21.5 ウファーリとマスター・カガチ

 体育館……とはいっても、他の学科の生徒たち用とはちがう、何層も物理・非物理の防御壁シールドで囲われた竜鱗学科専用の修練場だ。

 中央に運動場があり、女王府や海府の役人たちの見学や学院内でのトーナメント戦の一般公開に備えて階段状の見物席が四方を囲んでいる。

 現在は運動場部分を四分割して二対二のチーム戦を行っている最中だ。

 見学席の縁に立ち、鋭い目つきで十六人の生徒たちを見下ろしているのは、落ち着いた深緑色の眼差しだった。

 マスター・カガチはそれぞれの生徒たちに気を配りながら溜息を吐く。


(年々、生徒のレベルは上がっているものの……)


 つまらん。


 感想はそれに尽きた。

 入学試験用の雇われコーチに仕込まれた剣筋は玄人くろうとっぽさを感じるものの、どれも定石通りでおとなしすぎ、魔術との組み合わせにも意外性がたりない。

 優秀だが小さくまとまりすぎてしまっている。


(たしかに以前のように不適合による死亡事故も減ったし、こうして学院に竜鱗騎士の養成コースもできた。女王府の徹底管理のもと竜鱗を安全に運用できるようにはなってきた……俺の時代とはえらい違いだ)


 マスター・カガチは市井の出だ。

 貧しさや階級差からくる理不尽を克服するため、というよりはただただ武のために十代という若さで竜鱗の移植手術をうけた。

 そのころはまだ竜鱗の移植は研究の途上で、共に手術を受けた戦友のほとんどが拒絶反応を起こし、死んだか、廃人まで追い込まれていった。

 振り返ってみても、あれは人体実験だったのだとしか言えないような悲惨な状況だ。

 当然、あの時代、あの筆舌につくせぬ苦しみが戻ってくるのは御免蒙る。

 しかしこのぬるま湯のような環境で育てられた少年少女が戦場で人ならざるバケモノを相手どり、戦えるのか……今、それを問われたところで「保障できない」と答えるほかない。


(だが、奴は突出しているな……)


 一番手前で戦っている四人。

 そのうちのひとりにカガチの視線が吸いつく。


 地味な運動着とプロテクター姿でも、一際、白い髪が目立つ。


 通常、二鱗か三鱗に留まる一年生の中で、天藍アオイは破格の五鱗騎士だ。


 竜鱗の移植に際しては、人と竜という二種族にまたがるため完全な適合などありえず、枚数が増えれば増えるほど危険は水増しされていくにも関わらず……である。


 ゆえに、天藍はハンデとして両腕を拘束された状態で戦っていた。

 剣が抜けない状態だが戦闘中であるという緊張感もなく、あくびをしている。

 大口を開けた状態でも端正な顔立ちをしているのがわかるほどの、美貌だ。


(肝が据わっているのか……いや、お前の気持ちはわかるぞ、天藍……。同級生相手では張り合いがなかろう。つまらなくてしかたないだろう)


 彼の足元は竜鱗結晶に覆われていて、そこからどうとでも魔術を撃てる状態だ。

 相対する二人も優秀な生徒なのだが、地面から不規則に突き出して襲ってくる結晶の槍になすすべなく試合場の端まで追いつめられ、翼を広げる。

 二メートル近くまで盛り上がった結晶の針山は、強度が高く防壁の役割を果たしていて地上からでは接近できないからだ。


 ――――そして、目隠しの役割も兼ねている。


 突き上げる白い結晶の雪原を縫い、レイピアを構えた少女が弾丸のように飛び出した。


 天藍と組んでいるのは真珠イブキ。

 適合率が低く、枚数は頭打ちの三鱗騎士だが非力を勤勉さで補っている。


 コンビ二人の名前が書かれた欄に二重丸をつけようとして、カガチは筆を止めた。


「む…………」


 飛び出したイブキの足元にまで結晶の攻撃が迫り、彼女は空中で体勢を崩して地面に落ちていった。


(どうやら、あいつは《連携》というものの意味が理解できていないらしい)


