21 楽しい学校生活

 図書館に泊まった翌日、さっそく魔法学院を訪ねた。

 ほんとは先生だから、出勤なんだけど……そういう気はあんまりしない。


 天を突くほど高い正門の内側に、高級そうな車が滑りこんでくるのが見えた。

 女王府立魔法学院の生徒たちの大半は金持ちや貴族や有名人が珍しくもないはずだが、それを見守る彼らの視線はやけに熱を帯びていた。

 ドアを開けて颯爽さっそうとおりてきたのは白い髪をなびかせた貴公子、天藍アオイだ。

 ただ地面に立っただけで女子学生から黄色い悲鳴があがる。

 天藍はそちらの方角を一瞥もしないで反対側にまわって、うやうやしく扉をあけた。

 中からまず、ローファーをはいた白くて可憐かれんな足がするりと滑り降り、まるで重力を感じさせないしぐさで床をふんだ。

 赤いチェックのミニスカート、胸元を飾るリボンが現れ、騎士の主たる翡翠女王国の、正真正銘のプリンセス、星条百合白が降り立った。

 太陽の下できらめいている髪の純白と、薄桃色の瞳の対比が可憐すぎる。

 彼女は人気者なのだ。

 遠巻きに好奇心や敬愛や好意の視線を投げかけてくる学生たちに手を振って応えている。

 まさに学園のアイドル、といった表現が相応ふさわしい。

 僕もそこに行って、彼女の優しげな視線をひとり占めにしたいところだ。

 しかし、それはできない相談だ。

 進行方向に向き直る。

 見えるのは、ここは普通科教室、ここは特別教室、実験室……などと案内しながら先導するカガチの無骨ぶこつすぎる後ろ姿だった。

 しかも案内してくれるのはいいのだが、昔、本物の軍人で、竜鱗騎士でもあったカガチは体格がよすぎて前に立たれると何もかもがあまりよく見えない。

 なんとなく、彼が案内人であることは予想できていたのだが、もっとかわいい子がよかったなとか思わなくもない。


「昨日は大変なことになってしまい、申し訳ありませんでした、マスター・ヒナガ。挨拶はまた後日改めて行いましょう」


 しかし、そう丁寧に頭をさげられると、日本人としては何も言えなくなってしまうのだ。

 彼は立派な大人であり、その大人である彼が、僕みたいなクソガキに丁寧な言葉でしゃべり、礼をつくしているのだから。


「あちらの廊下を進むと中庭に出ます。その向かいの食堂は、職員ならば飲食自由です」


 校舎は日本人の常識からいくと、まったく学校っていう感じがしない。


 彫刻のほどこされた教室の扉はひとつひとつが異世界に通じていそうだし、壁にかけられた肖像画は動き出しそうだし、貴族の大邸宅を歩いているようだ。

 カガチと僕は東側の奥まった教室の前に立った。


「ここが日長先生の教室になります」


 魔法学院は学生のクラスに教師が授業をしにいくのではなく、教師ひとりひとりが教室を持ち、授業時間になると学生が集まってくる形式をしているようだ。

 カガチはどちらかというと学外での実習が多く、普段は学院内にいないことのほうが多いらしい。


「昨日、あんな事件があったのに、学院は静かみたいだね」


 天藍の魔術でめちゃくちゃになった中庭もすっかり元通りだし、なにより警察などの捜査機関が入っているようすがなかった。

 中庭がめちゃくちゃになったのはウファーリとかいう女子学生のせいだが、リブラが殺されたのは、事件だ。

 純粋な疑問だったが、カガチは渋い表情になった。


灰簾かいれん理事の指示で、騒動そのものは警察には届け出ていません。魔法学院は特別な場所です。学生の保護が何事にも勝る場所であり、理事や学院長の権限で、司法機関は許可なく立ち入ることができません」


 日本でも、大学なんかは警察嫌いだってきくし、そういうものだろうか。

 何より灰簾理事は紅華べにかを嫌ってる。

 紅華の腹心であるリブラが死んだとしても、それよりも魔法学院の体面を守るのが先決というわけだ。


「つまり、誰も犯人探しなどしないってこと……? ひどい話だ」

「失礼ながら、ヒナガ先生とリブラ殿の関係は?」


 関係ってほどのものはないけれど。


「うーん……腐れ縁、というか、あっちが僕の後見人、みたいな……?」


 よくわからない。たぶん、そういうことなんじゃないかと思ったけど。

 黙って出てきてしまったし……。


「差し出がましいことですが」とカガチが言った。「実は、事件の関係者を教室に呼び出しております」


 素直に驚いた。

 教室の中で待っていたのは、魔法学科の生徒だった。

 頭のうしろでひとつにくくった薄い紫色の髪を覚えてる。

 真珠しんじゅイブキ。

 昨日の騒動のあと、疑われ、逃げ出し、捕まった少女。今は謹慎中のはずだ。

 彼女は僕をみてビクリと肩を震わせた。


「わ……私ではありません……」


 いきなり弁解が聞こえてくる。

 ゆるやかにすりばち状になっている薄暗い教室。

 教壇が前方にあり、生徒の座る机が三列並んでいる。


「信じてください……私じゃない」

「竜鱗をヒナガ先生にお見せしなさい」


 彼女はブルーのネクタイを外してシャツの前を開けた。

 鎖骨さこつのあたりに、三枚の銀色の竜鱗が輝いていた。

 それは、見た目だけはリブラの心臓を貫いたものと同じだ。


「彼女に移植された竜鱗は銀麗竜と呼ばれる、五年前、雄黄市を壊滅かいめつに追いやった長老級の竜の鱗です。適合率が低く三枚と数は少ないものの、竜鱗魔術師だということに間違いありません」


