65 人形の女

*****


 彼女は暗い地下室で《人形》の頭部を手にしていた。


 壁面には白い女の腕や足が並んでいる。

 部屋の隅には、雑に分断された人形のごみの山が築かれている。それらは海市市警察の下級職員の制服をまとっている男女で、彼女の手がける人形に比べれば精緻せいちさを欠く。

 今、まさに女が手にしている頭も、そのうちの一つの首に取りつけられていたものだ。

 切断面は全く鋭くなく、切られた、というより押しつぶされたと言った方が正しい。

 彼女はそこに付着した金色の破片を丁寧にピンセットでつまみ上げる。

 それをガラスの容器に移そうとして……金箔は器に収まる直前に、煙のようにかき消えた。


「ふーむ、魔力の尻尾の先もつかませないその執念は、とても十五歳のものとは思えませんね。誰かの入れ知恵か、ああ見えて百歳越えの大魔術師だといわれても今なら信じられそうです」


 ピンセットを投げ捨てる。


「我々の牙にもかからず、これだけ洗練された旧世代の魔術が残っていること自体が奇跡だとしたら、使い手はバケモノだ」


 部屋の扉が開いて、薄暗い室内に明かりがさしこむ。そのことを彼女は予測していた。

 明かりの下にひとりの少年が立っていた。

 やせっぽちで、頼りなくあたりをきょろきょろしている。

 生まれながらの黒髪、少し赤い色をした瞳の下には寝不足による深いくまができている。

 彼が、何故か、昨日この国に起きた二つの大事件の両方に関与していることは、情報として知っている。

 死体を見て寝不足になったというのなら、彼には二つの可能性がある。

 犯人ではないか。

 または、自らが犯したあがなえない罪を悔いているかだ。


「いらっしゃい。久しぶりですね、マスター・ヒナガ。いえ、別に、うれしくはないけれど」


 彼はこちらを見て、呆けて口を開けた。

 その表情は、魔法学院にて最年少で教鞭をとることを許された若き《天才魔術師》という触れ込みにも、公園で巨大な黄金の槍を降らせ、部下の木偶人形どもを木端微塵こっぱみじんに粉砕した恐るべき《実力》にも見合わない陳腐な表情だった。





