20 光輝の魔女

「改めまして、アリスはアリス=アネモニですにゃ! 研究員をやってますにゃ~」


 アリスは片手をあげ、ぴょんぴょんと飛び上りながら自己紹介をした。

 わあ、すごい。あざとい。

 食事が終わり、アリスはテーブルの上にいろいろな本を運んできた。

 彼女は女王府からの依頼を受け、僕に語学を教えることになっていたのだと説明した。

 なんという偶然だろう……。

 そういえば、昼間来た時に紅華べにかが『何か忘れていた』とかなんとか言っていた。

 これだ。このイベントを回収し忘れてたんだ。

 用意された本はどれも語学学習に関するものだということはわかる。

 読めないものの、レイアウトや形式が参考書の類にそっくりだ。

 印刷技術の程度が同じなら、人間の考えることとやることは異世界でも同じらしい。

 だが、僕は冷や汗をかいていた。


 女王府といっても、紅華の指図さしずじゃないのかな……?


 それらのテキストは藍銅共和国とやらの言語をベースにしているため、何が書かれているのかはやっぱりサッパリわからないのだった。

 ページをめくると首の短いアヒルみたいな鳥――ただし、頭は二つある――の下に、ミミズののたくったような文字と読みやすいアルファベットに似た文字が二つ並んでいて、異世界感を底上げしている。

 ミミズっぽいのが藍銅共和国の文字だろう。

 なぜ僕の出身国という設定に言語ひとつとっても難易度が高すぎなものを選んだのだ、紅華。

 しかもだ。そもそも僕はこの鳥そのものを知らない。

 教科書の一ページ目に載るくらいだからアヒルやカラスくらいにはポピュラーな鳥類に違いないし、知らないとなったら一般常識を疑われるだろう。

 ほんとうに困った。

 そんな心中を知らずに、アリスは僕と無事に……ではないが会えたことを喜んでいるみたいだった。


「お会いできましてほっとしましたにゃん! これもアイリーン様のお導きですにゃん」

「助けてくれてどうもありがとう。で、さっきから小耳に挟んでる頻出単語、アイリーン様ってなんなの?」


 食事中、ずっと気になってしかたなかったのだ。

 アリスはピンと指をたてて説明してくれた。


「ずばり聖アイリーン様ですにゃん。さかのぼること三百年前、第三代翡翠女王と共に国土を侵略してきた竜と戦った女英雄ですにゃ~」


 彼女の説明によると、アイリーンは《光り輝く女》《聖なる導き手》《光輝の魔女》などとよばれる、すぐれた魔術の使い手……まあ、要するに魔女で、竜の軍勢と戦い退けた功労者なのだという。

 ただ、あんまり古い人物なので、彼女がどういう魔法を使うのかは記録が残っていないらしい。翡翠女王国の有事の際にはアイリーンが光をまとった女の姿で現れ、女王を守護するといわれている……とかなんとか。


