45 師弟

 竜鱗騎士の剣は、可能であれば竜の牙や爪によってつくられる。


 通称、《牙折きばおり》だ。


 武器の素材として適しているのは言うまでもなく、竜と体の一部を同化させている騎士たちにとっては、素材に満ちた魔力を通じて自身の一部の如く扱うことができるからだ。

 しかし、現存する《牙折り》は翡翠女王国内にたった四振り。

 かつて、女王の手からその一振りを授かり「これは俺には合わない」と面と向かって言い、返却しようとした武人がいる。

 その無礼な物言いは文官たちからかなり顰蹙ひんしゅくを買ったのだが、女王は面白がり「この者の好きな形に剣を改めよ」と命じたという。

 歴史を紐解いても例のない特別なはからいだ。

 そして、貴重すぎる太刀を二振りの剣に変えさせてしまったのである。

 その武人こそ――天藍アオイが師とあおぎ、今まさに対峙たいじしているマスター・カガチその人であった。

 彼の両手には、刀身を天鵞絨に輝かせる細身の剣が握られている。

 切っ先に小さく返しのついた形状の特殊な剣だ。


「思えばお前とのつきあいも長いな……」


 マスター・カガチは溜息を吐いた。

 カガチは前副団長、天藍は現団長。

 天藍とは入団時から……いや、入団確実と言われていたため、その前からの付き合いだ。


「昔はこんなに小さくて、百合白殿下の後をひょこひょこついて回って、まるで女児のように愛らしかったんだがなあ……」


 剣を携えたまま、腰の下あたりに手をやる。

 それくらいの身長だった、と言いたいのだろう。


「ま、その頃から死ぬほど生意気で、子供人気が無いことに定評があった団長は酒を飲むたびに《アオイが仲良くしてくれない》って泣いてたんだけどな。いやー、懐かしい!」


 ハハハ、と快活に笑う。呑気な世間話をしているようだが、その台詞ひとつのあいだに、天藍は胴をぎ払い、フェイントをかけ、突き、袈裟に斬り……十数回は斬りこんでいた。その全てを、この男は片手でいなしていた。

 流れ弾を軽々と鱗を生やした手で掴み、背後に捨てている。

 わずか五分、切り結んだだけで、天藍の息が上がっていた。

 全身全霊の力を振り絞り、大上段から、斬る――というより、剣を叩きつける。

 それを、カガチは細身の剣で軽々と、触れるように受け止める。

 ただ受け止めているだけではなかった。触れあった切っ先から、自分の腕、体幹、つま先まで全身が完全にコントロール下に置かれているのがわかる。天藍が気を緩めただけ、姿勢をわずかに狂わせただけで、安々と切り返されるだろう。


「本気を……出せっ……!」


 天藍は呻く。


「ずっと……ずっと、教師面をするお前を見て苛々していた。本当は俺を殺したいほど憎んでいるんだろう、マスター・カガチ!」


 どこまでも爽やかで理想的な体育教師然としたカガチのまとう空気が、一変する。

 その深い緑の瞳が刃のように細められる。


「……五年前」とカガチは言った。「あの時、俺とお前と竜鱗騎士団――すべての運命が変わってしまった……そう思わないか?」


 無造作に、天藍の剣を支えていたカガチの《牙折り》が払われる。

 剣を通じて外側に手首を捻じられ、柄が離れかける。

 天藍は並外れた身体能力で跳躍する。天と地が逆さまになり、その頭の下をカガチのもう一振りが抜けていくところを――目にすることはなかった。

 荒れ狂う暴風が全身を叩き、風に舞う木の葉のごとく、天藍は吹き飛ばされたからだ。

 あまりにも剣が速すぎるため、衝撃波で飛ばされたのだ。


「……ッ!!」


 地面に爪先がついてもなお、下がる。


「まだまだ子供。体ができておらんなあ」


 そんなのんびりとした声が間近に聞こえ、天藍は背筋が寒くなるのを感じた。

 何時の間にかカガチが懐に飛び込んでいる。

 構えた剣を、体ごと回転する二刀で払い除けられ、空いた腹が突き上げられる。

 カガチの膝が綺麗に入っていた。


「ぅぐっ……」

「これまで何があっても百合白殿下を第一としてきたお前が何故、突然、俺に立ち向かってきたのかはわからんが、ま、よかろう。これは授業ではない。大人の本気というものを体で知るのもいいだろう」


