懊悩

 王の間を出て、オリヴィエは兜を片手に城内の廊下を歩いていた。目指すは王城の外にある騎士団の訓練場だ。城の警備担当でない騎士は、日々この訓練場で自身の鍛錬に励む。オリヴィエは訓練を抜けてゼラとカトレアに拝謁はいえつしに行ったのだった。


 オリヴィエは早足で訓練場へと向かいながら、先ほどの謁見の様子を思い出していた。ゼラが自分を呼び出し、直々に賞賛の言葉をかけてくれたことは身に余る光栄だった。だが、それよりも鮮烈に印象に残っているのは、やはりカトレアにかけられた言葉だ。男に生まれなかったのが残念――。それはオリヴィエ自身が幾度となく考えたことだった。


 オリヴィエが騎士を拝命したのは今から五年前、彼女が十八歳の時のことだ。オリヴィエの家系は代々優秀な騎士を輩出しており、両親はオリヴィエが産まれる前から、子をいかにして立派な騎士に育て上げるかに頭を悩ませていたそうだ。そんな両親が、産まれた子が女だと知った時の落胆がどれほどのものだったか――。オリヴィエはついに知る機会はなかった。


 両親はなおも子を宿そうとしたが、その努力が報われることはなかった。そこで諦めるかと思いきや、両親は別の方法を考案した。オリヴィエを騎士として育てることにしたのだ。花騎士団の騎士はいずれも男性で、女が騎士を拝命した例はなかったが、両親はその伝統を打ち破ろうとした。代々受け継がれてきた騎士の輩出はいしゅつを、自分達の代で止めてはならないと考えたのだ。


 両親はオリヴィエに徹底的な教育を施した。父親が剣術の指導をし、日々剣術の修行に明け暮れた。母親は座学を担当し、騎士の精神を頭に叩き込まれた。女子と遊ぶことは許されず、人形やドレスなど、女子が好むものを持つこともできなかった。

 しかし、オリヴィエは特にそのことに不満を抱かなかった。同世代の女子と関わりを持たずに暮らしていた彼女は、自分の置かれた環境が普通ではないことに気づかなかったのだ。


 そうした教育が功を奏し、オリヴィエは見事騎士団への入団を許された。入団の通知を受け、涙を流して喜んだ両親の姿を見て、オリヴィエ自身も安堵した。自分が騎士になれたことよりも、両親の期待に応えられたことが嬉しかったのだ。


 だが、騎士団への入団はオリヴィエの苦渋の日々を終わらせてはくれなかった。それはむしろ、彼女の新たな試練の始まりと言ってもよかった。


 女だてらに剣を振り回す彼女の姿を見て、多くの騎士は冷笑を漏らした。彼女の剣術をままごとと称し、見下す態度を隠そうともしなかった。騎士団に入団できたのも実力ではなく、隊長と寝たからだと言う者までいた。


 オリヴィエはそんな嘲笑にじっと耐えた。他の騎士が遊行にふけるのを尻目に、朝から晩まで黙々と訓練を積んだ。当時の彼女を支えていたのは、誰よりも強い騎士になるのだという強固な決意だけだった。


 そうした努力の甲斐あって、オリヴィエはめきめきと実力をつけていった。訓練の際には自分よりも体格のいい騎士を易々と打ち負かし、他国からの軍勢を一人で倒したこともあった。オリヴィエの活躍は国中に広まり、いつしか彼女は『翠色すいしょくの騎士』という異名で呼ばれるようになった。

 だが、彼女の功名の広まりはかえって騎士たちの反感を招き、オリヴィエはますます孤立を深めていった。


 あれからもう五年が経つが、自分の境遇を憂えたことはない。両親にお膳立てされた道とはいえ、騎士になるのを選んだのは他ならぬ自分からだ。自分の陰口を叩き、卑猥ひわいな冗談を飛ばす騎士は今も後を絶たなかったが、オリヴィエは一向に意に介さず、相変わらず黙々と訓練に励んだ。


 それでも時々考える。もし、自分が最初から男として生まれていたら、こんな思いをすることはなかったのだろうかと。同等の存在として実力を認められ、くだらない嫉妬や揶揄やゆに振り回されることもなかったのだろうかと。そう考えると、オリヴィエは自分を女として生み落とした神を憎みたくなることもあった。


 だが、いくら現状を嘆いたところで事態が好転することはない。いくら男らしく振舞ったとしても、自分が女であるという事実は変えられないのだ。ならばその事実を受け入れ、与えられた境遇の中で生きていくしかない。オリヴィエは懊悩を胸の奥に押しやると、訓練所へと向かう歩調を早めた。


 その時、背後から誰かが駆けてくる音がしてオリヴィエは振り返った。だが廊下には誰もいない。オリヴィエは目をすがめて前方に向き直ったが、その瞬間、誰かに後ろから両手で目を隠された。


「誰だ!」


 オリヴィエは咄嗟に身をよじった。すぐに何者かの手が離れる。城の中で襲撃を仕掛けるとは大胆不敵。振り向きざまに斬りつけようとオリヴィエは剣にかけたが、そこにいる人物を目にした途端に警戒心を解いた。


「アイリス様……? ここで何を?」


 そこにいたのは、オリヴィエがよく知る人物だった。瑠璃色の長い髪をハーフアップにし、頭には花模様の付いた可愛らしいティアラを乗せている。肩と裾の膨らんだ桔梗ききょう色のドレスを着て、広がった袖口には花の紋章があしらわれている。体格は小柄で、背の高いオリヴィエと並ぶと身長は肩の辺りまでしかない。年齢は二十代前半くらいに見えるが、小首を傾げてこちらを見つめる表情はあどけない少女のようで、見た目よりも幼さを感じさせる。