「先生を路地でみつけたとき、そばに輝くお姿をしっかりと見ましたにゃ!」


 皿を洗いながら、警備員の青年がふりかえり苦笑を浮かべた。


「先生、信じなくていいですよ。アリスさんはときどきおかしなことを言い出すんですから。聖アイリーンなんて子どもや頭のいかれた連中はともかく誰も信じていませんよ」

「うわ! こいつ、失礼ですにゃ~! さっきのはものの例えであって、アリスだって現実と非現実の境界はちゃんとしてますにゃ~!」


 反応をみるに、アイリーンというのは、そういう伝説の存在らしかった。

 だが、僕は笑うに笑えない。

 光に包まれた女性……。


「あながち、見間違いじゃないかもしれない」


 僕は寝室にもどり《杖》をとってきた。


「あのさ、これを見てもらえないかな。もともとは《本》だったんだけど……」


 二人は揃って首を傾げた。

 仲のいいやつらだ。

 でも、仕方ない。どうみても杖だ。僕の目にもそうみえる。

 あるいは派手でケバケバしい金塊がいいところ。


「これを手にしてから、そのアイリーンって女性の姿を夢に見るんだ」


 それもやけにリアルな夢だ。

 僕の額を優しく撫でるその手の感触まで思い出せる。


「ほうほう、ですにゃ。元の形に戻せますかにゃ?」

「正直にいうと、どうすればいいのかわからない」

「とりあえず、杖を持ってみてくださいにゃ」


 僕はアリスに促されるまま、杖を手にする。


「魔法のアイテムは持ち主の命令をききますにゃ。本に戻れと念じてみてくださいにゃ~」

「う、うん……」


 少し恥ずかしい。

 ちょっとだけどきどきしながら、念じる。


 戻れ。

 戻れ……。


 杖はびくともしない。


「ダメみたいだ……」

「ふむふむ、ですにゃ。先生、何かきっかけになりそうな呪文……合言葉のようなものをご存じじゃありませんかですにゃ?」

「ええと……昔々、ここは、偉大な魔法の国」


 何も起こらない。


「ほかにも条件があるはずですにゃ」

「そういえば、本から不気味な声が聞こえてた」

「では、耳を傾けてみてくださいにゃ」


 僕は、念じながら、杖に意識を集中させる。


「声は聞こえますかにゃ……?」


 戻れ。

 本のすがたにもどれ、青海文書。


 ぞわり、と背筋が粟立つ。

 杖から、杖のそのもっと奥深くから、何重にも重なった声が聞こえる。


 くすくす……と笑ってる。


「《昔々》」と、僕は言ったが、僕が言ったのかどうか、判別がつかない。


 この声をきくと、熱に浮かされるように頭の芯のほうがぼうっとする。

 現実が急激に遠ざかっていくのを感じる。


 くすくす、


 くすくす、

 クスクスクス……。


「《ここは、偉大な魔法の国》」


 目の前で、杖についた鎖がはじけた。

 金の林檎が砕かれ、輝き、一冊の本、そして青海文書に別れて机の上にどさりと落ちる。


 やった。

 やった、けど、これは僕の意志だろうか?


「失礼しますにゃ」


 アリスは図書館の研究員らしく真剣な顔つきで青海文書を手にとり、確かめ、最初の数ページをめくって、ただでさえ大きなその瞳を見開いた。

 彼女は、その内容を教えてくれた。


「アイリーンという名前の少女が魔法の世界を冒険する物語、と書かれていますにゃ……」

「そのアイリーンって、もしかして」

「まだ、わかりませんにゃ。そうにゃとしても、警備員さんの言う通り、伝説の存在ですにゃ」


 女王とともに竜を倒した伝説の魔女……。

 魔法の物語の主人公には相応しいかもしれない。


「これ以上のことは、もっと詳しく内容を読んでみにゃいことにはにゃんとも言えませんにゃ」

「ありがとう……すごいよ、アリスさん。じゅうぶんだ」


 ホントに欠片みたいなことだけど、このほんの短い時間にわかったことは、いままで思いもつかなかったことだ。

 杖を青海文書へと戻す方法、アイリーンのこと。

 きっと、彼女からはもっと引き出せることがたくさんある。


「僕は……ええと、複雑怪奇な事情があって、この本のことをもっと知らなくちゃいけないんだ。アリスさん、できれば協力してもらいたいんだけど……」

「先生の希望であれば、何でもござれですにゃ!」


 少女は、なぜか頭頂部に生えた三角の耳を押さえて気恥ずかしそうにもじもじしていた。


 いいな、いい感じだ。


 僕は、決めた。

 女王府からの依頼だかなんだか知らないけど、ちょうどいい。

 アリスに協力してもらい、青海文書だって、なんだって、使えるものはなんでも使おう。


 屋敷を出たときには、心は決まってた。


 僕は、許さない。

 リブラを殺した奴に復讐をするんだから……。

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