33 踊る道化師
お終い。
そんなことばと共に本を閉じた瞬間、オルドルの姿は煙のごとくかき消えた。
目の前には銀の王冠もなく、玉座もない。
金杖が落ちて転がり、青い本は宝石の輝きを放ったまま、沈黙している。
「んっ……うう……ここ、どこ?」
寝ぼけた声につられて振り返り、僕は口を開けたまま動きを止めた。
そこには、五体満足なウファーリが、寝ぼけ眼を擦っていたからだ。
彼女の血で真っ赤に染まっていた僕の体も、きれいなものだ。血など、どこを見回しても存在しない。
「あれっ、アタシ……勝負してて、それで……?」
ウファーリ本人も、何が起きたか理解していないみたいだ。
「勝負はついた」
天藍が言う。
「幻術のようなものだろう。それも単なるまやかしや錯覚などではなく、実体を備えた極めて高度な幻術だ……」
幻……。
そうだ。
そういえば、師なるオルドルの章の最後に、彼が食人を行う化け物だとバレる記述がある。
美しい銀の森は、獲物を吊るす残酷な処刑台の群れに……。
もしかして、銀色の森はオルドルが魔術でつくりだしていた幻だったのか……。
しかも、特殊な幻だ。全てが幻なら僕たちが天井の大穴を通って屋上に出られるのはおかしい。この状況はまるで、オルドルが自分の好きなようにもとに戻してしまったようにみえる。
「もし幻でなければ、お前は死んでいた。勝ち目はない」
「……情けをかけられたのか?」
天藍は涼しい顔をしている。
僕なんかはまだ、この大騒動の驚きや困惑が消え去らないというのに、よくも平然とウソをつけるものだ。
しっかりと、こちらの有利になるような嘘を……。
百合白さんをみると、彼女は複雑な表情だが《本当のこと》を自分から言い出しそうな雰囲気ではない。
「……アタシは、バカだな」
ウファーリは自虐めいて、唇の端を噛みしめる。
「先に戻っている」
天藍が百合白の肩を抱き、翼を広げる。
まるで守護天使だった。
「待てよ。僕を置いていくのか!?」
オルドルが全てを幻にしてしまったため、トイレにあいた大穴はなくなってる。
もともと、気楽にあがれる屋上ではなく、屋根の上といったほうが正しい。
どうやっておりればいいんだ……。
しかし、天藍は「それくらい自分で考えろ」と言い置いて飛び去った。
ウファーリはというと、体育座りをして落ち込んでいた。
空は暮れかけて、朱色に染まっていた。
「あのさ、ウファーリ……申し訳ないんだけど、君の能力で地上まで送ってくれないかな~なんて……ダメだよね……」
ぎょっとする。
彼女の瞳には、涙がたまっていた。
うわ、やばい。女子を泣かせた。
反射的に思考が凍る。
「あ、あのさ……謝りにいこうよ! ふ、ふたりで! 君が自暴自棄になる理由はわからなくもないし、場合によっちゃ軽い処分ですむかもしれないし」
何をいってるんだ、僕は、バカなの?
それでなくとも、ウファーリは僕にとってはた迷惑な人間なハズ……。
さっき彼女を痛めつけたのは、僕だとしても。
「強くないアタシなんか、ここにいる価値はない」
ウファーリはそう言った。
彼女の金色の瞳が、濡れて、揺れる。透明な液体が頬を伝う。
彼女の言葉には続きがある。
強くないウファーリに価値はない、実験動物になる以外には、魔法学院は彼女を必要としてない……。
うっかり切り刻んでしまった負い目からかもしれないけど、僕は、そんなふうにしか考えられない彼女がかわいそうだと感じはじめてた。
そう、僕は女性の涙には、弱いんだ。
母さんが、よく泣いてたから。
『どうしてこんなときに風邪なんて引くの? アタシが働けなくなったら、どうなると思ってるのよ。バツイチ子持ちの四十女なんてね、馬車馬みたいに働かないと、社会じゃ何の価値もないんだから。すぐに用無しになっちゃうんだからね……』
毎度お決まりの愚痴を言いながら、泣いてた。お酒を飲んで。
泣き終わったら、リビングで死んだように眠ってた。
いつもその姿を遠くにみてた。
どうすればよかったんだろう……どうしてほしかったんだろう。
辛くて、泣いてるとき。
どうしようもなく追いつめられたとき、どうしてほしい……?