 彼女の名はアイリス・エリザベート・ニヘルム。ゼラの一人娘であり、姫付きの騎士であるオリヴィエが仕える主人でもある。アイリスが外出する時にはオリヴィエは必ず同行し、彼女の護衛をする役割を任っていた。


「何をって、あなたを驚かせようと思ったのよ?」アイリスが身体の前で両手を合わせた。「あなたが廊下を歩いてるのが見えたから後をつけて、振り返ったところで騎士の像の陰に隠れたの。で、あなたが前を向いたのを見計らって手で顔を隠したってわけ!」


 さも嬉しそうに言うアイリスの表情は、悪戯が成功した子どものようだ。それを見てオリヴィエは軽くため息をついた。


「……姫様、少し悪戯が過ぎますよ。てっきり敵に襲われたかと思いました」


「あら、失礼ね。私がそんなに凶暴に見える?」アイリスが頬を膨らませた。


「姫様の見た目ではなく、行動がそう思えたのです。私は騎士ですから、条件反射的にあなたを斬りつけていてもおかしくなかったのですよ」


「もう、オリヴィエったら相変わらず硬いのね。ちょっとした出来心なんだから、笑って許してくれたっていいのに」


 アイリスはねたように言ってそっぽを向いてしまった。その顔は大人に叱られた子どもそのもので、オリヴィエは思わず相好を崩した。


「あ、そうだわオリヴィエ。お父様から聞いたんだけど、あなた、森で盗賊を退治したんですって?」アイリスが思い出したように尋ねた。


「ええ。商人を襲っていたのを倒しました。私の正体がわかると命乞いをしてきましたが、あそこで見逃せばまた悪行を働くのは確実。ですからそのまま片付けました」


「そう。相手の盗賊って、斧を持った大男だったんでしょう? そんな相手を一人で倒すなんてすごいわ」


 アイリスが目をきらきらさせて言い、賞賛のこもった目でオリヴィエを見上げてきた。だがオリヴィエは何でもないようにかぶりを振った。


「奴は虚仮威こけおどしでした。強者なのは見た目だけで、実際の戦術は児戯じぎも同然。赤子の手をひねるようなたわいもない仕事でした」

「そう? でも、女性が男の人を倒したってだけでも十分すごいと思うわ。あなたみたいな強い女性が傍にいてくれて私も心強いわ」


 飾りのないアイリスの言葉は、まっすぐにオリヴィエの心に入り込んでくる。ゼラから賛辞を受けた時よりも強く、オリヴィエは胸に誇りが湧き上がってくるのを感じた。


「ねぇオリヴィエ、この後時間はある?」アイリスが出し抜けに尋ねてきた。

「よかったらトリトマの森をお散歩しましょうよ。今日は天気もいいし、季節の花を見てみたいの」


 アイリスが期待のこもった目でオリヴィエを見上げる。オリヴィエ自身、できればもう少し姫と話をしていたかったが、すぐに残念そうにかぶりを振った。


「せっかくのお誘いですが、私はこれから騎士団に戻らねばならないのです。これから訓練の続きを受けねばならず、終わるのは夜になるかと」

「あら、そうなの? せっかくあなたと二人でお出かけできると思ったのに」


 アイリスが心底落胆した顔でがっくりと肩を落とした。それを見てオリヴィエは心苦しくなった。口元に手を当て、何か代案はないものかと考えを巡らせる。


「では、今夜、訓練が終わってからではいかがでしょう? 月の光に照らされた花々を愛でるのも一興かと思いますが」


「夜?」アイリスが意外そうに小首を傾げた。「そうね。私は構わないけど、あなたはいいの? 訓練の後で疲れてるんじゃないの?」


「訓練程度で疲弊しているようでは、騎士を名乗る資格はありませんよ。それに私はあなたの騎士です。あなたの行く先にお供し、あなたをお守りするのが私の役目。真夜中であろうが明け方であろうが、喜んで馳せ参じます」


「まぁ、頼もしいわ」アイリスが両手を合わせてにっこり笑った。「それに夜のお出かけなんて素敵。何だかちょっとデートみたいね?」


 アイリスはあくまで無邪気に言う。だがその言葉は、なぜかオリヴィエの心をちくりと刺した。


「じゃあ、今夜七時頃に私の部屋に迎えに来て。あ、お父様には内緒にしていてね。夜に出かけるって言うと心配するから」

「承知いたしました」


 オリヴィエは胸に手を当てて深々と頭を下げた。アイリスはにっこり笑うと、軽やかな足取りで廊下の来た道を戻っていく。オリヴィエは上体を起こし、主の姿が見えなくなるまでその背中を見送る。


「……デート、か」


 アイリスが廊下の端に姿を消したところで、オリヴィエが視線を落として呟いた。


「あなたは何の他意もなく、たわむれとしてその言葉を口にされたのでしょうね。ですが、それを聞いた時、私の心にどれほどの動揺が呼び起こされたか……。あなたにはきっと想像もつかないのでしょうね」


 人気のない廊下にオリヴィエの声が落ちる。影の差したその表情は、彼女の内に巣食う懊悩の根深さを物語っていた。


 オリヴィエはしばらく絨毯に視線を落としていたが、やがて気を取り直すように首を振ると、踵を返してアイリスとは反対方向へ歩いていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る