 カガチが言う。

 僕は傾斜を降りていって、彼女の前に立った。


「だ、そうだけど」


「違います」と彼女はきっぱりと言った。その瞳には強い力がある。「それに、黙って卒業すれば軍の要職につけるのに、将来の成功を棒にふって問題を起こすなど自分には理解不能にすぎます」


 それはちょっと理解できる。


「なんていうか……こっちにも君みたいに庶民的な考え方をする人もいるんだね」

「合理的だと言ってください」


 気丈にふるまっているが、その表情には焦りが浮かんでいる。

 どうしたものか……と思っていると、教室の扉があいた。

 入ってきたのは天藍だ。

 ちょうどいいタイミングだった。

 彼には聞かなくてはいけないことがある。


「天藍、彼女の一番近くにいたのは君だけど、どう思う。彼女に君やマスター・カガチを出し抜ける実力があるのか?」


 細かい事情ははぶいたが、天藍はそれが何のことかすぐに理解したらしかった。


「イブキはウファーリが飛ばした障害物を取り除くことに集中していて、リブラに向けた竜鱗魔術を使ったようには見えなかった。ましてやカガチ先生の目はごまかせないだろう」


 だ、そうだ。

 王宮でのときも思ったが、彼はいつも冷静で、洞察力もある。

 百合白さんのこと以外は。


「しかも、射線上には僕とマスター・カガチがいた。天藍が結晶を直線の軌道で撃ちだすのはみたけど、今回は不可能ではないかなーって、思うんだけど……」


 魔法のことには自信がない。


「つきあいはそれなりに長いが、そういった問題を打開できる魔術は見たことがない。何より、彼女は適合率が低すぎる。俺が庭でみせた魔術はいずれも基本的なものだが、こいつが使えば精度は半分以下に落ちると考えて間違いない」


 状況は、リブラのときも僕のときも同じだ。

 エレベーターの中で僕は本を読んでいて、そして正面から心臓を刺されたのだ。


 いくら集中していて気がつかなかったとはいえ、胸の高さに広げていた本を避けることもせずに刺せるだろうか?


「もちろん彼女が入学からずっと俺やカガチ先生に手の内をひた隠しにしていたならば、話は別だ」

「残念ながら、竜鱗の特定が終わるまでは彼女は容疑者のままですな」


 カガチは剣を抜いて、彼女の首筋に触れた。


「八の竜鱗、《寄生花》」


 銀色の鱗から、緑色の蔦のような植物が生える。

 それはするすると伸びて彼女の首を一回りして、胸のあたりに戻って紫色の花を咲かせた。


「それは?」

「彼女が魔術を使えば自動的に感知し、毒を撒く拘束魔術です。イブキ、この件に片がつくまで、君は私の生徒ではない。自宅に戻るように」


 真珠イブキは顔を真っ青にして、座り込み、頭を抱えてうなだれた。

 相当ショックだったにちがいない。

 その様子をみると、魔法学院を卒業して、将来の成功を望む彼女の気持ちは嘘じゃないんだろうな、と思う。

 カガチは教室を出て行った。僕はその後を追った。


「待ってください、マスター・カガチ」


 彼は立ち止り、振り返った。


「処分に何か問題でもありましたかな」

「そうじゃない。灰簾はこの件に消極的なんですよね? こんなことをして大丈夫なんですか」


 カガチは少し考える素振りをする。


「実は、リブラ殿には五年前に恩がありましてな……。直接的なものではないが、見て見ぬフリというわけにもいかないのです。できれば、犯人を見つけたいと思っているのは私も同じ……そう、紅華様にお伝えください」


 カガチは深く礼をして去って行った。

 なるほど。

 最後の一言で納得した。

 五年前の恩、というのがどういうものかは知らないが、カガチは学院の教師でありながら紅華とリブラの関係を知っている。

 そして僕が紅華と結びついていると知っている。

 だから、僕の教室に真珠イブキを呼び出しておいたのだ。

 暗に学院内にも協力者がいると伝えるために。

 教室に戻るとイブキはおらず、天藍が壁に背をつけたまま、ある方向を見つめてる。

 僕もそちらに視線をうつす。

 教壇のちょうど真後ろあたりに、体育座りをして、頭を膝のあたりに埋めている少女がいた。

 燃えるように真っ赤な髪の、女の子だった。


「ウファーリ……?」

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