その答えがみつからないまま、高校生になってしまった。
でも今は違う。
僕の頭の中には、陽だまりの中にいるように優しく微笑む、百合白さんの姿がある。
「ウファーリ……」
僕は、彼女の手に自分の掌を重ねた。
ちょっと大胆だ。
さっき、彼女にひどいことをしてしまったことが、引っかかるけど……。
「もう、こんなことはやめよう。魔術学科に入ろうとして、がんばるのはすごいし、いいことだ。でも強さを求め続けても、きっと君は追いつめられるばっかりだ……」
「だけど、それしか方法がないんだ!」
「わかるよ。でも、方法がないのと、君の価値は違う。暴力を振るうことでしか、価値を示せない人間なんて、そんなの人間じゃないよ……」
「アタシの価値……? そんなのあるわけない!」
「あるよ。実験動物でも、強さでも、暴力でも魔法でもない。君の価値を、探そう」
そうは言ったものの、そんなものがあるのかどうか、僕は知らない。
でも、信じたいんだ。
それがあれば……母さんはあんなに苦しまなかった。
僕はひとり、布団の中にうずくまって、熱が去るのを待つこともなかった。
寂しくて、苦しい思いをしなくてもよかったんだ。
彼女の手をぎゅっと握りしめる。
体温といっしょに、この気持ちが伝わればいいのに。
「先生……あんたって、バカなんだな」
バカ。
……まあ、そうかもしれないけど。
「アタシはスラムの生まれだよ。金が無けりゃあんたみたいなやつを殴って脅して奪い取ればいいやって人間のクズの掃き溜めで生きてきたんだから」
……残念ながら、それ、すごく経験がある。
治安がわるいんだよな。思ったより。
ウファーリの金色の瞳が、僕をまっすぐに見つめた。
ごめん、ウファーリ。
ごめん……僕はうそつきだ。
「でも。もし……もしだけどそんなものがあるなら、アタシもそれを信じたいな……」
もう、涙は流れてない。
「アタシ、バカだし、何したらいいのかもわからない……。でももしまだ学院にいれるなら、つくるよ。先生の言う通り、友だち百人。勉強も頑張ってみる。だから……クソっ、素直にものをいうって、恥ずかしすぎる!」
ウファーリは顔を、耳まで真っ赤にして、そっぽを向いた。
なんか、かわいい反応だ。
とんでもない暴力娘だと思ってたけど……思い直してくれたみたいだ。
僕は、溜息を吐いた。
彼女は方法を間違えた。
だけど、僕も間違ってた。
最大の間違いは……オルドルを止められなかったことだ。
「……あのさ。詳しくは言えないんだけど、僕は、ほんと先生ってガラじゃないんだ。先生なんて、よばれるようなタイプじゃないんだ」
「でも、先生は、先生だろ?」
手を離し、改めて、右手を差し出す。無防備な右手を。
「友達になろう。対等な存在として」
そして、どうか、君を八つ裂きにしてしまったことを、許してほしい……。
口には出せないけど。
ウファーリはびっくりした顔をした。
そして、戸惑い気味に右手を差し出し、握ってきた。
「えーと、こういうときなんていえばいいのかわからないけど。これでも、結構、地元じゃ友だち思いだって通ってるほうだから!」
なんだそれ。
なんの宣言なんだかよくわからないけど、口元が、つい、ゆるむ。
こういうのって、いいな……希望があるっていうか、絆とか友情とか勝利とか、なんかそういうかんじのハッピーエンドっぽい。
まあ、その途中経過は最低最悪なんだけど……終わりよければ全てよし、だ。
握手をかわしていたウファーリの表情が、変わる。
へんなふうに固まっていく。
「マスター・ヒナガ……これはどうなってるんだ……!?」
どうって?
僕は、握手をかわした手を見つめた。
組み合わされた二つの手から、ぼたぼたと、血が流れ落ちて行く。
そこだけじゃない。
僕の左手からもだ。
「……――――あぁッ!!」
目の前が白くかすむ。
遅れて、痛みを感じ、僕は手を振りほどいて、地面にうずくまった。
「あああああああっ、うあああっ!!!!」
凄まじい痛みに、口からは絶叫しかでてこない。
「先生!! 誰か!!!!! 天藍、理事、だれでもいい!!」
ウファーリが僕を支えながら、建物の外に向かって叫ぶ。
「医者を連れてきてくれ!! 指全部、生爪はがされてるんだっ!!!!!」
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