67 ステラ奉仕院

「……青海文書せいかいもんじょ


 僕の言葉を繰り返しながら、クヨウ捜査官は煙をくゆらせた。


「聞き覚えの無い魔術です」

「魔術じゃない、たぶん、杖では禁止されていない魔法なんだと……思う」

「それが本当なら、問答無用で逮捕するところです。学院の教師という立場で命拾いしましたね」


 女王国には騎士と女王以外に公然と魔術を使って良い職業が二つある。

 それが魔法捜査官と、学院の教師である。

 魔法学院の教官は指導者であり研究者を兼ねる。

 未知の魔術の研究が許されているのだ。


「なるほど? 巷で連続殺人を行っている不届きものは、竜鱗魔術の使い手ではなく新種の魔法のせいだと……。それで、その人物とは?」

「わかりません」


 事件にそれがかかわっていることは明白だが、それが誰かというと僕には見当もつかないというのが本音だ。


「後学のために教えておいて差し上げましょう」


 不気味な魔女は尊大な忠告をよこした。


「市警の上級職員と友人関係を築くことは、案外簡単なものなのです。即ち、私の顔を立ててください。そうすれば私と君は良い友人となれる」

「……ええと、要するに《手柄をよこせ》ってこと?」

「察しのいいガキは……失礼、お子様は、嫌いではありません」


 クヨウ捜査官はそう言ってとある住所を渡してきた。


「ほかに必要なものがあれば、何でも用意しよう。なあに、気にすることはない。私たちは親友どうしなのだから」

「……はあ」


 嫌な友達ばかりが増えていく気がする。

 すごく。

 そこに記述された文字列を読み……。


「……読めない」

「貸せ」


 天藍が僕のかわりに、眉をしかめてくれた。



 モノレールから汽車に乗り換え、片道一時間。

 遠足くらいの距離感で、その病院に辿り着いた。

 こじんまりとした医院だが、雰囲気は抜群。欧州の修道院のような趣がある。

 門を入ると広めの庭があり、途中のベンチやテーブルで患者と思しき老人がくつろいだり、ボードゲームの盤面をにらんでいる。


 ここは《ステラ奉仕院》という病院だ。


 入院しているのは崩壊した雄黄市で負傷し住まいや仕事を失い、行くあてが無くなって難民となった人々だった。

 医院の経営には連続殺人事件で殺された海府議員一家の、その妻が携わっていた。

 彼女はこれまでボランティアという形で他にいくつもの施設や機関を立ち上げ、難民となったかつての雄黄市市民たちの生活を立て直す支援していたのだ。

 とくにステラ奉仕院は銀麗竜ぎんれいりゅうに襲われて重度の障害を負い、社会復帰が困難となった人々を積極的に受け入れている。

 票かせぎの一環だろう、とかいう穿うがった見方もできるが、心地よく手入れされた庭や小奇麗な医院の建物を眺めると、それだけでもなさそうだ。

 少なくとも稼いだ票の一部はこの場所に還元されている。

 僕はクヨウとのやり取りを思い出す。


「連続殺人事件、とはいうが、君たちの知っているのはせいぜい海府議員の件と、リブラ氏の件くらいだろう」

「それと、貧民街で起きた事件だ」

「犠牲者はほかにもいます」


 彼女は何でもないような口調で告げたのだった。


「事件が起きる数週間前にさかのぼり、市警が扱った事件を洗いざらいさかのぼってみたところ、同様の事件がいくつか見つかりました。驚くには値しませんが」


 その事件では使われた凶器が《銀色の刃物のようなもの》とされ、竜鱗だと特定するところまではいたらなかった。

 そのため、事件は長い間、クヨウ捜査官の知るところとはならなかった。


「殺されたのはここの看護師だ」


 レースのグローブで覆われた指先で差し出されたメモを、僕は天藍にそのまま渡した。

 そこに書かれていたのはとある住所だ。

 僕は、クヨウが教えてくれた死者について調べてみることにした。

 アルノルト大尉のことは市警が念入りに捜査中だし、貧民街をうろつくのはあまり気が進まず、リブラにいたっては天市に入り込んでどうのこうの、という条件が難しすぎる。

 こっちなら、あまり調べられておらず素人でも手がかりがつかめるかもしれない……という、我ながら浅はかな目論見だった。

 移動中、カフス型をした深い藍色の鉱石端末で記録した資料を眺めながら天藍は眉を潜めた。

 僕は次々に映し出される男女の遺体の痛ましさから、ずっと車外の風景に視線をらしていた。

 個室を取ったため――天藍を連れて歩いていると女性のうっとりとした熱っぽい視線が離れず、無駄に道を聞かれたり声をかけられたり忙しく、長時間の移動ともなるとどうなるかは自明の理だったので、止むを得ず――他の乗客がそれらを目撃しないことだけが救いだった。

