いろいろ聞きたいことがあるんだけど。青海文書のこととか決闘のこととか!」


 彼女は僕のことなんか、完全無視。

 さっさとリブラの部屋に行き、その寝顔をのぞき込む。


「寝てるな……」


 オレンジ色の明かりのランプを消し、彼の肩に毛布をかけてから、紅華は隣の部屋に入っていった。

 そこは寝室のようだ。

 紅華は寝台のまわりや、棚を探っている。

 なにを探しているのかわからないが、寝台のそばで手を止めた。

 並べられた写真をひとつをじっとみつめたあと、伏せて違う場所に行く。

 僕はその写真立てを手に取ってみた。

 そこには二人の人物が写っていた。

 ひとりはリブラだ。今よりも若い。

 そして、隣で頭に花冠を乗せ、笑っている少女――紅華。

 でも、今よりずっと幼い。


 これって……?


 ふりむくと、あの赤い瞳が、こちらをじっとみていた。


「それは、私の写真だ。その隣には、リブラの両親が写っている。私は幼い頃、彼ら一家を家族同然にして育ったのだ」


 指で示された写真には、眼鏡をかけた優しげな男性と、リブラによく似た笑顔の女性が写っている。


「天藍が言っていただろう。翡翠女王国は長子相続だと」

「ああ……そういえば」

「次女であった私は、いらぬ政治の混乱を避けるため彼らに預けられた。私とリブラはここよりもずっと遠い田舎の屋敷で暮らしていたんだ」


 鋭すぎて見たものに緊張を抱かせる彼女の表情が、遠い過去を思ってか少しだけ和らぐ。


「その当時は、自分がまた王宮に戻るとは思ってもいなかった」


 医者になるため勉強を続けていたリブラに影響されて、看護婦の資格を取ろうとしたことさえあるらしい。

 そういう過去を語る紅華は、ほんとうにただの少女のようだった。


「先代翡翠女王が病で亡くなり、全てが変わってしまった……。リブラの両親は陛下の後を追って毒を飲んだ」


 僕は思わず息をのんだ。

 家臣の後追い自殺……つまり、殉死だ。

 そんな、時代錯誤な……といいたいところだけれど、日本でも、昭和天皇崩御のさいに殉死者がでてる。

 翡翠女王国には女王が存在する。

 もしかしたら、ここでは当然のことなのかもしれない。

 でも、淡々と語られた言葉は重すぎた。

 紅華の表情にも、陰がさす。

 ふたりが亡くなったあと、リブラは父親のかわりとして侍医団に招へいされた。

 それから王宮にもどるまで、紅華は頼れる者もいない田舎でひとりきりで過ごし、リブラはリブラで、後ろ盾のない王宮でただひたすら医療魔術の腕をみがき続けた。

 紅華も、リブラも、ひとりぼっちだったんだ。


《人を傷つけることも、傷つけられた痛みも、死ぬかもしれないという恐怖も、こんなひどいものだとは知らなかった》


 あの言葉を口にしたとき、リブラは、どんな気持ちだったんだろう……。


 気まずい思いをしている僕を横目に、四つん這いになって寝台の下をごそごそとやっていた紅華は「あった!」と無邪気な声を上げて、シーツの塊を引きずりだしていた。

 布のかたまりを広げると、中は鮮血で染まっていた。

 その中心には、輝くものが包まれている。

 鋭利なひし形をした、乳白色の刃。

 それは、天藍が竜鱗魔術とやらで創りだし、リブラの体に突き刺さったものだった。


「ふふ……流石はリブラだ。わたくしの命令をちゃんと果たしていたわね」

「もし……」


 もしかして、それを手に入れるために《決闘》なんてことをやらかしたのか?


 続く言葉は、音にはならなかった。


「ごふっ」


 僕の唇から、赤いものがこぼれる。

 血だ。

 なんてタイミングだ。

 でも、前のように大量ではない。

 痛みは一瞬で、あまり感じなかった。

 人間の許容限界を超えたのかもしれない。

 僕は両腕で自分の腹部あたりをかき抱いたが、その腕は宙を掻いた。

 姿勢を保っていられず、視界が回転する。


 視界の中で、紅華は赤い瞳を真ん丸にして、驚いていた。


 ということは、これは、誰かがやろうとしてやっていることじゃないんだ。


 僕の視界が床にたたきつけられる。


 じゃあ、いったい誰が……?


「ツバキっ!!」


 紅華は叫ぶ。

 必死にみえる。


 不思議だな。

 こいつは、僕のことを殺そうとしてたんじゃなかったのか……?


 彼女は走りよると、僕の心臓を強く押す。

 骨がきしんで、痛い。

 正直、やめてほしい。


 あれ?


 もしかして、これ、もしかしなくても心臓マッサージのつもりかな。


 そんなにやばいことになってるのかな?


 紅華は僕の後頭部に手を差し入れ、顎を上げさせた。

 真剣な表情に、別の感情がまじる。

 ちょっと躊躇ちゅうちょしたみたいだ。

 そして意を決めたように唇を重ねてきた。

 柔らかくて、熱い。

 人生ではじめてのキス。


 これって、けっこう美味しいシチュエーション……?


 いやいや、年下の女の子相手に何をいってるんだ僕は。


 これはただの人口呼……。


 残念ながら、意識のほうが、続かなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る