 天藍アオイには孤高の天才という言葉がよくにあった。

 実力は高いが、それだけに彼と同格に渡り合える者は皆無。

 友情やチームワークというものにも興味を持たない。なぜなら、彼の頭にあるのは星条百合白を守るという使命だけだからだ。


(あいつの目を理解できようはずもないモノに向けさせ、本気にさせるとなると大変な修羅場が必要になるな……だが問題は、あいつをどうやって大舞台に引きずり出すかということのほうだ。でなければ)


 でなければ、考えうるかぎり最悪のシナリオを描いて、雄黄市が地図から消えることはなかった。



 



 私怨、といえば私怨である。

 カガチは一瞬、本気の殺意を教え子に向けていた。

 アオイはいち早く気がつきカガチを見据える。


(おっと、こいつはいけない)


 すぐに殺気を押さえて教師らしい笑顔をつくる。


「ふーん。アンタもそんな顔、するんだね」


 と、背後から声がきこえた。


 存在には気がついていたのだが、無害だと判断して放置していたのだ。


 声の主は普通科では有名な不良生徒だった。


 燃えるような赤毛……は地毛だが、スカート丈をこれでもかと切り詰め、全開にしたシャツの下には申し訳ていどの面積で胸を覆うビキニタイプの黒い水着しか身に着けていなかった。


