19 食事
リブラの屋敷で、運ばれた彼の帰りをずっと待っていた。
だけど「リブラは戻らない」と、
そこには、ミニスカートをはいて暴走する車にのって笑ってた少女はいなかった。
出会ったときと同じ、冷酷で無慈悲な赤いドレスの女王がいた。
「だが、君が自由になったわけでもない。明日から、君は魔法学院の教師だ」
「リブラはどうして死んだんだ? 僕を殺そうとしたやつと何か関係があるんだろ……?」
「それは、お前が気にしなくてもいいことだ」
「でも!」
そこで、心臓に痛みを感じ、黙る。
傷が開きかけているのか。
「責めたいなら責めればいい。それだけの過失がわたくしにはある」
彼女は眉をよせ、ありったけの怒りをその瞳にためていた。
「リブラはわたくしの母によって両親を奪われ、今度のことを予見できなかったがために命まで差し出すことになってしまった……。答えろ、この上、何を彼から奪えばいい?」
僕は黙った。
彼女とリブラの間にあったものは、忠誠とか、家族の絆とか、そんな薄っぺらい言葉だけじゃない。それは、ただの異界からの来訪者である僕にはわかろうったって、わかるものじゃない。
だけど、僕は……あんなにあっけなく誰かが目の前でいなくなるのだと、信じたくなかったんだ。
こんなところには一秒だっていたくなかった。
夜になって屋敷を抜け出した。
ひたすら歩き続けて、海市に出て、さまよって、歩いて、歩いて……。
くたくたに疲れることで、何もかも忘れようとしたんだ。
不思議なことに呪いは発動しなかった。
見過ごされたと考えるのが
自分でも、なんでこんなことをしているのかわからなかった。
海市にでて町をさ迷った。
暗がりで、男たちがたむろしているのをみつけた。
身なりの汚い連中で、酒瓶を片手に持ってた。
逃げようとしたけれど腕を掴まれ、顔を殴られたのを覚えてる。
その後の記憶がなくて、気がついたら。
「うっう~♪ うにゃうにゃ~♪」
陽気な鼻歌がきこえた。あと、火をつかう音。
湯気の熱、鍋をかき混ぜるかすかな音。
やわらかないいにおい。
これは、あたためられた牛乳かな。
僕は、疲労で体がきしむのを感じながら、清潔なシーツとあたたかくて柔らかい布団の間で身じろぎした。
知らないベッドだ。
ゆっくり起き上がってあたりを見回すと、そこはリブラの屋敷よりもこじんまりとした、なんというか庶民的な部屋だった。
書き物机がひとつと最低限の大きさと機能をもつクローゼットがひとつ。
木でできた床の上には、緑の地にイチョウが描かれた
僕の上着とリブラの屋敷から持ち出した外套は入口のところにかけてあった。
杖や持ち物は机の上にある。
もらった杖と、謎すぎる金色の杖、両方そろっているのを確かめる。
不思議だ。
杖は誰かに触れられた様子もなく、金鎖と、青い本と、そこに新しく加わった
「あらら、先生、おきましたかにゃ?」
部屋に小柄な少女が入ってくる。お玉を手に、ピンク色のエプロンをつけていた。
「誰……? 僕のことを知ってるの?」
料理をしていたのはこの子だろう……。
それより、にっこりほほ笑む顔の、真上に猫よろしく三角の獣の耳が生えているほうが、とても気になりすぎるが。
「歌う猫人間……?」
少女は頬を食べ物をいっぱい頬袋につめたリスみたいに膨らませる。
「しつれーな! アリスは獣人にゃ! 人類の一種にゃ! 訂正を求めるにゃ!」
「失礼しました。……アリスさんは人類の一種です」
「ん~……なんかちがう気がするにゃ……」
自分で申告しておいて、首を傾げている。バカなのかな。
「でも、ビックリしましたにゃん。お外で倒れてた先生のことを、聖アイリーン様が守ってらっしゃいましたにゃん!」
「聖……なんだって?」
「もうすぐごはんができますにゃ。下に行って警備員さん呼んできてくださいにゃ」
アリスは台所のほうに引っ込んだ。
台の上にのって、ぐつぐつ音を立てる鍋をかき混ぜている。
きょろきょろ見回し、階段がないことを確認。
玄関らしき扉があったので、外に出る。
いかにも昔の木造アパートの廊下、といった風景だ。
左手に階段があり、下を覗く。
「ここって……!」
そこは、明かりは落ちているものの、昼間に来たあの図書館だった。
そういえばアパートを改装したっていってたっけ。
貸出カウンターのところに、見覚えのある警備員の制服を着た若い男が立っている。
赤毛は地毛だろうか。
左目の近くに古い傷がある以外は普通の若者だ。
「おや、起きられましたか……体、痛くないですか?」
「あちこち痛いです」
「それ、顔のやつは、きっと
気さくに訊ねてくる。
「いや、もともと、お金は持ってないんで」
「はは、俺も同じです」
気のよさそうな青年は階段を軽快に上ってくる。
元の部屋のキッチンのテーブルには、クリームリゾットのようなものが入った皿が置かれていた。
「ようこそ翡翠女王国へー! 藍銅共和国の主食はオコメという穀物だとききましたにゃ! お怪我の具合がわかりませんが、食べやすく消化にいいようにやわらかーく煮てみましたにゃ」
「あんまり腹にたまりそうにないですね」と、警備員。
「文句があるやつは食べなくてもいいにゃ」
警備員の青年は皿を回収しようとするアリスの小さな手から、皿を抱えて死守していた。
「さ、先生もどーぞですにゃ」
分厚い皿の上に盛られた牛乳入りの
「これ、君がつくったの?」
「はぁい! 薄給ですからにゃ、自炊はキホンですにゃ」
「そう、すごいね……まだ若いのに」
アリスの耳が、ピンと元気よく立った。
それから、でれっとした笑顔を浮かべ、
ニャコ族とやらのボディランゲージは、よくわからない。
「わ……若いだにゃんて先生、そんにゃ……! 照れ臭いですにゃ~」
銀色のスプーンを手にとる。
あれ……?
何かおかしくないかな。
どうして、ここで食事をしてるんだろう、僕は。
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