106

 たたえ、あがめ、喝采かっさいせよ!


 銀色の鳥が叫ぶ。


 我が知恵に、我が魔術に! 千年の栄光あれ!


 ……歓喜と狂乱の声の中で、死んだはずの僕は再び目を覚ました。


 目が覚めて、しまった。


 僕は日長椿ひながつばき……そして体は健康そのもので、フラガラッハに吸われた魔力もすべて元に戻ってる。意識もはっきりしていた。

 いったい何が起きたのかも、理解できる。


 だからこそ、目覚めたことが悲しい。

 生きて、呼吸しているという事実だけで、どうしようもない喪失感にさいなまれている。


 オルドルは死ぬ直前に残った全てを食らい尽くした。

 そして偽の心臓を作り上げたときと同じ方法で、失った肉体を再度作り上げて《日長椿》の記憶を移し替えた……。


 記憶だけは以前のままだが、今、この世界を認識している自分と、再生される前の自分の間とで魂の連続性が保たれているかどうかははなはだ怪しい代物なのだ。


 つまりここにいる僕は、日長椿であり、そうじゃない。

 すべての楽観を捨て去るなら、全くの別人だ。


 僕は死んだ。そして死んだことを、死後に認識している人形に過ぎない。


『こんなに滑稽こっけいで、愚かしくて、人間らしい、美しい魔法はまたとない。だってキミは願ったじゃないか》って。この結末を、この終幕を望んだのはキミだよ』


 闇の中から、高らかにわらう声がする。

 こんな姿になって、僕にどうしろというんだ。


「ツバキっ!」


 天藍が体当たりするように、空中に体をさらっていった。

 その固い感触に、僕は目をみはる。


「天藍……! また竜騎装りゅうきそうを使ったのか……!?」


 しかも全身から放たれる竜の魔力が、においが、尋常じゃない。

 安定しない力だ。こんなの絶対に制御しきれてない……。

 空を舞って、どこかに放り出される。土の感触。

 大地の上を突進してくる銀華竜を天藍は全身を使って受け止める。殺し損ねた衝撃は竜騎装ごと彼の体を弾き飛ばし勢いのまま駆け抜けていく。

 天藍は立ち上がると、うめくように言った。


「たとえ俺が竜人化しても、マスター・カガチがケリをつける。問題ない」

「問題だらけだよ!」


 僕は死んで、天藍は全てを失おうとしているんだから。


「お前がいなくなったら……百合白さんはどうなる!? 誰があの人を守ってあげるんだよっ!」


 気がつくと、最初の路地に戻って来ていた。

 隅にマリヤの車椅子が転がっている。

 銀華竜はほかの建物にぶつかりながらUターンして、僕たちを轢死れきしさせるために再び疾駆してくる。


「そのときは……ツバキ、お前にたくす……とでも言うと思ったか?」


 仮面の下の表情は読めない。


「竜鱗騎士団団長、天藍アオイ――参る!」


 銀華竜は顎を全開にして、天藍に食らいつく。

 上下から襲う巨大な牙を腕と足で押さえ、突進を片足一本で止めている。みしり、と彼の全身を軋ませながら銀華竜はトドメの息吹ブレスを吐こうとしている。


 竜に殺されるのが先か、それとも竜人化によって人格を失うのが先か……。


 


 残された記憶から《日長椿》の声がする。

 戦え、失って惜しいものなど、もう何もない。

 ただの記憶を繋がれた死体に未来は無く、過去には絶望が横たわっているだけだ。


「《昔々、ここは偉大な魔法の国》っ!!」


 左手の指を犠牲に、銀華竜の腹の下から大木が生える。


「おおおおおっ!」


 天藍の膂力りょりょくと合わせて、その巨体が横倒しになる。

 さらに、大木は枝葉をり合わせ、巨人の姿へと変化する。


「《すべてのものは水の如く、水はすべてのものの如くふるまうべし》」


 両足で跳躍し、拳を組み合わせて横っ腹に振り下ろす。

 生体を殴りつけたとは思えない硬質な金属音がして、巨人の拳が歪んだ。

 殴打ではダメだ。

 銀華竜は起き上がり、再び息吹を吐く。巨人の半分があっという間に溶けて消え、残り半分は振り回された尾によって弾き飛ばされる。


「天藍、銀華竜を頼む! ――マリヤは、僕が足止めする」


 これは、復讐ではない。

 ただ一瞬を生き残るため、勝利の確率を増やすためだけの判断だ。

 天藍の足元には、結晶の蓮座が組みあがっていた。


「五の竜鱗、《白鱗竜吐息ブレス》!」


 その爪先から結晶が、大地の棘となって銀華竜を襲う。

 銀華竜も地面を銀鱗で覆いはじめるが、両者はぶつかって、爆発するように白い結晶の柱を築き上げた。

 天藍の、白鱗天竜の力が上回っているのだ。

 銀華竜は後退し、天藍も後を追う。

 僕はマリヤの姿を空に探した。


「私をお探し?」


 ふわり、と鋼鉄のスカートをひるがえし、マリヤが背後に降り立った。

 僕は咄嗟とっさに体を庇いながら逃げる。


「安心なさっていいですわよ……私も見てのとおり、満身創痍まんしんそういという状態です。魔法を使うのも億劫おっくうなくらい」


 彼女は胸から血を流し、僕がつけた背中の傷はそのままだった。

 マリヤは傍らの車椅子の上に腰かける。

 そうして、地面につけた足の裏から、魔力を吸い上げる。

 魔力だけではない。

 イブキによると、銀華竜たち銀麗竜の眷属けんぞくは地中に内包されている金属物質と大地の魔力を取り込み、血液の循環を使って銀鱗を生成する。

 吸い上げたモノが外皮に何重にも覆い、堅固な鎧となるのだ。

 マリヤの傷の上にも、銀色の鱗が生え、血を止めていく。


「ですから、しばらくの間、ここであなたがなぶり殺しになるのを、見ているだけしかできませんの」


 彼女は白い杖を地面に向けた。

 大地がところどころ盛り上がり、その下から小型の飛竜がおぞましい産声うぶごえを上げる。

 銀色の翼が視界を埋め尽くす。


「……いつかみたいに、もう、話をしようってわけにはいかないのかな?」

「いまさら、何の話があるというのかしら。足掻あがいてはいるけれど、あなたも、竜鱗騎士も、私の掌の上じゃない」

「君に僕は殺せないよ」


 オルドルの蘇生魔法は不完全で邪悪だが、それだけに完璧だ。

 玻璃の天秤のように、他人の命を要求しない。


「けれど、貴方を殺すためにいくらか試してみることは可能ですわね。たとえば、そう……貴方を死なない程度に、痛めつけるとか。爪を剥いだり、歯を抜いたり……」


 マリヤは残酷な提案を続けた。

 生きている間に腹を裂いて腸を引きぬき、臓器を一つずつ取り出す。関節を全て叩き潰す。足の先からなます切りにして、断面を見せつける。頭を切開して、脳をもてあそぶ。

 いくら蘇生しても、僕の記憶は《次》に引き継がれるとすれば。

 拷問を無限に続けられたら《次の僕》はいずれ残酷な記憶の蓄積に耐えられずに発狂するだろう。

 才媛さいえんらしい、的確な僕の殺し方だ。

 だがそんなのは御免だ。


「だったら、交渉しかないね」


 僕は懐からあるモノを取り出し、マリヤに掲げて見せた。

 それは小さな水晶の護符タリスマンだった。

 透明な結晶の内側に、玻璃家の象徴である天秤がきらめいている。


「これを見ろ……君にはこれが何なのかわかるはずだ」


 リブラが遺してくれた唯一のものだった。

 僕の喉に噛みつこうとしていた飛竜が、マリヤの手の一振りで、止まる。

 その瞬間、推測は確信に変わる。


「ここには……リブラの魔術が入ってる。僕を死のふちから一瞬で蘇生させた、奇跡みたいな医療魔術だ。君はこれが欲しいはずだよ、マリヤ……いや、違うな……君の本当の名前は《サマリ》だ」


 言葉は帰って来ない。

 だが、彼女の表情は一変していた。

 僕にだけ、その鋭い怒りが向けられている。

 天藍と竜は激しく戦っている。

 息吹の熱風が、僕たちの肌を舐めて駆け抜けていった。

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