「あー……服装違反だ、ウファーリ」

「指摘するとこ、そこなワケ?」

「では、何か用かな?」


 暴れん坊娘はらんらんと金の瞳を輝かせる。


「決まってンじゃんよ! 勝負しろ、マスター・カガチ!」

「ほほう、俺に勝負を挑むとはいい根性をしてるな」


 売り言葉に買い言葉にみえるが、カガチは心の底から感心していた。

 ただの普通科の生徒が、正真正銘の武闘派である竜鱗学科、その指導者に勝負を挑んでくるとは。


「アタシはお前に勝って、翡翠女王国の魔術師どもより強いってことを証明する! 魔術学科に編入してもらうんだ!」


 言うなり、見学席のあちこちに隠された黒鉄くろがねの刃が飛び出しカガチを襲う。

 それらを平手で落とし――落としてもすぐに浮かび上がり、襲ってくるので仕方なく蹴り落として踏みつけ捕獲する。


「無謀だぞ。できれば相応に準備を整え、鍛錬を積んでからの再挑戦を推奨するが」


 カガチは剣の柄に手をかける。

 その瞬間、ウファーリは長い脚をしならせ獣のように背後へと飛び退った。

 手と足を使ってでも下がらねば死ぬと本能が告げての行動だった。

 ただし、逃げではない。

 瞳は闘志をたたえたまま。ミニスカートの下からクナイを抜いた。

 彼女の身体能力は常人のものではない。

 筋力のほかに、何らかの力が働いている。魔術ではない力が。


「今引けば、あんたの剣に脅えるようになる。たとえ死んでも、臆病者だけにはならない!」

「その意気や良し!」


 カガチは言って、踏みこんだ。

 ウファーリも全身全霊をかけて勝負の場に飛び込んでくる。

 こうまで簡単に命を生死の天秤に賭けられる生徒が魔法学院に存在している。


 ――その事実に、カガチは感動すら覚える。


 間合いのギリギリに達し、深緑色をした刃が肉眼では捉えられない神速の突きをはなつ。

 獰猛どうもうな牙と化した剣がウファーリに迫る。

 刃の切っ先が頭部を貫き割る直前、ウファーリの体がまったく物理法則を無視した予期しない力によって右方向に逃げていった。

 まるで彼女の体に見えない糸が張られていて、それで強く引っ張られたかのような動きだ。


「むっ……」


 全てを棄てた無謀な一手にみせかけて、実は二の手三の手を見据えた的確な攻めだったか。

 見た目や言動とは裏腹に利口だ。

 ただ、カガチは別の点に注目していた。

 ウファーリが急な回避行動に出たため、剣先がれたのだ。

 そして鋭い切っ先は、彼女の胸の覆いを首から吊っている、その吊り紐に触れた。

 紐は当然のようにぶつりと切れた。


 紐が首から落ちる。

 支えるもののなくなった水着は当然のごとく、はらりと前に落ちた。


 そして。


 布地の拘束から解放され、張りのある一対の部位がこぼれ落ち、頂きまでもが勢いよく晴天の下に晒け出された。

 少女の白くて丸い肉はその存在を主張するがごとく元気よく跳ね、元の位置で停止。


「あっ……」


 手を広げた状態だったので文字通り全開だ。

 そのまま数秒、時が停まる。

 カガチは沈黙の中で剣を鞘に納めた。

 そして腕を組み、その後の対応を考えこむ。


「……その、なんだ。先生は、そういう趣味はない。ええと、だが、女性としてのなんだ……魅力とかそういうのを否定しているわけでは無くてだな」


 言い訳を並べるカガチの顔面に鞭のような回し蹴り。

 さらにクナイが飛んでくるのを片手でいなし、蹴りは受け止める。

 パニックを起こして投げつけたのではなく、刃がちゃんと顔のほうを向いて飛んできていた。


「剣をしまうな! 勝負の最中だぞ!」


 ウファーリはこぼれ落ちた胸の頂きを片手で押さえこそすれ戦意喪失はしていない。


「まだ続けるつもりかね……」


 カガチは呆れていた。


「女の胸も見たことがないのか!? 戦いの場であれば、こういうトラブルはつきものだろ!」

「あー……そういうことではなく、恥ずかしくはないのか?」

「アタシに恥ずべきものなんか、何もない!」


 言い切った。

 年頃の少女だというのに恐るべき負けず嫌いは、天藍の戦いの才能や美しさと同じく天性のものか。これも才能というのかもしれない。

 カガチは溜息をもらすと運動場を振り返り、手を叩いた。


「お前たち、試合をやめろ! 今から授業の内容を変更する。こいつと追いかけっこして、捕まえたやつに満点を出す! 不届き者に手加減は無用。竜鱗騎士の恐ろしさを肌に刻みつけてやれ!!」

「えっ!!?」


 場内にいた教え子どもの目つきがかわる。

 点数がほしいもの、少女のあられもない姿に目を丸くするもの、いろいろだ。

 一番冷酷な表情を浮かべたのは成績のためなら人殺し以外はなんでもやると影で噂されている真珠しんじゅイブキであった。


「えっ、ちょっ、待っ……!? アタシはこんな恰好かっこうなのに、鬼か、アンタ!?」

「どうした、逃げないのか? 恥ずかしくないとか言っていたが、そこでじっとしていると裸にむかれるぞ」

「くそ、卑怯者! 死ね、カガチ! アタシは絶対にあきらめないからな!!!」


 捨て台詞を残して、ウファーリは遁走とんそうする。

 やはり常人とは思えぬほど身が軽くて、速い。

 しかし、竜鱗騎士の卵たちはほぼ全員が飛翔系の魔術をもっているし、体力や筋力は常時強化されている。ウファーリは、運動場であくびをかみ殺している天藍以外の十五体の子竜に追われることになるのだ。


 カガチは彼女の去って行った方角を見てにやにや笑っていた。


 最近では一番愉快で面白い出来事だった。

 彼女の無知無謀は自身の若かりし頃を思い出す。

 名誉も金もなくただ強さのために命を秤に賭け、竜鱗とともに戦い抜いたあの頃を。


「しかし……あの娘は、これにりてもう二度と来ないかもしれんな」


 そう呟く双剣の騎士は、笑顔ながらどこか寂しげでもあった。


 だが、マスター・カガチの読みは見事に外れた。

 それからウファーリは週に最低でも二回という、うんざりするようなペースでカガチの元に通い詰め、時に闇夜に潜んで命を狙い、出会い頭に襲撃し、彼を辟易へきえきさせ……とうとう『俺以外でもいいから、誰かに勝てたら編入の許可を出す』と約束してしまったのである。


 ちなみにカガチが勝った場合は百勝ごとに『服装を校則通りにする』という約束も結んでおり、現在彼女はシャツの前をしめてネクタイをつけている、という次第である。

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