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「改めて確認したい。異世界の門を開けたのは君なの……?」

「そう。あなたを殺して本を奪えと命じたのも私です」

「でも、それだと矛盾が生じる。紅華は百合白ではないと言っていたよ」

「どうしたんです? 先生。それだと、私が全て裏で糸を引いていたのだと信じたくないような口ぶりですよ」


 その通りだ。……嘘だと言ってほしいのは僕だ。

 何かの勘違いだったと言ってほしい。ほかならない彼女の口から。

 でも僕の考えとは全く違う結論を、彼女は提示した。


「天律魔法には簡単な裏技があるんです」


 りん、と小さな音がして、彼女の手に鈴が現れる。

 薄いピンク色をした小さな鈴……そして反対の手には、見たことのない銀色の鈴があった。


「これは、先代女王の鈴です。天律魔法は一子相伝の秘術……あの子は、紅華は天律の手ほどきを母から受けたことはありませんから……これは私しか知らないことですが、鈴は代々、その子孫に受け継がれているのです」


 他人の鈴だから、姉妹といえども紅華にはその音を察知することはできない……。

 先代女王といえば紅華と百合白の母親だ。だが。紅華は物心つかないうちに、争いの火種にならないよう翡翠宮を出されて女王が死ぬまで戻ることはなかった。

 母親の鈴のありかなど、紅華にわかるはずもない。


「卑怯でしょうか。でも、私の勝ちですね」


 無邪気に言うその表情が何時もと変わらず愛らしくて、可愛くて、悲しい。

 心が粉々に打ち砕かれていくのを感じる。僕の心だ。

 こんなの、告白を拒否されるのよりも、何万倍もひどい。


「……僕の手を握ってくれたのも、一緒に戦うと言ってくれたのも……僕を利用するためだったんですね」

「貴方が目の前に現れて、すぐ黒曜の仕業だと気が付きました。そして青海文書の才能があることも知りました。その能力を伸ばしたかったのです」

「死んでいった人たちが苦しんでいるのを見ても……そんなに《力》が欲しかったんですか……」

「王姫でなくなったことに不満はありません。ですが、私には私の願いがあります。叶えたいことが。そのためには実の妹とはいえ、紅華を傷つけることもしなければなりません。《力》が必要なのです」

「あなたは……あなたは間違ってる!」


 僕の怒りが青海文書と呼応こおうし、部屋を外界からさらに遠く隔離し、彼女を拘束している魔法が強くなる。

 不気味な笑い声と老若男女の悲鳴が音楽のように重なりあい、鳴り響く。

 オルドルの森が、食人鬼の森へと変貌へんぼうしていくのを、僕には止められない。

 腐臭と血の臭気が立ち込める中で、星条百合白はそれでもなお可憐だった。


「では、どうするのです。私を殺しますか? あなたも」

「まだを聞いていない……五年前、あなたが雄黄市を見殺しにしたのは何故です?」

「どうしても聞きたいのですか?」

「それがマリヤの望みなら……、彼女を殺した僕はそれを聞かなくちゃいけない」


 たとえ誰の策略でも、踊らされていただけでも、その罪は僕にある。

 だから、たとえ欺瞞ぎまんでも僕は彼女の成し遂げられなかったことをしたい。

 血とさびに覆われつつある森の中で、少女は目蓋まぶたを閉じた。


「いいでしょう。では、あなたにだけ真実を話します。……あのとき、私は騎士団の派遣よりも竜族との対話を選んだ……その理由。それこそが、私の《願い》でもあります。マリヤの復讐心を利用し、先生を破滅の道に引き込み、そうして得ようとした《力》の使途しと……」


 少女の唇から、答えがもたらされる。






「すなわち、のためです」






 僕は答えの意味がわからず、オウムのように繰り返す。


「愛…………?」

「そうなのです……私は、ただひとつの《愛》のために、何十万という人々をにえにしました。ありとあらゆる人種を引き裂き、恋人たちを燃やし、子供たちから親を奪い、親からは子供を奪いました。誇り高き戦士たちは絶望のうちに死んだでしょう……。ほんとうに、それは悲劇としか言いようがありません。すべては、私のただひとつの恋のためです」


 僕は……彼女が狂っていると思った。

 そのほうが、気が楽だからだ。

 しかし再び開かれた彼女の瞳に、狂気の色はない。

 あくまでも正気、それどころか生命の輝きに満ちている。







 僕は雷を受けたみたいに身動きが取れない。

 言葉を発することもできない。

 金縛りにあったみたいに、身じろぎもできず、頬を赤らめ高揚によって瞳をうるませる百合白さんを見つめ続けていた。

 それは恋の告白であり、それ以外の何ものでもなかった。

 彼女は正真正銘の恋する乙女で、だからこそ、狂気ではない。

 狂気じゃない。


「五年前、銀麗竜が雄黄市を襲い、それに呼応して他の長老竜も動き始めていました。三海七天さんかいしちてんからは、《白鱗天竜はくりんてんりゅう》が動く……そういう情報も入っていたの」


 当時の天藍アオイは竜鱗騎士としてはまだ未熟すぎた。

 戦場に出ない可能性は十分にあるが……それでも、彼の力のみなもとである《白鱗天竜》が倒されれば、その時点で自動的に天藍アオイは死ぬ。よくて廃人で、彼の人格は永遠に失われてしまう。

 それでも、もしも白鱗天竜が女王国と戦うのなら、これを倒さないという選択肢はない。

 殺すか、雄黄市どころじゃない国土すべてを焦土しょうどに返すか、そのどちらかだ。

 王姫・星条百合白は選択を迫られ、第三の選択肢を選んだ。


 竜との対話……。


「私は竜たちと交渉し、女王国の国土と人々の命を犠牲に、彼を救う手段を手にしました。その内容まで話すことはできませんが……彼のことを何にかえても守ってあげたかったの」


 彼女がたったひとりの騎士の命を守るために奪った命と、生み出した悲劇の数は……あまりにも莫大ばくだいすぎた。それでも百合白さんはやった。

 死体の山を築き、血の山河を渡ると知っていて、諦めなかった。



 彼女は言い切った。あまりにも簡単に。


「一緒になれなくてもいいの。アオイが生きていてくれれば。彼のそばで、その苦しみを取り除くことができるのなら……彼を守ってあげられるなら……他には何もいらない。でも、か弱い女の身にいったい何ができたでしょう」


 星条百合白は、天藍を守るため。

 そしてあいつを愛していたから……。

 そのために、あまりにも恐ろしいことをした。


 その、恋のために。


 竜は人間たちを蹂躙じゅうりんした。

 マリヤの故郷を奪い、家族を奪った。

 イネスたちは鶴喰砦で、仲間の命を犠牲にして戦った。

 騎士団からはカガチと先代団長が去り、団長のほうは今も行方不明。

 天藍自身も、背負いきれない責任を負い、苦しみ続けた。


 そして……。


 一生、翡翠宮に戻ることなく、リブラと共に生きるはずだった紅華は……異世界から呼び出された《日長椿》は……。


 とても信じられない。

 その、すべての悲しい出来事が、なんて。

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