85
剣にはめこまれた宝石が、きらりと輝いた気がした。
「――っ!?」
息が詰まり、全身から力が抜ける。
僕は地面に膝を突いていた。
その感覚を何と表現したらいいのかわからない。
強いて言葉にするなら、体温を無理やり吸い上げられた感じ……。生気を吸われた、とでもいうのだろうか。とにかく自分の意志に関係なく、体の一番奥にある何かが強奪されていくのを感じた。
次の瞬間、剣の金色が消え、刃に光輝く文字の列が浮かんだ。
女王国の言葉でもない文字だ。
そして金の剣は一瞬で銀に変化した。
刃も、柄も。
手もとの覆いも、全てが等しく白金へと組み替えられていく。太陽が沈み夜が訪れるように。朱色の石は深い藍に
不思議な感覚だ。剣にまるで意志があるみたいだ。
その剣に何ができるのか、長年来の親友どうしみたいに僕はよくわかるんだ。
「……天藍、剣から手を離せ!」
天藍は戸惑いながらも、すぐさま柄から手を離した。
玻璃の鎖を斬れ、フラガラッハ。
命じると、落下するフラガラッハがひとりでに回転し、天藍の体に巻き付いた鎖を断ち切っていく。
魔法の鎖ははじけ、砕けて消えた。
体を一回りした剣は、再び彼の掌に柄を差し出した。
天藍は剣を取り、すぐさま体に牙を食い込ませている竜を振り払い、剣を振るい串刺しにする。
切っ先が
あまりにも凄まじい切れ味で、彼はひとりで踊っているかのようだった。飛竜たちは誘いこまれるかのように、その周囲でみずから断面を
伝説の通りだ。
応答者、復讐者、アンサラー、リタリエイター、斬返しの剣……訳が多すぎて、名を聞かれたときに応えるのが面倒だった剣。
名を、フラガラッハ。
ケルト神話に登場するダーナ神族、太陽神ルーの剣だ。
ルーっていうのは女神ダヌの子で、あの超有名な英雄クーフーリンの父親。
それが僕が選んだ剣だ。
『……ま、ホンモノかどうかの保障はナイけど、あれは魔法の力でモノどうしの繋がりを切り離すんだ。キミの魔力を吸ってね……』
持っていかれた体温のようなものが魔力とかいうもののことだろうか。
天藍は飛竜を軽くあしらい、こっちに全力疾走。
僕を抱え、直上方向に飛翔していく。
気がつくと、眼下は
竜の
玻璃家の屋敷も壁の崩落が始まり、さっきの原因不明な崩壊を逃れた部分までもが足元から崩れていった。
どこかから火の手が上がり、街が激しく燃えて行く。
見事に、殺人の証拠は死体ごと消えてしまった。
玻璃家の屋敷で見つけた、女中の死体。それから……蛇の杖。
竜がこちらに向かって来たのは偶然なんかには思えない。マリヤはこれを最初から見越していたのではないか。
そのためには、陸軍を動かして竜をこちらに追い込む必要がある。黒曜を操って……。
わからないことは山のようにある。
彼女がどうしてこんなことをしたのか、とか、どこまでが彼女の意志なのか?
いったい、なんのために?
僕には理解できない。
まったくできない。
マリヤにはこんなことをしでかす理由がないのに。
でも、僕の中の残酷ななにかが「理由なんて必要あるのか?」と
オルドルじゃない。
信じられないことに、それは僕自身だった。
*
そうだね、とオルドルは答えた。
決して、ツバキには伝わらないひそやかな声で。
何故、彼が復讐を願うのか。
それは今となってはオルドルにしかわからないことだ。
かわいそうなツバキ。
アイリーンは彼のことをそう呼んだ。
哀れで惨めな少年だと。
その本当の意味もまた、オルドルだけが知っていた。
オルドルはずっと、彼のことを見ていた。
他のどんな者よりも、ツバキのそばにいたのだから。
彼がかわいそうな死を迎えようとしているときも。
翡翠女王国に来たときも。
あれは決闘の日の夜。
リブラとかいう医師が傷を負い休んでるとき……ツバキがどこにいて何をしていたのか。
彼は飲み物を探して、台所に向かった。
明かりを探し出して……思い返せば、それがいけなかった。
台所は汚れきっていて、混乱の極地にあった。
出しっぱなしの食器、中途半端に使われた食材、焦がした鍋や調理器具。
あの凄まじく不出来な料理、緑色のオムレツを作ったのが誰か。
それがあの、いかにも世間知らずそうな貴族の生まれの青年医師だということは、すぐに、誰にでも想像がつくだろう。
台所に入ったツバキは、間もなく開かれたままの一冊のノートをみつける。
そのページを何気なく繰り……いつもなら、何気なく閉じてそれきり忘れてしまうだろうに、食い入るように見つめていた。
その一瞬、すべてが決まった。
ヒナガツバキが復讐を願ったのも、ウファーリと友だちになったのも、イブキを救ったことも、無意識のうちに天藍アオイを守護しているのも、全ての理由がそこに集約される。
だから、これから先に起きるすべてはその一瞬のためだけに存在する。
たとえ何が起きても。
それが目を覆いたくなるような邪悪でも、惨事でも、避けることはできない。物語の終わりが決まっているみたいに。
『かわいそうなツバキ……キミは自分が何者なのか、本当に気づいていないのかな? キミは紅華が扉を開いたときに、去るべきだったんだ。それが最良であり、最善の結末だったのにネ』
オルドルの声は、誰にも届かない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます