9 竜鱗
後宮の庭からどんなふうに帰ってきたのか、あまり覚えてない。
そして、リブラがさらに最低限の治療を行い、ほうほうの体で屋敷まで逃げ帰ってきたというわけだ。
当然ながら、リブラは重傷だった。
僕の傷は全てその場で治してくれたのだが、自分自身については命に関わる怪我だけ手当をしたのみで
魔力を使いすぎると、たとえ魔法を使って怪我だけ治癒させても、その後の経過に影響するらしい。だから体力がもどるまで、まる一晩、固定しただけで待つのだそうだ。
自分で自分に鎮痛剤を注射する医者というのは、見ていて痛々しいものがあった。
「なんであんな無茶したわけ……?」
自室の、背もたれの大きな椅子の上で毛布に丸まりながら、彼は苦し気に返事をする。
「今は眠らせてください……」
僕は彼のかわりに診療道具を鞄に片付ける。
注射器と鎮痛剤の残りを、そばの机に置いた。
「……何か飲み物でもとってくるよ」
リブラは苦しげに目をとじたまま、うなずいた。
部屋を出る直前、リブラの声が追ってきた。
「ごめんなさい」
かすかな声だ。
寝言かと疑ったが、違った。
「……私の父親は先代女王陛下の侍医長で、母親は子爵家の出身でした。爵位こそないものの、子ども時代は恵まれていて喧嘩すらしたことがない」
「……で?」
「人を傷つけることも、傷つけられた痛みも、死ぬかもしれないという恐怖も、こんなひどいものだとは知らなかった」
それが僕への謝罪なのだと気がつき、怒りが湧いてきた。
「謝るのがヘタクソだな、あんた」
リブラはなにも言わなかった。
他人を苦しめたことをたったのひと言で済ませるなんて、物を知らないにもほどがある。
僕はひとりで暗い廊下に出た。
このままもう一度逃げ出してやろうかと思ったが、そうもいかない。
未だに呪いは続いているし、《青海文書》とやらについても聞きたいことがある。
一階の、北側の一角にキッチンらしき部屋を見つけた。
リブラの屋敷は広く、三階建てで、使われていない部屋が無数にある。
明かりがないか探り、ランプをつけた。
不思議な明かりだ。
火ではなく、中に固定された鉱石が輝いている。
「あ……」
暗闇の中に光が、キッチンのようすを浮かび上がらせる。
僕はその光景を前にしばらくの間、固まってしまった。
表のほうから来訪を知らせるベルが鳴った。
無視してもいいくらいだが、急病人だと困る……。
僕のせいでこの世のどこかで死人がでるのはごめんだ。
念のため、モップで武装して玄関に向かった。
「はいはーい! 今行きますよー…………っと」
扉を開けた先に見えた顔をみて、僕はしばらく思考放棄した。
*
「て……
「何だその顔は」
フードの下に、鋭すぎる灰色の瞳がこちらをみていた。
鎧やマントはつけていないが、あの真っ白な髪や、嫌味に整った
とっさに扉を閉めたが、つま足を突っ込まれて防がれる。
僕は迷いなく、足を分断するつもりで扉を押し込んだ。
「いい度胸だ……」
「何でここに!?」
「それはこっちの台詞でもある。あの医者ともども生きてたのか」
「それは回避できたんだよ。……奇跡的にだけど。まさか、トドメでも刺しにきたんじゃないだろうな」
「それこそ
突き出したモップの柄は簡単に掴まれて引き寄せられ、真ん中から叩き折られてしまう。
ゴミと化したモップを放り棄てて、天藍はズカズカと入ってくる。
長外套を脱いで、壁のフックにかける。
気がつかなかったけれど、雨がふりだしたようだ。
「診察って……? お前、患者なの?」
「このあたりで医者はあいつしかいないんだ。腕のいい医者はな」
「リブラは今、眠ってるし、ケガの具合もよくないんだから今日は帰れよ」
「いえ、いいんですよ。もともと、今日が予約の日だったんです」
振り向くと、杖をつき、青い顔をしたリブラが立っていた。
*
「《
天秤の杖を肩に立てかけて置き、右手を、上着を脱いだ天藍の上体にかざす。
呪文と共に銀色の光が背中を上下に移動する。
白くて、しみひとつない背中だ。おまけに筋肉がついていて、ひょろ長い自分の体とは
しかし、その背中にはひとつ……いや、五つだけ、普通の人間とは違うものがある。
「それ……何?」
気になって
「彼は竜鱗騎士ですから……」
天藍の背中には、五つの
掌ほどの大きさで、
「竜鱗って、ほんとに竜の鱗なんだな……」
「そうですよ。この鱗は私の両親が移植したものです」とリブラ。「竜は高い自己再生機能があることで知られています。ですから、本体から
竜は、人ではありえないほどの強大な魔力を操り、巨大な体で人や街をなぎ倒し破壊する魔法生物だ。
これを倒すために、騎士たちは鱗を自分の体に移植して治癒力を高め、人には無い膨大な魔力を生成する機関や強靭な肉体、爪や牙を体内に作らせるのだそうだ。
それを《竜化》という。
そうして完成するのが《竜鱗魔術》、王宮の庭で、リブラと闘ってみせた魔法の正体だ。
ただし、竜鱗を体内に埋め込む必要がある以上、そこには危険がつきまとう。
中には完全に鱗にとりこまれ、竜でも人でもない竜人となってしまったり、脳まで浸食されて自我を失ったり、拒否反応を起こして細胞が壊死してしまったりすることもある。
だから、移植手術を受けるには適合率が高くなくてはいけない。
だがその枚数も、ほとんどが一枚から二枚、といったところだ。
鱗の枚数が多ければ多いほど、様々な部位を竜化させることができ、強くなるが、複数枚の移植を受けるには才能が必要なのだ。
仮に適合して手術を受けても、たいていは免疫を抑制する薬を飲み続けなければならず、術後は定期的に医師の診断を受けることになるのだった。
「幸い、天藍君の竜化は頭髪や肌、瞳の色素に浸蝕がみられるものの、安定しています。これなら、もう一枚、移植手術を受けても大丈夫かもしれませんね」
診察が終わると、リブラに指示されて金庫から薬瓶を取り出した。
美しい緑色のガラス瓶に入れられた飲み薬だ。
天藍の体質に合わせて調合された魔法薬だそうだ。
「毎朝毎夜、食後に服用してください。次の診察はひと月後です。深夜になってもかまいません。忘れないように」
リブラは真剣な顔で、カルテに診察記録を記入している。
「あんた……ホントのホントに医者だったんだな……」
決闘で、あれだけボコボコにされていて、まだ骨もくっついていないというのに、夜間訪れた患者の診察に当たる。しかも患者は決闘の相手。どうかしてる。
「日長……とかいったか。少しいいか? 話がある」
服を着込み、天藍が僕を呼んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます