女王府立魔術学院
11 海市
ちょっと、というかだいぶ長くなるけど……。
翡翠女王国の首都に当たる《海市》は天市に隣接する都市で、人口は届け出があるだけで約五百万人。ビジネスや観光で訪れる一時滞在者の人数を入れると、最大で八百万人規模になる計算だ。
この時点で、僕は思考を放棄し、夕陽にむかって走りだしたいところだけど、もしかしたら生死を左右することにならないともかぎらないような気がするそうだそうに違いない、と必死に自分に言い聞かせて、続ける。
行政区分では、天市と海市はひとまとめに扱われ、
日本でいうところの、関東地方とか中国地方とかいった区分のことだ。
たとえば、
で、天海市の行政機関はほかの地方にくらべ特殊だ。
天市には《女王府》があり、翡翠女王を筆頭とする伝統的な貴族議会が置かれている。
そして海市側には海府議会と海市府議会のふたつがある。
このあたりがややこしいのだが、海府議会は貴族中心の貴族議会と対になるもので、両者はちょうど衆議院と参議院みたいな関係にあるらしい。
貴族だけに政治を任せておくと、人材や思想が
けど、実際は爵位を持たないだけで、貴族連中に縁のある者が多数含まれ、女王府の
金がなければ効率的な政治活動ができないため、結局世襲制みたいに何代にもわたって議員になっちゃう人たちがいるのといっしょ。
いいことも悪いこともある。
そして海市府議会はというと、こっちは東京都議会みたいなもので、市政についてのみ議決を行い、海市府が執行する。
えーと……。
自分でいっていてよくわからないけど、とにかく偉い順でいくとだ。
『女王府>|越えられない壁|>海府議会>海市府及び諸々の地方府』
ということだ。
……たぶん。
あまり政治が好きじゃないので、ほんとは興味がわかないんだけど。
それより基本人口が五百万、という点がよほど気になる。
まあ、これもやっぱり雑学の範囲なんだけど、たとえば現在の東京都の人口は千三百五十五万人ということになっている。
ニューヨークが八百四十万と少し、ロンドンも同じくらい。
そして時代を遡って江戸。
これがいちばん多い時期で百万人。
ほとんど同時代のロンドンが八十六万人。
これらの数字からなにを言いたいのか。
つまり……だ。
海市の人口五百万という数字は、その膨大な数を支えるだけの根拠があるってことだ。
わかってはいるんだけど……。
「ここ、ファンタジー世界じゃなかったっけ……」
僕は、
「ウソじゃん、天藍は銀の甲冑に白マントだったのに……」
窓越しにみえるのはヨーロッパ風の建物ではあるけれど、近代的なビル群だ。
エルフのいそうな森もないし、空にはドラゴンも飛んでない。
それにバスや路面電車、ビルの合間を通る高速道路や鉄道の
通りを行きかう人々の服装は、そこそこ理解し難い服もあるけれど、女性に関していえば、若くて奔放な女性は露出が高く、マジメそうな子は
期待してたわけじゃないけど、理解した。
ここは純粋なファンタジー世界じゃない。
世界の主要都市に
「天市の移動が馬車や馬だけ、服装が伝統装束なのは、すべては《格式を重んじる》女王府の方針で、特殊なのだ。わが国の科学力は、君の世界以上に発達している」
現代……いや、ちょい近未来ファンタジー世界も入ってるかも。
そうでなければ《基本的に魔法が禁じられた国》で、この人口に達するはずがない。
リブラがこの国の概要を教えてくれたときに、気がつくべきだった。
「ま、それでも竜や魔法生物、エルフといった特殊な種族は存在しているし、魔法が禁止される以前は魔法のみで倍近くの人口を支えていたんだ」
ドレスではなく、赤いチェックのミニスカートにブーツ、帽子にジャケット姿……と、どこかの制服みたいな服をきた紅華が解説してくれた。
期待してたわけじゃないけど……溜息を吐く。
「それに、そうでもなければ君の蘇生など不可能だっただろう」
「ああ……」
僕は、麻酔でボンヤリした頭で、昨晩、リブラの屋敷で血を吐いて倒れたときのことを思い出…………そうとするのだが。
「なんだ、覚えてないのか」
そう。
覚えていなかった。
長い夢をみて、気がつくと朝になっていた。
「医学的には、昨晩だけで三回死にましたからね。三度目は流石に、息を吹き返したのが奇跡としか思えませんでした」
そう言って、ハンドルを握るリブラがバックミラー越しに気味の悪そうな目で見てくる。
「医療魔術でパパっと治したんじゃないの?」
「私の魔力は
「外部からの魔力補給を受けつつ、さすがの《医聖》も昨夜は久々にメスをとったのだよ。肋骨が粉砕骨折したままでな!」
紅華は楽しそうに笑っているが、僕はあんまり笑えない。
平然と運転しているところをみると、そのあと、リブラも自分の治療をしたみたいだ。
「倒れた君の体は……胃と腸をほぼ丸ごと失っていたんです。それと、食道と肺の一部と
「……それ、死ぬよね」
とても自分の身に起きたこととは思えない。
「倒れたのが私の屋敷以外でなら、確実でしたね。ひとまず脳への血流と酸素の供給をうながし、王宮まで運び、移植用の臓器を確保、緊急オペで生還したんです。大変でしたよ」
適合するドナーは存在しなかったため、人工の臓器が急きょ、用意された。
王宮には女王の緊急時のため、どんな手術にも対応できる機材や医薬品がそろっているのだ。
もちろん、そこに医療魔術がなければ、ここで息はしていないだろう。
記憶が無いので実感がないけど……。
それにしても。
骨折したままでの大手術っていうのは大昔の有名なマンガみたいだ。
漫画のタイトルは、そう、確か。
「ぶらっくじゃっく、みたいであろう?」
それそ……れ!?
「今……なんて言った?」
「教えてあげなぁい」
口調は甘えたような声色だが、顔は悪鬼の微笑だった。
これまでの発言から薄々感じてたけど、こいつら……僕の世界のことを、かなり、知ってるんじゃないかな。
それも、かなり深いところまで。
もしかして……。
「もしかして、帰れる方法があるのかも。と思っているのだとしたら、その通りだ」
「僕の思考を読んだ……!?」
「いや。天律魔法にそのようなことはできない。君が単純なだけだ」
いちいち腹が立つ。
でも帰れるってことがわかったのは、いい収穫だ。
傷の呪いのこともあるし、簡単にはいかなそうだけど……。
「話を戻すけど……僕が倒れた理由って、なんなの? 病気?」
「いいえ。一瞬で臓器が喪失する
リブラは眉をバックミラーの中でしかめた。
「倒れたときのこと、何か少しでも思い出せませんか?」
と、言われても。
「ええと……あのときは、紅華と話をしてて……。あとは……キスした?」
正確にいうと人工呼吸だ。
車ががくんと揺れた。
リブラが無言でアクセルを踏み込んだのだ。
「あの……リブラ、さん?」
敬語になってしまったのは、メーターがぐんぐん上がっていっているからだ。
数字の表記はよくわからないんだが、上がっているってことだけはわかる。
体感速度でわかってしまう。
「むこう三台うしろの車が、ずっとこっちをつけてるみたいなんですよね。お気になさらず」
全然、お気にします……。
まったく目が笑っていないぞ。
ものすごい速さで公道を駆け抜けていく。
追い抜かれた車がクラクションを鳴らしてる。
「あのときのことは、緊急時のことであり人としての義務を果たしたまでだ。王族に対する失礼には当たらない」
ちゃっかり自分だけシートベルトを装着している紅華は全然、照れた素振りもみせず、平然としている。
「そうそう、当然のことだよね!」
だから落ち着くんだ、リブラ。
「そういえば……というほどのことではないが、わたくしは、あれが初めての
リブラの足が急にブレーキを踏む。
手がハンドルを捌き、複雑にシフトレバーを操作。
車体の後ろ半分が滑り、車体が道路に対して直角を向きつつ、コーナーを曲がっていく。
すばらしいドリフト走行だ。
そして物理法則にしたがい僕は車内で振り回され、左側の窓に叩きつけられた。
「なに、これくらいできないと医者にはなれません」
「嘘つけ、どんな医者だ!」
「さて、もう少しだけ、飛ばしますよ」
っていうか、この車、どこに向かってるんだろう!?
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