 僕もはれて税金を使いこむ公務員の仲間入りというわけだ。


「律儀に僕の後をついてこなくてもいいんだぞ」

「どちらかというと、おまえが俺の後をついて歩いているのだが?」


 字も読めない、地理もわからない……と言った状況ではぐうの音も出ない。

 しかも、うっかり治安の悪いところに入りこんだりでもすれば、僕ひとりでは切り抜けられない。護衛という意味では、頼もしすぎる。


「それに、こうなった以上は事件の成り行きに興味がある。あのタイミングでの竜の出現、無関係には思えない」

「……僕たちが竜に襲われたことと、アルノルト大尉の殺害、何か繋がりがあるのか?」

「客観的には、無い。だが……」


 昨晩、現れた竜の海市への侵入経路は今もって判明していない。

 しかし、あの竜はあまりにもタイミングよく現れた。

 まるでアルノルト大尉の自宅から犯人を上手く逃がそうとするみたいに。

 そして犯人は、あのときあの場所に竜が出現することを知っていたみたいだ。


「まさか……だけど、人が竜を出現させるなんて、あり得るの?」

「竜は人とは相容れない。魔力に、肉体に、知能にと、すべてに優位に立つ生命体が、それよりも下位の存在である人間に抱くのは侮蔑ぶべつのみだ。使役することなどもってのほかだ」


 可能性を否定しながら、天藍の瞳は冷たい色をしていた。

 刃のような瞳が《お前の魔法なら、不可能を可能にするのでは?》と言っている。

 視界の端に事件の現場写真が目に入り、咄嗟とっさに逸らした。

 窓の外にちらほらと、場違いな鴉の姿がみえた。

 確証はないけれど、クヨウの式神が僕を追いかけているのかもしれない……。


「まあ、それは置いておこう。クヨウ捜査官から借りた捜査資料に、何か新発見でもあった?」

「生前の体重より、死亡後の体重がわずかに減少している」


 意外な着眼点だ。

 意外だけど、ほかにももっとあっただろう、と言いたくなる。


「生前の体重って言ったって……毎日体重を記録してたわけじゃないだろ」


 市警の資料に記載されているのは、せいぜい会社や学校の健康診断で測定された体重だ。そういった健康診断は年にそうそう何回もあることではないから、誤差があって当然。

 しかも、スラム街で発見された三名に関して言えば、きちんとした記録があるかどうかも定かでない。


「彼女は違う」


 天藍が端末を操作して、ひとりの死者を表示する。

 女性、二十代後半、目つきがきつくて、痩せ型。

 彼女は一年前にステラ奉仕院に雇われた看護婦で、海府議員が殺されるよりだいぶ前に死んでいた。勤務先からの帰宅途中、帰らぬ人となったのだ。

 記録はひと月前の健康診断の記録で、即ち事件直前の、医療機関で測定された正確なものだ。


「三日もあれば、女性は痩せたりふとったりするものさ」


 僕はため息を吐いていた。自分で記録を読むことができればいいのに。

 小学生の頃は読み書き算数のことをバカにしていたけれど、こうなってみると、あんなに役に立つ学問はほかには無い。

 僕はどちらかというと、勉強がなんの役に立つのかと真顔で教師に問う小学生だったが、タイムスリップして殴りつけたい気持ちだ。バカはおまえだと。

 ステラ奉仕院の門をくぐってしばらくして、僕は視界に飛び込んできた人物にぎょっとして足を止めた。


「あら……ヒナガ先生」


 玄関のそばで、白衣の看護婦と談笑していた彼女は僕をふりかえる。

 ふっくらとした桃色の唇がゆるく弧を描く、それだけで周囲が華やかに明るくなる。


「お久しぶりです」


 星条百合白がかけてくれた当たり前の挨拶に僕の心は制止もふりきって踊った。

 そんな反応はあまりにも純情すぎるから、落ち着け、と言い聞かせても止まらない。


 僕は強張った表情で天藍に「知ってた?」と訊ねた。


「学院の課外活動として推奨されている医療施設での奉仕活動は、以前から姫殿下の予定に含まれている。変更はない」

「なんで教えてくれなかったんだよ」

「聞かれなかったからだ」


 必要のないことを徹底して捨てていくこいつの態度には腹が立つが、よく考えなくても百合白さんのスケジュールを教えてくれなかったからと天藍を責めるのはおかしい……。


 彼女を前にすると僕は無条件に、そして確実におかしくなってしまうみたいだ。


 

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