 強烈な一撃に意識を飛ばしかけた天藍の、制服の上着を掴み、放り投げる。

 抵抗むなしく、凄まじい膂力によって、彼の体はあっという間に、はるか高みまで打ち上がる。彼が日長椿をそうしたときと同じだ。

 天藍は結晶の翼を生やし、辛うじて体勢を維持する。


「そら、行くぞ」


 巨大な翼をゆうゆうと羽搏はばたかせる。

 地面を蹴った、と思ったときには、円形に広がる衝撃波を残してカガチは天藍の元に舞い上がっていた。

 真下から迫る刃を、目では追えない。

 空中では、竜鱗騎士の独壇場といえた。真下、背後、真上、全てのほう方角から斬ることができ、守らなくてはならない。

 おまけに、カガチは速い。

 剣筋が見えない。

 ほとんど勘と、限界まで研ぎ澄ませた五感でしのぐ。魔法を使う隙は無かった。


「お前の剣は軽すぎる」とカガチは笑いながら言った。「《守る者を知らない》剣だ」

「俺は竜鱗騎士、俺の剣は姫殿下のもの……!!」

「いつどんなときでも、目的を忘れてはいけない」


 体勢が入れ替わる。カガチの体が下に、天藍が上に。

 薄曇りの瞳に、地上の様子がうつった。

 イブキが、あのクヨウ捜査官の用いる魔術――――あるいは、呪術のようなものに捕まっている。

 ヒナガは必死に、イブキを引きずりながら噴水に向かってる。

 何をしているのかは不明。


 問題は――。


 出口側に陣取った海市市警。銃を構えている。

 竜鱗魔術師にとってはとるにたらないささやかな物理攻撃であっても、彼にとっては致命傷だ。

 天藍は迷った。迷ったが――彼は、剣戟の合間に偽剣を生成し、噴水に向けて竜鱗を放った。

 ヒナガが体を起こして噴水に腕を浸けたのと、急速成長した白い結晶が、三方から襲う銃弾を弾いた。


「目的を忘れるな、と言っただろう」


 カガチの、せせら笑うような声。

 がくん、と体が揺れる。

 カガチの剣を受けた――はずだ。

 しかし、手遅れだった。

 彼は読み間違えた。それは受けてはいけない剣だったのだ。



 凄まじい勢いで、地面に叩きつけられる。

 石畳が粉々に割れ、抉れ、小さなクレーターをつくった。

 天藍の剣は二つに折れていた。

 カガチの二つの剣を遮っているのは、結晶化させた両腕だ。

 剣はそのまま両腕を断ち切り、首を裂こうと迫る。

 まだ、何の手の内も見ないうちに、力ずくで押しつぶされる屈辱を、感じる間もない。

 死の恐怖が上回る。

 天藍の口から、血の混じった咳が出る。

 力によって肺が押しつぶされ、起死回生のブレスも吐けない。

 詰み、であった。

 引くこともできず、進むこともできない。

 ただ、死の気配だけが重たく垂れこめている。

 天藍は呆然と空を見上げる。


(及ばなかった……何ひとつ……。ここで、死ぬのか? 民のためでもなく、己のためでもなく、姫殿下のためでもなく、何の意味もなく……!)


 死は残酷だ。

 誰に対しても、断りなく訪れる幕切れなのだ。

 しかし、その時は遠のいていく。

 天藍は空の一点に、黒点を見た。

 その事象に、この場では、まずカガチとクヨウ捜査官が気がついた。

 そして、遅れてイブキが。

 カガチはその発生源を見つけていた。

 彼だけが、噴水に目をやった。

 そして、中央部の飾りがついた支柱から噴き出す水の幕――その向こうに、不気味な影を見た。

 姿形は人に似ている。

 だが、額から二本の角が生えている。


「《昔々》」


 水の紗幕の割れ目から、呪文を紡ぐ唇が見えた。


「《ここは偉大な魔法の国……》」

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