 一夜明けた翡翠女王国は、街も空気も人もどこか慌ただしい。

 海市に竜が現れることなんて、非常事態中の非常事態らしい。

 雄黄市の追悼式典があった矢先で、時期もずいぶんタイムリー過ぎる。

 通勤、通学する人々は、それぞれが情報端末を眺めながら、脅えたりほっと胸を撫で下ろしたり、議論したり、まあ、露骨ろこつに騎士団長の噂話をする者もいた。

 しかし彼らは圧倒的に無知だった。

 何しろ、その事件の背後で僕というとてつもなく不運な異世界人が大変な目にっていた事実さえ知らないのだから。

 僕は大きな欠伸あくびをした。

 体がだるくて仕方がない。

 かわいそうな爪たちは何とか再生したが、包帯や医薬品は底を突いてしまっていて、どこからか調達する必要がある。

 割れた硝子瓶がらすびんで背中を抉った傷は消毒しただけで回復しておらず、じくじくと痛んだ。

 目の前には年季ねんきの入った階段があり、頭上に大きな口を開いている煉瓦色れんがいろをした建物があった。

 天藍は眉をひそめた。

 学院は非常事態につき休校、よって私服姿だ。

 胸に飾りのついた薄灰色の長外套に、濃い灰色の高い襟の服を内側に着て、黒いストールをゆったりと巻いている。腰には細いベルト。短剣が二振り吊るしてある。

 地味な格好なのに、モデルがいいらしく連れて歩くとどこに行っても人目を引いてしまう。


「……あまりいい計画には思えんがな」

「僕もだ」


 天藍は不服そうに、先に階段を上っていく。


 巨大な扉をくぐると、そこは……。


 僕はついつい、大きな柱の影に逃げ込みたくなった。

 そこには、市警のかたくるしい制服に身を包んだ職員が、たくさんいたのだから。


 海市市警察本庁舎。


 一階で天藍から来訪を伝えてもらってから、ずいぶん古めかしい昇降機に乗り込み、三階へ。

 扉が開くと、そこには。

 これでもかと言わんばかりに着飾った《人形》が立っていた。

 僕は「ひっ」と声を出して天藍の後ろに隠れた。

 人形はふんわりとしたレースをまとったスカートをグローブで覆われた両手でつまみ上げる。


「ようこそおいでくださいました――とでも言うと思っているのかね」


 そこに立っていたのは、クヨウ上級魔法捜査官だ。見間違えようがない。

 室内なのに、リボンをふんだんに使った傘を差していて、後ろの、ごく当たり前のオフィスの風景とのコントラストが前衛芸術のようだった。

 フロアにいるのは、上級捜査官たち――僕の理解でいうところの《刑事》たちだった。

 私服の人物が多いが、だいたいは堅苦しい服装をしていて、彼女のようにゴシックドレスという奔放ほんぽうな格好をしている者はもちろん皆無だ。

 僕は声を出そうとしたが、言葉が喉の奥に引っかかって出てこない。

 彼女の威圧感のせいだろう。


「何をしに来た? 竜鱗騎士団団長、天藍アオイ。そしてマスター・ヒナガ」


 隠れている僕を、天藍が軽くまんで前に押し出す。

 そうだ。隠れている場合じゃない。

 わざわざ天藍と連れ立ってここまでやって来たのには理由がある。


「ええと……貴方と世間話がしたい。たとえば連続殺人事件のことについて、話ができれば……と思いまして」


 連続殺人事件の犯人が誰なのか。

 そこにいたる情報を、今一番たくさん持っているうちのひとりが、彼女のはずだった。


「自分の立場をわきまえているのか? とてもそうは見えないがな」


 彼女は血に飢えたヤマネコみたいな瞳でこちらをにらんで来る。

 あと少しでジャガーに進化しそうだ。

 そりゃそうだ。僕たちは彼女とマスター・カガチの追跡を振り切って逃走し、しかも未だにイブキをかくまっているのだから。

 僕と彼女の間にあるのは純度百パーセント混じり気なしの気まずい沈黙、そして険悪なムードのみだった。

 そのとき、突然、フロアの片隅から拍手が起こった。

 まばらな拍手だ。

 人数は、四、五人といったところ。

 そのうちのひとりが立ち上がり、右手を高く掲げてから、心臓に重ねた。


「我らが師に」


 偉大な知恵に、と言うものもいた。

 それは、どうやら僕に対する賛辞らしかった。

 面食らっているとクヨウが苛々した声を出す。


「馬鹿どもめ。魔法学院の新任の教師が……それも竜鱗騎士ではない普通の魔術師ノーマルが海市に突如現れた竜を、その教え子と共に打倒した――そんな噂で市警は持ちきりでね。君を《竜殺しドラゴンスレイヤー》なんぞと呼ぶものさえ出る始末だ」


 何でも自宅が現場のすぐそばだった職員がいるらしく、あやうく難を逃れた開放感からいくらか誇張こちょうされた噂を率先して広めてしまったのだという。


「嘆かわしい。そう思わないかね、本当の《竜殺し》君」


 クヨウの瞳は、天藍を捉えた。


「俺の名誉のために言うが」


 天藍は心底不快そうな表情を浮かべる。


「助力の必要性は皆無だった。よけいな時に、よけいな人物がよけいな茶々を入れただけだ。次は後ろから刺す」


 あれ? おかしいな。

 二対一のはずが、気がつくと一が僕になっている。

 僕が劣勢なのは、なんでだろう。


「上層部を介してお前たちから手を引くように通告したのは気紛きまぐれか何かなのか、是非ともご高説を拝聴したいものだ。おそらく尋常な精神ではあるまい」


 彼女はヒールを鳴らしながら、昇降機のスイッチを押す。


「貴重な精神の持ち主たちよ、来たまえ」


 何がなんだかわからないが、話をきいてくれるのだろうか。

 彼女はさっさとかごに乗り込んでしまった。


 クヨウは僕らを地下の一室に案内した。

 扉の横に制御盤があり、小さな赤銅色しゃくどういろの鍵を差し込むと扉が開くしくみだ。

 どう見ても倉庫のひとつで、そうだとしたら、不気味過ぎる倉庫だった。

 そこには、白い腕や足、人形の部品が転がっていた。

 破壊された市警の制服を着た捜査官の人形もあった。

 入るよううながされたが、僕は驚きでかたまってしまい、一歩が踏み込めない。

 部屋の中には女性がひとり、作業机に向かっていた。

 クヨウ捜査官そっくりの女性だ。ただし、彼女はドレスを着ていない。

 真っ白な白衣を着ていた。化粧も普通だ。


「いらっしゃい。久しぶりですね、マスター・ヒナガ。いえ、別に、うれしくはないけれど」


 彼女は本当に全く嬉しくなさそうな口ぶりだった。


「あなたは?」

「私はクヨウ上級捜査官です。こうして、極めて至近距離で見てもわかりませんか?」

「双子なの……?」


 僕は目を白黒させながら、彼女たちを見比べる。

 吸血鬼を思わせる端正たんせいな顔立ちはまさに瓜二つ。白衣のほうが丁寧ていねいな物言いだが、嫌味を言わずにはいられないところは共通してる。

 魔女の家に迷い込んだヘンゼルとグレーテルの気持ちがした。


「いいえ、どちらかは私の作った人形です。どちらがそうかは、わからない者にとっては些末さまつな違いです。どうせわからないのですから」

「魔術に対する防御のためか?」


 天藍は無表情にいた。


「魔法捜査官は殉職者が多いと聞く」

「その通り。私たちの相手は竜ほど単純じゃない。竜くらいに強ければ敵を踏みつぶし、嫌いな人間を焼き滅ぼせばそれで済む。でも魔法捜査官がるのはそうではない。やり口が汚いのです」


 名前を知られれば呪われ、居場所を知られても呪われる。

 そう吐き捨てるように言う。

 翡翠女王国は魔術を捨てた国だ。

 彼女が逮捕するのは、それでも魔術を捨てきれない魔術師たちだった。

 ほとんどの魔術師が駆逐された現在では竜鱗魔術ほどの威力はないものの、捜査官ひとりを絶命させる力くらいはある。

 それが魔術というものだと、彼女が言うと不思議と愚痴に聞こえた。


「こうして自分の似姿を作っておけば、術の対象をいくらからすことができます」


「話がそれているぞ、クヨウ捜査官」と、ドレスのほうのクヨウが口を挟む。


「それもそうですね、当然かつ貴重な指摘をどうもありがとう、クヨウ捜査官」と白衣のほうが答える。


 ……頭の痛い状況だった。


「この小僧に情報をくれてやるなんて、気が進まない」

「でも、このガキの魔法には見どころがある。こうしてノコノコやってくるくらいだから、交換条件に何かしら情報を提供する意志があるのかもしれません、ただの間抜けでなければね」

「お前がそう言うなら仕方ないが、ただでくれてやるのもしゃくだ」

「そうね、同意します。では、こうしましょう。私と私のどちらが本当の人形か見分けることができたら、情報交換に応じましょう」


 僕の気が狂いそうになる寸前で、彼女たちは、右手と左手をそっと重ね合わせてこちらを見た。

 鏡合わせのような女が二人。

 ひどすぎる悪夢だった。

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